ユートピア(、)とは、日本生まれの元競走馬である。2008年春より種牡馬となっている。半兄に1997年の中京記念、函館記念を制したアロハドリーム(父クリエイター)がいる。デビューは2002年秋の京都競馬。初戦は5着と敗れるが、折り返しの新馬戦でダート競走に切り替えると、2着に1.5秒差をつける圧勝を飾る。その勢いで次走のシクラメンステークス(ダートオープン競走)も圧勝。暮れの全日本2歳優駿に駒を進めると、そこでも4馬身差の圧勝で2歳のダート王に輝く。3歳時にはユニコーンステークスで中央競馬の重賞を初勝利すると、ジャパンダートダービーではビッグウルフにハナ差で敗れるも、ダービーグランプリで今度はビッグウルフを4馬身ちぎって統一GI2勝目を挙げる。しかし秋のGI2走はともに2桁着順に終わる。4歳になってからはしばらく芝路線を歩むが勝ち切るまでには至らなかった。秋になって統一GIマイルチャンピオンシップ南部杯に出走。同競走ではダート王のアドマイヤドンに土を付け快勝し、統一GI3勝目を飾る。その後のレースでは凡走が続く。未勝利のまま1年が過ぎ、ふたたびマイルチャンピオンシップ南部杯へ出走。史上2頭目の同競走連覇を飾った。その後はふたたび凡走を繰り返したが、6歳のフェブラリーステークスでは3着に入り、ふたたび復活の兆しを見せた。その後、ドバイミーティング、ゴドルフィンマイル(ダート1600メートル)で、武豊との久しぶりのコンビで、逃げ切りでの勝利を収め、日本調教馬による初の海外ダート重賞制覇を達成した。おもだった競走成績はダートに集中しているが、芝のレースでも2003年のNHKマイルカップ・2004年の安田記念でそれぞれ4着に好走したこともある。一方、2004年の北九州記念では1番人気で5着、2005年の安田記念は14番人気で14着と沈んでおり、競走成績を通じて芝の勝ち鞍はなく、ダート戦ほどの成績を残すことはなかった。2006年5月2日、アラブ首長国連邦のシェイク・モハメド率いるゴドルフィンへの移籍が決定した。移籍金は400万ドル。日本の現役GI馬が海外に移籍するのは、シーキングザパールに続いて2頭目である。移籍初戦については、当初は11月のブリーダーズカップ・マイルかブリーダーズカップ・クラシックを予定していたが、出走回避。一方で、10月26日にジャパンカップダートの外国招待馬に選出されたことがJRAより発表されたが、11月9日までに招待辞退が発表され、日本での再出走は実現しなかった。結局、2007年5月の米国ベルモントパーク競馬場におけるウェストチェスターハンデキャップ (G3) が移籍初戦となり、1年以上のブランクはあったものの勝利で復帰を飾った。次走はメトロポリタンハンデキャップに決定し、移籍後初G1出走を期待されたが脚の感染症が発見され回避となり、6月8日にはベルモントステークスのアンダーカードとして行われたバードストーンステークスにも出走を予定していたが、前脚蹄又に異常が見つかったため回避している。ようやく移籍後2戦目として出走したのは10月5日に行われた米国メドウランズ競馬場のG2、メドウランズカップハンデキャップ。しかし、大きく離れた6着に敗れた。続く11月17日のスタイヴァザントハンデキャップ (G3) で2着に入ったのを最後に引退が決定し、アメリカで種牡馬入りすることとなった。2008年から、アメリカ・ニューヨーク州サラトガスプリングスにあるマクマホン・オブ・サラトガ・サラブレッズで繋養されているが、2010年から2011年にかけて、一時・アメリカ・テキサス州のMcdermott Ranch Texas(マクドネル・モット・ランチ・テキサス)にて繋養生活を送った事もある、種牡馬入り初年度の種付料は7500ドル(約84万円)であった。2014年~2015年の種牡馬シーズンの途中の6月に、トルコのエージェント・Serder Kemer Ozcolac氏に売却され、9月上旬には、マクマホン・サラトガ・サラブレッズを馬運車で出発、ケンタッキー州・レキシントンのエルメンドルフファームにて30日間の出国検疫検査を受けた後、9月中旬には、2007年以来、長く住んだアメリカを飛行機で後にした。トルコの、カラジャベイ・ナショナルスタッド・ファームにて、新生活を送っていたが、2015年7月6日、けい養されていたトルコのカラジャベイ・ナショナルスタッドで心臓発作により死亡。
出典:wikipedia
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