鈴木 政二(すずき せいじ、1948年6月6日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。参議院議員(3期)、愛知県議会議員(4期)などを歴任した。愛知県知立市生まれ。愛知県立岡崎北高等学校、日本大学法学部政治経済学科卒業。1974年に知立市議会議員に初当選。翌年1975年には衆議院議員村田敬次郎の秘書となる。1979年、愛知県議会議員に初当選。以後、県議は4期つとめた。1987年には全国商工会青年部連合会副会長に就任した。1995年7月23日に行われた第17回参議院議員通常選挙に愛知県選挙区から出馬し初当選。運輸政務次官・自民党国会対策委員会筆頭副委員長・森派参議院幹事長などを歴任。国会対策が長く「国対のプロ」と呼ばれ、野党幹部とのパイプも太い。2001年7月29日に行われた第19回参議院議員通常選挙に当選(2期目)。2005年10月31日から第3次小泉改造内閣において、政務担当の内閣官房副長官(参院枠)を務め、併せて政府の「拉致問題特命チーム」議長を務めた。2006年9月26日から安倍内閣において内閣官房副長官に再任される。官房副長官在任中、新潟県中越沖地震発生に際し、愛知県で行っていた選挙運動を急遽取り止めて首相官邸へ戻り、震災対策にあたった。2007年7月29日に行われた第21回参議院議員通常選挙に当選(3期目)。同年8月、自民党が劣勢となるねじれ国会下において自民党参議院国会対策委員長に就任。2009年9月に自民党が下野した際にも野党として国会対策にあたった。2010年7月には第22回参議院議員通常選挙の結果、逆に自民党など野党優位となったねじれ国会下において参議院議院運営委員長に就任した。党愛知県連会長も務める。比例東海ブロック選出(愛知県第13区で落選)の大村秀章が名古屋市長の河村たかしによる要請を受けて衆議院議員を辞職し、2月6日投開票の2011年愛知県知事選挙への出馬を表明すると、党愛知県連会長としてこの動きに反発。さらに愛知県連は党本部に大村の除名処分を上申した。だが選挙の結果は大村の圧勝となり、選挙後の2月13日に県連会長辞任を表明した。2011年10月、参議院国家基本政策委員長に就任。2012年5月、次期参院選には出馬せず政界を引退する意向を表明した。愛知県知事選挙後悪化した知事の大村や自民党愛知県連幹部との関係を修復できない状態が続いており、党内からは次期衆院選への影響を懸念する声も出ていたことから、自ら身を引くことで人心の刷新と世代交代を図ろうという考えによるものと見られる。自民党が設定する定年の年齢に達するまでにはまだかなり間があるものの、記者会見では「愛知万博や中部国際空港などの国家プロジェクトをやり遂げ満足感がある。後進に議席を守ってもらいたい」と述べ、政治活動からも身を引く意向を示した。2006年6月、日本共産党の機関紙しんぶん赤旗に、統一教会の集団結婚式(天宙平和連合祖国郷土還元日本大会)に祝電を送ったと報じられた。2008年12月16日の記者会見で、参議院で主導権を握る民主党の国会対応について「数があるからどんなことでも簡単にできると思い込むナチス党や大政翼賛会みたいだ。良識の府から暗黒の府に入っていくのではないか」と述べ批判した。
出典:wikipedia
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