リヤカー / リアカーとは金属製のパイプと空気入りタイヤで構成された2輪の荷車である。日本では軽車両としての公道利用が認められており、人もしくは自転車、オートバイによって牽引して使われている。なお、“リヤカー/リアカー”の名称は和製英語であり、日本で考案された際、サイドカー(Side + Car)にならって「後部(Rear)に位置する車(Car)」の意でリヤカーと命名された。英語でこのような「人力により牽引される1軸2輪の荷車」は特に区別されずに「荷車」全般を指す言葉である“"Cart"”(複数形は"Carts")とのみ呼ばれることが通例で、人力によって移動することを特記する際にのみ“"Hand Cart"”("Hand carts")の語が用いられる。1921年頃、海外からサイドカーが日本に輸入された時にサイドカーとそれまでの荷車の主流だった大八車の利点を融合して、静岡県富士市青島の望月虎一が発明した。江戸時代以来の大八車の欠点としては、次のような点があった。これら大八車の問題点の多くが、リヤカーでは金属部材の導入や自転車・サイドカーの手法を援用することで解決されている。ごく細身の型鋼、もしくは鋼管で牽引用の梶棒部まで含むフレーム全体を組み、車輪はオートバイや自転車と同様に金属製のワイヤースポークを利用、車軸はなく、自転車同様のボールベアリングで左右独立支持された両輪間に荷台床を落とし込んだ形態となっている。さらに車輪には空気入りゴムタイヤを填めている。結果、大八車に比して大幅な進歩を遂げた。大正時代後期からは小口輸送向けに、小型トラックの一種であるオート三輪が都市部から普及し始めてはいたが、当時の日本における中小零細事業者の多くにとっては極めて高価なもので、容易に導入できなかった。対してリヤカーは、市井の零細な工場でも製作可能で、ごく安価な存在であり、本格的なモータリゼーション以前であった太平洋戦争前後の長期間、手牽き、もしくは自転車牽引などで、小口輸送の簡便な手段として極めて広範に用いられた。しかし、戦後のモータリゼーション進展で自動車が普及するにつれ、一般的な小口物流の手段としては1950 - 1960年代以降、速力や効率で勝るオート三輪・軽トラックなどに取って代わられ、次第に衰退した。それでも限られた用途ながら、軽便さゆえの長所があり、2000年代でも日本国内での実用例が見られる。日本の公道上におけるリヤカーの扱いについては軽車両に分類されているため、車道を走行しなければならない。中国をはじめとするアジア諸国では一般にリヤカーが浸透しており、自転車と同程度の技術で製造できるリヤカーは庶民レベルの物流の一端を担っている。これらでは日本製オートバイとセットで現地社会に根付き、市場へ農作物を運搬したりあるいは移動販売の店舗に利用されたりといった活動も見られる。また、リヤカーの製造と保守は途上国でも行えるため、1988年に国連を通じて日本からタンザニアへリヤカー製造の技術協力が行われた。
出典:wikipedia
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