飯田町駅(いいだまちえき)は、東京都千代田区飯田橋三丁目10にあった日本貨物鉄道(JR貨物)中央本線の貨物駅である。数少ない高架駅の貨物駅だった。電報略号は「イヒ」。1895年(明治28年)に、中央本線を敷設した甲武鉄道の東京側のターミナル駅として開設された。当時は、小石川橋通に面し、現在大和ハウス東京ビルとなっている場所に駅舎があった。その北側、現在中央本線が通っている場所には頭端式ホーム2面2線があり、構内南側には貨物ホームや機関区・客車区などがおかれていた。1904年(明治37年)8月になると、中野駅まで電化され、国電の元祖と言われる電車運転の始発駅にもなった。1928年に関東大震災の復興に際し、貨客分離を目的とした複々線化工事が新宿駅〜飯田町駅間で完成。これに伴い隣の牛込駅と電車線の当駅を統合し飯田橋駅が開業、当駅の電車線の列車発着は無くなった。その後しばらく長距離列車発着用のターミナルとして営業を続けていたが、1933年(昭和8年)に機能を新宿駅に譲り旅客営業を廃止し、荷物や貨物の専用駅となり、旅客ホームなどは同年中の御茶ノ水駅〜飯田町駅間の複々線化のために取り壊された。なお、旅客営業の廃止後も客車区や貨車区が置かれていた。印刷業や新聞社が多く立地する東京の倉庫不足や到着駅の荷役設備の不備を解消するため、到着基地を備えた流通倉庫の整備が計画された。このため、1971年(昭和46年)4月に日本国有鉄道と製紙会社、通運会社の共同出資で株式会社飯田町紙流通センターが設立され、1972年(昭和47年)11月に当駅構内に流通倉庫が完成した。以降、都心の紙の物流基地として機能するようになり、日本各地からの紙輸送貨物列車が当駅に到着するようになった。なお、流通倉庫は旧貨物ホームに建設されたため、1972年3月に当駅の貨物営業は縮小された。流通倉庫は5階建てで、1階がトラック用荷捌き場、2階が有蓋車用紙積卸ホーム、3・4・5階が紙保管倉庫となっていた。2階に繋がる紙荷役線は2本あり、小型有蓋車(ワム80000形など)20両編成に対応していた。1日当り10列車200両の取り扱いが可能で、その規模は世界最大と言われていた。今の飯田橋駅ホームから南側にホームが見えていて飯田橋駅手前から九段下方向に引込線がカーブしておりDE10が貨物の出し入れをしていた。駅は無くなるまで電化されなかった。駅ホームも飯田橋駅と同じ高さの高架になっていた。流通センターは1985年(昭和60年)前後が最盛期で、1986年度の取り扱い実績は貨車4万6,853両となった。しかし、印刷業や新聞社の印刷工場の郊外移転が進み、JR貨物も車扱貨物のコンテナ化を推進したため取扱量は減少に転じた。当駅は軌道負担力の関係でコンテナ車や大型有蓋車が乗り入れられないため、コンテナは周囲の駅で降ろし、流通センターまでトラックで輸送する方式が採られることもあった。1985年頃の最盛期には1日11本の到着列車があったが、晩年の1996年(平成8年)には2本に減少していた。そして1997年(平成9年)3月に列車の設定が完全に無くなり、1999年(平成11年)3月に駅自体も廃止になった。その後、流通センターも1999年6月に新座貨物ターミナル駅と隅田川駅へ移転した。当駅は、山手線内側に存在する最後の貨物駅だった。駅の跡地はJR貨物本社ビル(現・大和ハウス東京ビル)および複合施設「アイガーデンエア」として再開発され、オフィスビルや飲食店街、ホテル、高層マンションが建設された。貨物列車廃止までの近年の貨物取扱量は下記の通り。
出典:wikipedia
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