伊号第三十三潜水艦(いごうだいさんじゅうさんせんすいかん、旧字体:伊號第三十三潜水艦)は、大日本帝国海軍の潜水艦で、伊十五型潜水艦(巡潜乙型)の14番艦。後述にあるように、3に纏わる事故が多発したことで知られる。当初は伊号第四十一潜水艦と命名されていたが、1941年(昭和16年)11月1日に伊号第三十三潜水艦と改名されている。建造三菱重工業神戸造船所、1942年(昭和17年)6月10日に竣工、一等潜水艦に分類。同年9月25日にトラック港に入港、26日に珊瑚礁に衝突し、艦首第6発射管維持針装置が損傷したため、修理の目的で特設工作船浦上丸に横付けした。修理作業中に艦のバランスを崩し、艦尾ハッチから海水が侵入、33mの海底に着底した。この事故で航海長以下33名が死亡。浦上丸、立山丸の活躍により同年12月29日に引き上げ作業を完了、1943年(昭和18年)3月2日に日豊丸により曳航されトラック出航、呉に入港後呉工廠にて大改修を受ける。1944年(昭和19年)6月13日に伊予灘で急速潜航訓練中に機関室に浸水、由利島付近60mの海底に着底。木片が頭部弁に詰まったためと思われる。復旧作業もうまくいかず、最後の脱出手段としてハッチを開放、乗員2名(ハッチから脱出できたのは3名)が生還したが和田艦長以下102(92)名は死亡した。1944年(昭和19年)8月10日除籍。1953年(昭和28年)7月23日北星船舶工業により浮揚、前部魚雷発射室に空気が残っており引き上げ作業は難航した。前部魚雷発射室では腐敗せずに残っていた乗員13名の遺体が発見され、電動機室からは遺書などが収容された。その後日立造船因島工場で解体されたが、その際に元海軍技術士官だった3名が前部魚雷発射室においてガス中毒で亡くなるという事故も発生した。大日本帝国海軍の潜水艦乗りには「3」またはその倍数などが不吉な数字として嫌われていたという。伊33にはとかく「3」という数字がついてまわったので、戦時中に悪い噂が流れていたといわれる。なお、本艦の「3」にまつわるエピソードには以下のようなものがある。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。