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相武台

相武台(そうぶだい)は、神奈川県座間市と相模原市南区にまたがる地名。1937年(昭和12年)、陸軍士官学校が当時の高座郡座間村(現座間市)に移転してきた(士官学校敷地・演習場は同郡新磯村、麻溝村(いずれも現相模原市)にまたがる)。同年12月20日に行われた同校卒業式に昭和天皇が行幸した際に天皇から同校に相武台の呼称が与えられた。この命名について当時の陸軍大臣であった陸軍大将杉山元は、士官学校(現米軍キャンプ座間)正門内に建てられた「相武臺」の碑に次のように記している(以下、現在の字体に改めた)。なお杉山の説明にある通り、7世紀に成立した相模国は古くは「さがむのくに」と読み、相武国造(さがむのくにのみやつこ)の領域をその前身の1つとする。陸軍士官学校の移転に際して、学校の敷地となる座間村と新磯村とで合併による町制の施行が構想された。しかし「座間町」へ吸収されることを恐れた新磯村側は合併に消極的で、結局座間村は士官学校への天皇行幸のあった1937年(昭和12年)12月20日に単独で町制を施行して「座間町」となった。新磯村では1938年(昭和13年)2月になってようやく「座間」を「相武台」に改めることを条件とする合併案が村会で可決されたが、すでに単独で町制施行を行った座間町の受け入れるところとならず、この合併は成立しなかった。1940年(昭和15年)、相次ぐ陸軍施設の進出を背景に高座郡北部の9町村(座間町・新磯村・麻溝村・上溝町・田名村・大沢村・相原村・大野村・大和村)の合併による相模原軍都建設計画が持ち上がった。その際、合併によって発足する新しい市の名称候補の1つとして相武台市が挙がったが、陸軍士官学校側から「相武台」は天皇から士官学校に下賜された呼称であるから市名として使用することは認められないとの強い反対があり、1941年(昭和16年)4月29日に8町村(大和村が離脱)の合併で発足した町(市制施行は内務省に認められなかった)は高座郡相模原町となった(なお、旧座間町の区域は戦後の1948年(昭和23年)に分離して座間町が再置された)。1941年(昭和16年)1月1日、小田急線の「士官学校前駅」が「相武台前駅」と改称された。同日に「相模大野駅」と改称された「通信学校駅」とともに防諜上の理由からと説明される。同様に相模鉄道(現JR相模線)の「陸士前駅」も「相武台下駅」と改称された。敗戦後、陸軍士官学校が解体されると「相武台」の名称は付近の地名として広く用いられるようになった。相模原市(1954年(昭和29年)市制)と座間町(1971年(昭和46年)に市制施行して座間市)の双方で相武台が公式の行政地名となっている。座間町(→座間市)相武台相模原市相武台公共施設その他

出典:wikipedia

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