


尊属殺(そんぞくさつ、)とは、祖父母・両親・おじ・おばなど親等上、父母と同列以上にある血族(尊属)を殺害すること。狭義では特に、日本の明治刑法の規定で特例があった、自己または配偶者の祖父母・両親など直系の尊属の殺害を指すことが多い。尊属殺人罪は、ローマ法の殺親罪 (parricidium) を元祖として、以来、世界各国で広く認められていた。しかし、近年では、親や祖父母だからという理由のみで優遇すべきだとする思想は、「不公平だ」「法の下の平等に反する」「子供は親を選べないのに、子供を蔑む発想だ」として排除されており、各国においても尊属殺人罪を規定する刑法は、大韓民国(刑法250条)や中華民国(刑法272条)、フランス刑法299条などのわずかな例をみるだけである。かつて日本では、1908年制定の明治刑法により、自己または配偶者の直系尊属を殺した者について、通常の殺人罪(刑法第199条)とは別に尊属殺人罪(刑法第200条)を設けていた。通常の殺人罪では3年以上 - 無期の懲役、または死刑とされているのに対し、尊属殺人罪は無期懲役または死刑のみと、刑罰の下限が高く、より重いものになっていた。この明治刑法は、戦後憲法体制に変わった後も効力を保っていたが、1973年(昭和48年)4月4日に、最高裁判所で石田和外(大法廷裁判長)により、こうした過度の加重規定は日本国憲法下では違憲であると認定され(尊属殺法定刑違憲事件)、それ以降は適用されなくなり、1995年(平成7年)の刑法改訂で正式に撤廃された。そもそも尊属殺人が重罪であると規定とされた要因は、社会道徳を破壊する行為に対する防衛措置としてであった。唐の律令における尊属殺人は、皇帝に対する反逆罪と同様とされ(十虐)、生きたまま身体を切り刻むという一般の殺人犯よりも非常に残虐な方法で処刑されていたという。又、これが長く歴史的に遺されてきた事由は、「"子供は無条件に親を敬うはずだ"」「"子供を威圧したり虐げたりする親(いわゆる毒親)がいるはずがない"」という、親への根拠の無い性善説に基づいていた。この親への根拠の無い性善説は、ヨーロッパ社会を象徴するローマにおいても、アジア社会を象徴する古代中国においても同様であったと言える。これを継受した日本の法制においても、大宝律令において八虐が定められて以来の刑事法の原則とされていた。刑法では尊属殺人罪のほかに尊属傷害致死罪(刑法第205条2項)・尊属遺棄罪(刑法第218条2項)・尊属逮捕監禁罪(刑法第220条2項)という特別の条文を置いて通常の殺人罪・傷害致死罪(刑法第205条)・遺棄罪(刑法第218条)・逮捕監禁罪(刑法第220条)よりも重く罰していた(尊属加重規定)。尊属殺法定刑違憲事件は、実父からの長年の性的虐待に堪えかねて殺害に及んだ事件であり、被告人に特に酌量すべき事情があったが、尊属殺人罪を規定した刑法第200条を適用するならば、最大に減軽(刑法第39条2項の心身耗弱を理由とする必要的減軽により68条第2号を適用した後、67条によりこれに加えて66条に従い情状を考慮して任意的減軽により68条第3号を適用)しても懲役3年6月となり、執行猶予を付すことができない(刑法第25条)。この点を問題として、最高裁判所は尊属殺の重罰規定を違憲判決としたのである。この判決の多数意見(15人中8人)は、尊属殺人罪の規定を置くことは合憲であるが、執行猶予が付けられないほどの重罰規定は法の下の平等(憲法14条1項)に違反するとした。少数意見(6人)は尊属加重罪そのものを違憲とした。最高裁判決の主旨に従うならば、尊属殺人罪の条文を丸ごと削除しなくても法定刑の下限を下げれば憲法違反の状態は解消するともいえる。しかし、最高裁判決後の政府の判断は多数意見と少数意見の対立を考慮し、尊属殺人罪の条文を削除または改正するよりも、法定刑の範囲が尊属殺人罪に比べて格段に広い通常の殺人罪の中で裁量的に判断する道を取り、以後は尊属殺を犯した被疑者に対しても通常の殺人罪を適用して裁くことにした。尊属殺人罪の条文は以後22年間にわたって死文化されたまま刑法の条文中に残った。この間、尊属殺人罪と同様に尊属加重を定めた尊属傷害致死罪などに対しても違憲を訴える裁判が起こされたが、最高裁は「違憲とするほどの重罰規定ではない」として合憲判決を出している。しかし、村山富市政権下の1995年に刑法が改正され(平成7年法律第91号)、条文が文語体から口語体に変更されると同時に、尊属殺人罪だけではなく尊属傷害致死罪・尊属遺棄罪・尊属逮捕監禁罪も含めたすべての尊属加重規定が削除された。特に説明のないものは日本の事件である。
出典:wikipedia
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