主婦の店(しゅふのみせ)は、日本のスーパーマーケットの店舗名などにつけられた名称。主婦連が1949年より開始した「主婦の店」選定運動にて、「主婦の店マーク」が贈呈された店舗のこと。なお、「主婦の店」選定運動とは、品質・衛生面・サービス等信頼のおける「主婦の店」を選ぶ運動で、これによる物価値下げを期待した。物価庁がバックアップし、東京都内の市・区役所を通して投票するシステムで、47万人が投票に参加、857店が選ばれた。結果は、都・市・区役所につながるボス商人の利益になっている・零細小売業者いじめとなっている等の批判を浴び、また、この運動が物価値下げにつながった様子もなく、更に、物価庁がこの運動のためとして1600万円(現在の価値で約1億円超)を主婦連会長奥むめお個人に渡していたことが判明し、運動そのものへの疑問が広がって終わった。日本のスーパーマーケットの端緒である福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)の丸和フードセンター(現・丸和)の社長であった吉田日出男が、中小小売商の生協対策として1957年3月23日に設立したボランタリー・チェーン。吉田は「主婦の店運動」と銘打って全国を飛び回って提携を呼びかけ、この旗印の下で、売り場にレジスターが導入され、セルフサービスを採用したスーパーマーケットが、全国に展開された。シンボルマークとして「風車」を用いていたため、加盟企業のことを「風車系」と呼ぶこともある。主婦の店全国チェーンは共同のテレビCMや、プライベートブランドの展開を行わないなど、あまりスケールメリットを出す施策を打たなかった。そのため、徐々にダイエーなど独自で全国展開を図る企業や、ニチリウグループやCGCグループ、オール日本スーパーマーケット協会等にも同時に加盟し地区展開を図る企業、ダイエーグループやジャスコグループ(現在のイオングループ)などの大手流通企業グループ傘下に入る企業が多くなった。また、加盟企業と出店エリア協定を取交わしていなかったため、本来は中小小売商の生協対策であったはずが、加盟企業同士による出店競争が激化してしまう自己矛盾に陥る状態となり、終焉をむかえた。なお、主婦の店全国チェーンは1998年7月に解散したが、店舗ブランドやシンボルマークである「風車」を現在も使い続けている旧加盟企業もある。
出典:wikipedia
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