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コーカン

コーカン(Kokang、ビルマ語 、中国語 果敢、クオカン、ピンイン:Guǒgǎn)は、ミャンマー、シャン州北部の特区で、漢民族が集住する地区。現在は憲法によって政府から自治権を得ており、自治区となっている。シャン州の北部に位置し、西はサルウィン川、東は中華人民共和国雲南省に接する国境地帯である。コーカン地区の多数派である「コーカン族」は、約400年前、中国の明朝末期に迫害されて雲南省まで逃げてきた民族が起源といわれている。実際には、そうした正統派コーカン族に加え、四川省から流入した人たちが含まれる形跡もある。また第二次世界大戦後に中国雲南省から移住し、そのまま現在に至るまで住み続けている中国人も「コーカン族」と自称している。南京応天府上元県出身の明の軍人で、雲南省順寧府から科干山老夯岩に逃れてきた楊高学の息子楊献才(Yang Hsien-tsai、ヤン・シエンツァイ、Yáng Xiàncái)が陳姓の土司を補佐する内、1739年に土司として統治を始め、興達戸(シンダーフー)と称した。1758年に亡くなってからは、息子の楊維興(Yang Wei-hsing、ヤン・ウェイシン、Yáng Wéixīng)が引き継ぎ、科干山(コーカンシャン、Kēgànshān)の長を名乗り、領地を約10倍に拡大した。1795年に亡くなってからは、息子の楊有根(Yang You-ken、ヤン・ヨウケン、Yáng Yǒugēn)が引き継ぎ、地域の名前を「果敢」と改称した。1840年、息子の楊国華は(Yang kuo-hua、ヤン・クオホワ、Yáng Guóhuá)は清朝から世襲果敢県令を命じられ、1959年まで世襲政治が続いた。1989年のビルマ共産党瓦解後現地勢力はミャンマー中央政府に帰順し、コーカンはその大部分がシャン州第一特別区となった。特別区は、軍事政権側がビルマ共産党の下で反政府活動をしていた少数民族側に、帰順の取引条件として優先的に開発支援を受け一定の自治を認める地区としたものである。特別区は中央委員会を有し、そこでの合議制で特別区の運営が決められていく。コーカンには独自の軍隊である全国ミャンマー民主同盟軍(MNDAA)があり、帰順時には約4000名の兵士を擁した。その後ミャンマー中央政府の攻撃や圧力を受けて2,000名以下に縮小。中央政府は少数民族の武装組織を自らの統制下に置くため辺境警備隊化 (Border Guard Forces Programm) を図っているが、MNDAAの大部分はこれに反対し、2009年8月には中央政府軍の侵攻を受けている。2000年のコーカン地区人口は、約18万人と報告されているがその後の減少は、ケシ栽培の縮小・禁止により景気が悪くなったことにより多くの中国人が中国側に戻ったための減少であると思われる。2003年のコーカン地区の人口は、特別区政府によると約14万人であった。その内ミャンマー人は10万人前後で、その他は中国人と思われる。ミャンマー人の中では漢民族が90%前後を占める。コーカンの漢民族は華僑と異なりミャンマーの先住少数民族と認定され、コーカン族と称される。その他にシャン族、パラウン族、ミャオ族、ワ族、リス族、ペー族、ビルマ族などが住む。ビルマ族はそのほとんどが任期を定めて派遣されている政府派遣の軍人、地方官およびその家族と小学校教師、農業指導員、医療従事者など公共サービス要員である。コーカン地区では2003年に、それまで段階的に削減していたケシの栽培が全面禁止となった。現金収入が減る中、この年、食料や医薬品の不足を背景にこの地区の山間部を中心にマラリアが大流行し、279人の死亡が報告されている。この時、中国から巡回医療チームが派遣され、同時に医薬品も供与された。また、この年から国際連合世界食糧計画(WFP)が食糧支援を続けている。2009年8月8日、ミャンマー警察が武器修理工場(麻薬製造工場と目していた)の摘発を行ったところ、現地の武装組織と戦闘状態に陥り、政府は治安部隊を投入したものの、政府側28人、武装勢力側8人以上の死者を出す激しいものとなり、1万人以上の住民が中国側へ越境するなどの混乱が見られた。また、MNDAA自体も親政府派・反政府派に分裂したともいわれる。リーダーである彭は逃亡し、隣接するワ州連合軍支配地域に匿われているという報道もある。日本政府は2005年5月より、国際協力機構(JICA)がケシ栽培の復活防止と貧困のどん底に陥った山村農民の生活再建のための総合的な技術協力プロジェクト「コーカン特別区麻薬対策・貧困削減プロジェクト」を進めている。日本政府の総合援助プロジェクトの一環である基幹道路整備は、2007年5月にダーシュイタンとコンジャン間約42km の道路補修工事が完了し、コンジャンまで車で2時間半でいけるようになった。それまでは、雨季になると半日かかり、降雨が続くといけなくなることもあったコンジャンへのアクセスが大きく改善されつつある。その結果、農業緊急支援としての肥料配布や、WFP やNGO がおこなっている食糧配給などの支援も入りやすくなってきている。さらにコンジャン地区では2005年から茶の価格が上昇し、農家所得も向上してきている。この茶ビジネスを後押ししたのが、道路改善である。現在はJICAの他、WFP、NGO(World Vision, CARE, AMDA, ADRA, AZG)が支援活動行っている。コーカン自治区は、2つの郡区に分かれる。

出典:wikipedia

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