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B-36 (航空機)

B-36とはアメリカ合衆国のコンソリデーテッド・ヴァルティ(コンベア)社が開発した戦略爆撃機。冷戦の初期段階において、アメリカ空軍の戦略航空軍団(SAC)における主力爆撃機となった。正式な愛称は存在しないが、公式な場でもしばしば「ピースメーカー(Peacemaker)」との表現がなされ、これが半ば公式な呼称となっている。他には「コンカラー」、「ビッグスティック」などがある。第二次世界大戦中に計画された爆撃機であるが、1945年8月に第二次世界大戦が終結したため開発が急がれず、初飛行は1946年8月8日であり、配備は1948年で最終的には1954年まで製造された。大型ジェット爆撃機のボーイングB-52が配備された後の1959年に退役したため、活動した期間が10年前後といった短い機体である。B-36は一機あたり約3000~4000馬力を発揮するエンジンを搭載した6発レシプロ機(プロペラは推進式に主翼の後ろに取り付けられている)であったが、それでも推力不足気味であった。対策として、当時は開発されたばかりのジェットエンジンを左右の主翼に2基ずつ計4基をパイロンで吊り下げて追加装備、空前の10発爆撃機となった。機体表面にはマグネシウム材を用いていた。そのため、同時代の他のアメリカ製爆撃機も同様であるが、墜落事故を起こすと跡形も無く全焼することが多かった。現役時代に起きた大戦争としては朝鮮戦争があったが、本機は全てが核戦争勃発時の主力核爆弾搭載機として温存が図られた。そして、すでに当時は遷音速で巡航できるジェット戦闘機の時代であり、実際に朝鮮戦争に投入されたB-29やB-50がプロペラ機ゆえの飛行速度の遅さによりMiG-15などによる被撃墜が相次いだ。そのため、高価で貴重なB-36に対する同様の被害が懸念され、戦術爆撃機としての実戦投入はされなかった。B-36の起源は、1941年の始め、アメリカの第二次世界大戦の参戦前まで遡ることができる。その時点では後に連合国の同盟国となるイギリスが敗北する可能性も十分考えられ、その場合、B-17やB-24などのこれまでの爆撃機では、ドイツへの戦略爆撃は不可能になることから、アメリカ本土から大西洋を横断してヨーロッパを爆撃できる新たなクラスの爆撃機が必要となるであろうと考えられた。アメリカ陸軍航空軍(USAAC)は最高速度450マイル(724km)/時、巡航速度275マイル(442km)/時、運用高度45,000フィート(13,716m)で高度25,000フィート(7,621m)における最大航続距離12,000マイル(19,312km)という超長距離爆撃機の設計コンペを1941年の4月11日に開示したが、これらは短期的には実現困難であることが分かり、8月19日には最大航続距離は10,000マイル(16,093km)、10,000ポンド(4.53t)の爆弾を搭載しての戦闘行動半径4,000マイル(6,437km)、巡航速度は240~300マイル(386〜482km)/時、運用高度40,000フィート(12,192m)へと引き下げられ、これに対応する爆撃機として開発された。1941年10月16日にボーイングとの競争提案の上、コンソリデーテッド・ヴァルティ社の案が採択され、開発が開始された。コンベア社はB-24の生産もあり、B-36の開発はスローダウンさせられたが、最初のモックアップが1942年7月20日に完成し、設計の調査に用いられた。USAACは対日戦に用いるために、1943年7月23日に100機の量産を命じた。1945年8月までの配備を目指したが、機体の完成は戦争終結後の1945年8月20日であり、初飛行は1946年8月8日であった。部隊配備は1948年6月の第7重爆撃航空団より開始された。B-36は運用が容易ではなく、かつ高価な機体であった。その製造予算獲得は、空軍及び海軍の対立を生み、提督たちの反乱と呼ばれる状況に至った。空軍は航空母艦と艦載機の組み合わせよりも大型爆撃機たるB-36の方が、核兵器を用いた戦略攻撃に有利と主張し、海軍はB-36を'10億ドルの失敗'と強く批判している。海軍はAJ サヴェージやA3Dスカイウォーリアーといった核兵器運用能力を持った大型攻撃機を開発したが、既存の空母では運用に困難があり、格納庫に入れられず露天係止したり、離陸しか行えず着陸は陸上基地で行うといった運用を余儀なくされ、これら機体を完全に運用するには、より大型の空母の建造が必要不可欠であった。結局、空海軍の争いは前者が勝利する形となり、B-36の生産は継続される一方、1949年には大型空母「ユナイテッド・ステーツ」が建造中止となった。ちなみにその後は朝鮮戦争での戦訓より、海軍では再び大型空母建造の機運が生じ、一方の空軍も後継となる大型ジェット戦略爆撃機を開発した。しかし両者とも通常兵器の運用が主となり、核攻撃任務は海軍では戦略ミサイル原潜が、空軍は大陸間弾道ミサイルが主力となっていく。B-36には、各種の派生型のほか、さまざまな試作機が存在する。

出典:wikipedia

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