茨城県道・千葉県道47号守谷流山線(いばらきけんどう・ちばけんどう47ごう もりやながれやません)は茨城県守谷市本町の「乙子(おとご)交差点」を起点とし、千葉県流山市下花輪の「警察署入口交差点」を終点とする県道(主要地方道)である。通称守谷街道。茨城県内では、遅くとも1940年(昭和15年)10月7日には"柏守谷線"として認定されていたと思われる。1959年(昭和34年)10月14日に、茨城県告示第901号において認定(図面対象番号227 守谷流山線 起点の北相馬郡守谷町大字守谷から北相馬郡取手町を経由して終点の千葉県東葛飾郡流山町までの区間)。次いで、1960年(昭和35年)11月4日に千葉県告示536号においても認定(47号守谷流山線 茨城県北相馬郡守谷町大字小山から千葉県東葛飾郡流山町)される。1980年(昭和55年)から2010年(平成22年)までの30年間、利根川を渡河する新大利根橋有料道路が茨城県道路公社の管理で供用されており、現在は無料開放されている。起点の乙子交差点は、国道294号との交点であり、かつては守谷の中心部へ至る銚子街道との交点でもあった。三井不動産によるパークシティ守谷の開発に伴い、新しい道路が完成すると銚子街道の北側が当交差点付近で分断され、2009年(平成21年)の立体交差点化によって南側も分断された。乙子交差点は長らく平面五差路であり、当通りと国道294という2つの主要道路、交差点に隣接して踏切が存在することから渋滞が頻繁に発生し、改善が求められていたが、立体交差化事業(2009年2月23日完成))で改善された。乙子交差点からは、途中に三井不動産によって開発された住宅街であるヒルズ美園を通過し、取手市へ入る。取手市との市境は高低差のある地形となっているが、谷の部分に乙戸橋(おっとばし)を架橋し、道路の起伏を減らしている。乙戸橋より下り坂が続き、すぐに柏市との市境である新大利根橋へと至る。新大利根橋の前後は国道6号の大利根橋を迂回する車が利用することもあるが、この区間は江戸時代から水戸街道の脇道・迂回路として機能しており、新大利根橋のやや東に位置する場所に、かつては七里ヶ渡という渡船場があった。戸頭団地や布施弁天(東海寺)の付近には旧道跡が残っている。柏市内は全線において旧来の農村部と新興住宅地が入り混じる区間となっており、根戸入口交差点で進路を西に変え、花野井木戸交差点まで千葉県道7号我孫子関宿線と重複する。また、花野井木戸交差点で南西へ進路を変え、国道16号と交差し、柏の葉キャンパス駅付近にて首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスと交差する。また、高田原交番まで千葉県道279号豊四季停車場高田原線と重複する。新大利根橋付近には布施弁天の隣があり、隣のあけぼの山公園は、桜の名所として有名である。また、柏レイソルの練習場もある。高田原交番 - 若柴間の慢性的渋滞が問題になっている。その解決策として、若柴交差点から流山方面に向けて四車線化の計画があるが、極一部の地権者が用地買収に抵抗しているため、四車線化は中断されている。流山市内は新興住宅地を中心とした区間となっており、途中、東武鉄道野田線(踏切)、常磐自動車道と交差する。また、江戸川手前で進路を南へ変え、終点の「警察署入口交差点」まで千葉県道5号松戸野田線(流山街道)と重複する。柏市若柴から流山市西初石にかけての一帯は、かつて江戸幕府の牧が置かれ、多数の軍馬が育成されていた。そのため、近隣にはオランダ観音や若柴観音などの馬頭観音、牧の囲いであった「野馬土手(のまどて)」の跡、それに「豊四季」「十余二」の開拓地名が存在する。
出典:wikipedia
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