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NECブルーロケッツ

NECブルーロケッツ(NEC Blue Rockets)はV・プレミアリーグに所属していた日本電気の男子バレーボールチーム。日本で最も早く結成されたチームの一つと言われている男子バレーボールチームであり(当初は9人制)、1938年の関東実業団連盟の結成時には、事務局が日本電気三田工場に設置されたという。1945年に戦後の実業団チーム登録第1号となった。1971年に6人制に移行。1977年に実業団リーグ(現・Vチャレンジリーグ)入り。1982年に初の日本リーグ(現・Vプレミアリーグ)昇格。1984年以降は日本リーグ(後にVリーグ、V・プレミアリーグ)から一度も降格しなかった。2009年5月に休部。チーム名の『ブルーロケッツ』とは、チームカラーでもある『ブルー』は「空」「宇宙」を表していて、『ロケッツ』は21世紀をリードするNECのイメージでありパワー・スピードを備えて未来へと力強く上昇していくことを意味している。練習場は東京都府中市にあるNECニューライフプラザであった。神奈川県川崎市の玉川事業場には女子バレーボール部のNECレッドロケッツ(1978年設立)の練習場がある。日本リーグ・Vリーグ合わせて優勝4回、黒鷲旗全日本大会優勝8回。戦前よりバレーボールチームとして存在しており、1945年に実業団チーム登録。1965年、日本産業人9人制バレーボール男女全国優勝大会で優勝。1971年から6人制に移行し、1973年にチーム強化が始まった。1977年、全日本実業団大会で優勝し、実業団リーグ(現・Vチャレンジリーグ)入りを果たす。そして、第13回実業団リーグ(1981/82シーズン)で準優勝。入替戦で勝利し日本リーグ(現・Vプレミアリーグ)昇格を果たした。初リーグとなった第16回日本リーグ(1982/83シーズン)での成績は最下位と苦しみ、再び実業団リーグに転落するが、第15回実業団リーグ(1983/84シーズン)で優勝し1年で日本リーグ復帰を果たす。第18回日本リーグ(1984/85シーズン)では7位。以後、第19回7位、第20回6位、第21回7位と苦しい戦いを繰り返しながらも残留し続けた。第22回日本リーグ(1988/89シーズン)では自己最高の4位に入る。第23回リーグでは準優勝を果たした。第24回リーグも3位と上位の成績を残す。そして、第25回(1991/92シーズン)リーグでついに悲願の初優勝を果たした。また、その後の第41回黒鷲旗全日本大会でも初優勝を果たし、シーズン2冠を達成。第26回日本リーグは準優勝で惜しくも連覇ならなかったが、第42回黒鷲旗では連覇を果たす。第27回日本リーグでは決勝リーグ6連勝と快進撃、日本リーグ最後の王者となる2回目の優勝を果たした。第43回黒鷲旗でも優勝し、シーズン2冠と黒鷲旗3連覇を達成した。1994年、日本リーグに替わってVリーグが開幕。1994/95シーズン、第1回大会は3位にとどまる。第44回黒鷲旗も準決勝で敗れ、連覇が3でストップした。しかし、1995/96シーズン、第2回Vリーグでは、金子敏和、楊成太、泉水智、大竹秀之ら大型選手をそろえ、念願のVリーグ初優勝を果たした。第45回黒鷲旗でも優勝し2冠達成。1996/97シーズンは、第3回Vリーグでは3位だが、第46回黒鷲旗で連覇を果たす。第4回Vリーグは決勝で新日鉄(現・堺ブレイザーズ)に敗れ準優勝。第5回Vリーグでは2度目のVリーグ優勝(日本リーグを合わせると4回目の優勝)を達成。第48回黒鷲旗でも優勝し4回目の2冠を達成した。第6回Vリーグ(1999/2000シーズン)では3位、第7回大会は4位。また、第8回大会も4位に留まる。第9回大会ではレギュラーラウンドを1位で通過しながらファイナルで苦杯を喫し4位となってしまった。しかし、第52回黒鷲旗では4年ぶりの優勝を果たした。第10回Vリーグ(2003/04シーズン)では、初めてファイナルラウンド進出を逃がし5位に終わる。4強入りを逃すのは、日本リーグ時代も含めて16年ぶりのことである。2004年に楊成太が監督に就任。第11回Vリーグでは、優勝を逃がしたが、細川延由、大村悟らの活躍で準優勝を果たした。第12回大会も3位に入った。2006/07V・プレミアリーグ(Vリーグから名称変更)では7位と低迷し入替戦出場となる。東京ヴェルディに第1試合はフルセットに持ち込まれるが、第2試合はストレートで勝ち、連勝で残留した。第56回黒鷲旗では4大会ぶりの優勝。これが黒鷲旗でのチーム最後の優勝となった。2007/08V・プレミアリーグも7位と低迷し、入替戦で警視庁にストレートで連勝して残留。2008年、竹内実コーチが新たに監督に昇格。2008/09V・プレミアリーグでは、レギュラーラウンド第2レグで5勝2敗の成績を残し、前半戦を終えた時点で8勝6敗の2位タイ(セット率で5位)につける。しかし、第3レグで星を落とし順位も6位に落とす。そして、最終第4レグでは最後に5連敗を喫し7位の豊田合成トレフェルサに順位で逆転され、結局7位で終了しV・チャレンジマッチ(入替戦)出場となる。V・チャレンジマッチの前となる2009年4月1日、NECが経済不況による経営状況悪化を受けて、ブルーロケッツの廃部・活動停止を検討していることが判明する。V・チャレンジマッチでは、富士通に2試合とも3-1で勝利。第58回黒鷲旗は準々決勝でサントリーサンバーズにストレートで敗れ敗退となり、この試合がチーム最後の公式戦となった。検討されていた一括移籍も叶わず、5月31日をもって休部となった。2009年5月の活動休止時のメンバーは、下記の通り。

出典:wikipedia

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