勝ち組(かちぐみ)とは、1945年8月のポツダム宣言受諾後も、日本の敗北を信ぜず、「日本は戦争に勝った」と信じていた在外日本人のグループのこと。1945年8月に日本がポツダム宣言を受諾して太平洋戦争が終結した後も、ブラジルを主とした南米諸国や米国ハワイ州などの日系人社会および外国で抑留されていた日本人の中には、敗戦という現実を受け入れられずに、「日本が連合国に勝った」と信じていた人々がいた。こうした人々は「勝ち組」、戦勝派などと呼ばれた。一方で、敗戦の事実を認識し、戦勝派を納得させようとした人たちは、認識派、負け組などと呼ばれた。ブラジルでは、1946年3月以降、戦勝派の過激分子・特行隊による、認識派を狙ったテロ事件が頻発、同年7月末には日本人とブラジル人の間に騒乱事件が起きて戦勝派の組織・臣道連盟の会員が検挙され、ブラジル国民の対日本人感情が悪化した。認識派は米国総領事館を通じて戦勝派の日本の親類・友人にはがきの送付を依頼し、またスウェーデン政府、米国務省、GHQおよび日本政府も協力して、日本の新聞・映像フィルムを取り寄せるなどした結果、1947年1月の暗殺事件の後、対立は沈静化へ向かったが、対立の影響は1950年代半ばまで残った。「戦勝」の思い込みの原因について、は、を挙げている。または、を挙げている。なお、高度経済成長期末の1973年にブラジルから日本に帰国した「勝ち組」の家族3組が、「ほら見ろ、日本はこんなに豊かになっている、やっぱり日本は勝ったんだ。」といった趣旨の発言をしていたという。は、ペルーでは1945年8月15日以降、勝ち組と負け組の対立が起こり、1952年3-5月に岡安が現地を訪問したときにも、ペルーの在留日本人7,000-10,000人の中に勝ち組の人がなお700-800人残っていて、ペルーを訪問した岡安のもとへ勝ち組の人が面会に来たが、事情を説明しても日本が負けたことに納得しない人もいた、と報告している。同書では、勝ち組が生まれた原因として、終戦の頃、上海方面から、主としてユダヤ人が日本紙幣の売込みに来て、日本紙幣を買わせるために当時の大本営発表を誇張して日本が勝利するかのように伝え、日本の軍艦が日系人を迎えにやって来るなど吹聴したことを挙げている。勝ち組の人々は、紀元節を祝い教育勅語を読むなど戦前のままの思想・教育を続けており、ペルー政府からも懸念されていたという。
出典:wikipedia
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