三遠ネオフェニックス(さんえんネオフェニックス、)は、愛知県豊橋市を本拠地としてB.LEAGUEに所属するプロバスケットボールチームである。略称は「三遠」。2007-08シーズンまで所属したJBL時代のチーム名は「オーエスジーフェニックス東三河」、2015-16シーズンまで所属したbjリーグ時代のチーム名は「浜松・東三河フェニックス」であった。チームの特徴オフェンスは走るバスケを展開。「日本一厳しい練習をしている」といわれる程、徹底して全員で走る全員バスケを展開し、相手を圧倒して、前半で勝負を付ける試合も少なくない。ディフェンスはハーフコートマンツーマンとゾーンの2つを採用している。チームカラーマスコットチームスローガンチアダンスチームアリーナDJアリーナアイドルオフィシャルアーティストオフィシャルソングユニフォームスポンサー過去のユニフォームスポンサーユニフォームサプライヤースポンサー各種工具・機械部品メーカーであるオーエスジーのバスケットボール部として1965年創部。創部者である大沢茂樹により「不死鳥のように」との願いを込めて「オーエスジーフェニックス」と名づけられた。同社はOSGフェニックス&モトスポーツと言うチーム名でスーパーバイクを中心とするモーターサイクルレーシングにも参戦している。また一時期、オーエスジーが運営していたパソコン教室の名前にも「フェニックス」の名が使われていた。1985年、愛知県実業団リーグに登録。11部からスタート。毎年各部優勝と昇格を決め、1994年に2部昇格。1995年、全日本実業団バスケットボール選手権大会に初出場。 1997、98年の全日本実業団選手権で連覇。1998年には全日本総合バスケットボール選手権大会(オールジャパン)に初出場。同年4月、共同石油女子バスケットボール部(現・JXサンフラワーズ)の強豪化に導いた中村和雄が監督に就任する。1999年、全日本実業団バスケットボール競技大会で優勝し日本リーグ昇格。2000年、オールジャパンに出場しベスト8を決め、日本リーグ2部でも優勝を果たす。いすゞ自動車ギガキャッツとボッシュブルーウィンズの撤退に伴い、新潟アルビレックス(現・新潟アルビレックスBB)とともに2002年よりスーパーリーグに参戦。奇しくも新潟アルビレックスとは、その後、bjリーグで再会を果たすことになる。オールジャパンでは2003年と2007年にベスト4進出、2005-06にはスーパーリーグ準優勝を果たす。プロ化に対しては積極的であり、旧JBLがプロ化を見据えて日本バスケットボールリーグ(JBL)を発足した際には最初に参加に手を上げた。2007年からはチーム名に「東三河」を付けた「オーエスジーフェニックス東三河」とし、豊橋市総合体育館をホームアリーナとした。2007年のシーズン終了後、2008年からのbjリーグへの参戦を検討を始めた。理由として、新リーグがプロ化するにあたり、参加予定の8チームの中でオーエスジーを含めた3チームしかオールプロのチームではなかったことに加え、地域密着を目指すオーエスジーの方針が同じく地域密着を目指すbjリーグの方針と合致したことなどが挙げられる。また、月刊バスケットボールのインタビュー記事で「我々は30年以上日本連盟でプレーしてきたが、何も変わらなかった。プロリーグであるbjリーグに転籍すれば間違いなく変われる。」とインタビューで述べていることから、転籍に対して相当な意気込みを見せている。2007-08シーズンはJBL新リーグに参加。その後bjリーグ参加申請の結果、2008-09シーズンからの参加が可能になった。また、bj転籍に伴い浜松市と豊橋市を含む愛知県東三河地区とのダブルフランチャイズとしたため、チーム名は「浜松・東三河フェニックス」に変更となった。略称は自治体名の「浜松」であった。ホームアリーナは豊橋市総合体育館のみから静岡県浜松市の浜松アリーナと浜北総合体育館、愛知県東三河の豊橋市総合体育館、豊川市総合体育館に増加する。2008-09、2009-10の2シーズンは東西交流戦のうちの2試合を北海道旭川市で開催していた。練習拠点は引き続き豊川市のオーエスジースクエア(オーエスジー豊川工場の敷地内にある)に置く。チーム運営会社は株式会社フェニックスコミュニケーションズとなり、オーエスジー本社は出資企業のひとつとしてチーム運営を継続する他、浜松・東三河地区の企業の出資も仰ぐ。なお、参入決定後、既にbjリーグに参戦しているライジング福岡とのプレシーズンも予定されていたが、JBL及び日本バスケットボール協会に認められず中止になった。JBL、そしてオーエスジーフェニックス東三河としてのラストシーズンは総合3位で終えた。シーズン終了後、オーエスジーフェニックス東三河に所属していた選手は全員移籍選手リストに提示され、川村卓也、朝山正悟といった日本代表級選手がJBLの他チームに移籍し、大口真洋、太田敦也、岡田慎吾、堀田剛司といった選手が浜松・東三河フェニックスに残留し、新たに孫明明、ジョシュ・ペッパーズ、アダム・ザーン、アンディー・エリスらが加わった。また、初代ヘッドコーチには前オーエスジーフェニックスの中村和雄が就任する。bjリーグ開幕に先立ち、10月に浜松アリーナでの東京アパッチ戦と、ロシアの強豪でユーロリーグ出場歴のあるMBCディナモ・モスクワとのプレシーズンを敢行した。記念すべき開幕戦は10月18日に仙台89ERSとの試合を行い、勝利を収めた。シーズン中には5連敗を喫し、選手の入れ替えをするなど苦戦した時期もあったが、シーズン後半に2度の10連勝を記録。転籍1年目はイースタンカンファレンス1位でプレイオフに進出する。カンファレンスセミファイナルでは新潟アルビレックスBBを下すがカンファレンスファイナルで東京アパッチに惜敗、3位決定戦で大阪エヴェッサを破り参入初年度は総合3位という成績で終えた。レギュラーシーズンでは2008-09シーズンの琉球ゴールデンキングスと並ぶシーズン最高勝率(.788)を記録し、2年連続イースタンカンファレンス1位でプレイオフに進出する。カンファレンスセミファイナルでは東京アパッチと対戦し、2連勝でファイナル4に進出。カンファレンスファイナルでは大口真洋がbjリーグ新記録となる10本の3ポイントシュートを決める活躍を見せ、新潟アルビレックスBBに逆転勝利。ファイナルでは大阪エヴェッサを破り、bjリーグ初優勝を果たした。イースタンカンファレンスのチームが優勝するのは初めてである。レギュラーシーズンMVPにはウェンデル・ホワイト、プレイオフMVPは大口真洋がそれぞれ受賞した。プレシーズンマッチとして行なわれたbj-KBL チャンピオンシップゲームズでは蔚山モービスフィバスと対戦、1勝1敗だったものの得失点差で勝利し日本勢として初の単独優勝となった。2011年1月15日に行われた高松ファイブアローズ戦(豊橋)での勝利をもちbjリーグレギュラーシーズン通算100勝に到達。勝率.870(40勝6敗)というリーグ新記録でこのシーズンも地区1位となりプレーオフに進出。中心選手だったジャメイン・ディクソンが東日本大震災の影響で退団・帰国しプレイオフに向けてチームの再構成を迫られた(なお、ディクソンは翌シーズンに復帰)。カンファレンスセミファイナルでは富山グラウジーズに、カンファレンスファイナルでは新潟アルビレックスBBにそれぞれ勝利し、ファイナルでも琉球ゴールデンキングスを下して連覇を達成。なおMVPはジェフリー・パーマーがレギュラー・プレイオフの両方で受賞している。シーズン終了後に中村HCが契約満了に伴い退団、秋田ノーザンハピネッツのHCに就任。新HCにはチーム統括だった河合竜児が就任。開幕直後に新規参入チーム横浜ビー・コルセアーズ、千葉ジェッツとの4連戦で1勝3敗とつまづいたが、その後外国籍選手の入れ替えなどで立て直して、4シーズン連続でイースタンカンファレンス1位となる。プレイオフカンファレンスセミファイナルでは新潟アルビレックスBBを、カンファレンスファイナルでは横浜を降してファイナルに進出したが、ファイナルで琉球ゴールデンキングスに敗れて3シーズン連続優勝はならなかった。リーグ加盟から昨シーズンまではイースタンカンファレンス所属だったが、このシーズンよりウエスタンカンファレンス所属に変更された。2013年3月に河合HCが解任され、東野智弥が就任。ウエスタンカンファレンス6位となり、初めてプレーオフのホーム開催権を逃す。プレーオフウエスタンカンファレンスファーストラウンドでは3位の島根スサノオマジックと対戦して2連敗で敗退。下位チームとの対戦が続いたシーズン中盤に9連勝を記録し、一時は2位争いをしていたが、終盤の3,4月に連勝を一度もできずウェスタン4位に順位を下げた。プレイオフ・カンファレンスファーストラウンドでは5位のライジング福岡に勝利したが、カンファレンスセミファイナルでは琉球ゴールデンキングスに完敗した。レギュラーシーズンではウエスタンカンファレンス3位でプレイオフに進出する。カンファレンスセミファイナルでは琉球ゴールデンキングスと対戦し、2連勝でファイナル4に進出。カンファレンスファイナルでは、滋賀レイクスターズに勝利。ファイナルでは秋田ノーザンハピネッツを破り、bjリーグ4年ぶり3回目の優勝を果たした。レジー・ウォーレンを始め、実績のある外国人選手を獲得して開幕を迎えた。シーズン中は相次ぐ外国人選手の入れ替えなどもあり苦戦するが、レギュラーシーズンをウエスタンカンファレンス4位で通過し、プレイオフホーム開催権を得る。プレイオフウエスタンカンファレンスファーストラウンドでは滋賀レイクスターズと対戦。第1戦はオーバータイムに突入するなど一進一退の争いを繰り広げたが連敗でセミファイナル進出を逃した。シーズン終了後、東野HCが契約満了となり、日本バスケットボール協会の技術委員会委員長への就任が発表された。これまでNBLとTKbjリーグに分裂していた男子プロリーグを統合する形で2016-17シーズンより発足するB.LEAGUEのB1中地区へ初年度より参入することが決定。合わせて、リーグ発表の公式なホームタウンを豊橋市、ホームアリーナを豊橋市総合体育館に定めることを決定し、2016-17シーズンはホームゲームの8割を豊橋市総合体育館、残りの2割を浜松アリーナで開催することが決定した。これによって、JBL時代からホームゲームを開催してきた豊川市総合体育館を始め、豊橋、浜松以外での開催はなくなった。また、リーグが定めた規定により、2016年7月1日よりクラブ名を「三遠ネオフェニックス」へ変更することが発表された。クラブOBの藤田弘輝が新ヘッドコーチ(3年契約)に、河内修斗がアソシエイトヘッドコーチに就任した。前シーズンに所属していた大石慎之介、大口真洋、太田敦也、川満寿史、岡田慎吾、並里祐、田渡修人の7名と契約を継続したほか、新たに奈良から鈴木達也、信州から鹿野洵生を獲得、外国人選手では2014-15シーズンに優勝へ貢献したオルー・アシャオルを始め、ロバート・ドジャー、リチャード・ロビーの3選手を獲得した。ゲーム差は()外は1位、()内はプレイオフ圏との差をそれぞれ表している。1試合最多得点1試合最多リバウンド1試合最多アシスト1試合最多ブロック1試合最多スティール1試合最多ターンオーバー得点失点関連記録連勝記録最多観客動員試合最少観客動員試合年度別観客動員記録会場別観客動員記録最多観客動員試合最少観客動員試合年度別観客動員記録会場別観客動員記録 「Saturday Sports Beat」内「Phoenix Booster Beat」
出典:wikipedia
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