市内線(しないせん)とは、かつて香川県高松市に存在した高松琴平電気鉄道の軌道線(路面電車)。元々、公園前 - 出晴駅(後、瓦町駅に統合)間に鉄道路線を有していた東讃電気軌道 - 四国水力電気(後、高松琴平電気鉄道志度線)の路線を、公園前からさらに高松駅前を経由して築港まで延伸する際に、市街地の道路を通すため軌道線扱いにして開通させたものである。その経緯から志度線と直通運転をしており、末期には長尾線とも直通していた。その後、利用者増加のため複線化工事が行われたり、運営母体が讃岐電鉄・高松琴平電気鉄道と変わるなどといった動きがあったが、1945年(昭和20年)の高松市空襲で甚大な被害を受けて志度線の公園前駅 - 瓦町駅間と同時に休止となった。戦後の資材難と都市計画により軌道としての復活は断念されて施設の撤去が行われ、1947年8月2日に完了した。休止から12年後の1957年に正式に廃止となった。栗林公園 - 天神前交差点までは現在の香川県道173号高松停車場栗林公園線が、天神前交差点 - 高松市役所まではその東側に並行する狭い市道が本路線のルートにほぼ相当するが、高松市役所以北では戦後の都市計画で当該道路が廃止され、市街地の一部となった。廃線時1944年5月当時大護寺前駅は開業当初「八本松駅」という名称であった。八本松というのは八本の松があることに由来する広場状の辻の名前で、現在の天神前交差点にあたる。大護寺というのはそこから南進して西側に位置していた大寺である。この山門にある松は枝が道路上に大きくせり出すほどの大木であり、市内線建設時にはそれが障害となって架線を支える電柱が建てられなかった。会社側は寺に対してこのせり出した枝を切らせてもらえるよう交渉をしたが、あえなく断られ、やむなくこの部分のみは複数の鉄柱を組み合わせて枝を取り囲むような構造で建設した。当時は電柱といえば木造が普通であり、複数の鉄柱を使用し、なおかつ複雑な構造にしたことで建設費が増大する結果となった。そのような紆余曲折がありながらも何とか開通にこぎつけたが、開通後大護寺から苦情が入る。この鉄柱を足場にして寺の土塀を乗り越え、泥棒が入るという。これを受けた会社側は対策として鉄柱の周囲に鉄板を張ったが、以後も寺からは様々な理由で苦情が入った。寺と会社側は大いに揉めた挙句、会社側が大きく妥協して寺の最寄り駅であった八本松駅を大護寺前駅に改称して、それを以って寺の宣伝とすることで決着した。以後、駅の正式名は大護寺前となったが、八本松に位置するという所在は変わらなかったため、この駅は通称として引き続き八本松とも呼ばれていた。社名・路線名は廃止時点のもの
出典:wikipedia
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