ビル・ブルーフォード(Bill Bruford、本名:William Scott Bruford、1949年5月17日 - )は、イギリス・ケント州セブンオークス出身のドラマー、パーカッショニスト。「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において6位。プログレッシヴ・ロック、ジャズ・ロック界を代表するドラマーの一人であるばかりか、英プログレッシブ・ロックの歴史を体現した人物である、といっても過言ではない。在籍したバンドはイエス、キング・クリムゾン、U.K.、ジェネシス(ライヴ・サポートのみ)、ナショナル・ヘルスなど大物、或いは重要バンドばかりである。日本では長い期間「ブラッフォード」(もしくはブラフォード、ブルフォード、ブルッフォード)と表記されてきたが、「ビル・ブルーフォード」がより原音に近い表記である。本人が表記の修正を以前から強く希望してきたものの、主要メディアは応じていなかった。しかし、自伝Bill Bruford The Autobiographyの日本語版において、本人公認の「ブルーフォード」表記が採用されたため、本記事における記載はこれに準ずる。ジャズ好きの姉の影響で、幼少の頃からジャズに興味を持ち、子供の頃はLPレコードのジャケットをスネア・ドラムの代わりにしてブラシで叩いて、ジャズのレコードの演奏にリズムを合わせて遊んでいた。15歳の時にバンドを組んでライヴ活動を開始しているが、その当時はドラマーではなく、ベースを担当していた。プロのドラマーとしての活動はイギリスのバンド、サヴォイ・ブラウンのツアーで始まる。しかしバンドはすぐに解体し、ギャラも支払われることもなく(従って彼自身はこれをプロのキャリアとしては認めていない)終わっている。2009年に発表されたビルの自伝The Autobiographyにおいて、メロディ・メーカーの広告でジョンとクリスに出会い、1968年7月から9月いつも一緒にいたと記述されている。ロンドンのザ・ラッキー・ホースシューというコーヒー・バーの地下室でイエスとリハーサルを行った後、いくつかの小さなライブで成果を出しつつあったが、10月にリーズ大学の学籍をどうするか悩み、学業を選んでいったん脱退した。ビルの抜けた後にイエスは別のドラマー を入れて活動したが、あまりに酷い演奏だったため、ロイヤル・アルバート・ホールで行われるクリームの解散コンサートの前座での演奏にビルを招聘。これがきっかけとなりイエスに加入した。2011年6月に彼のオフィーシャル・サイトに掲載された彼自身からの情報によると、イエスはその前身バンドとされているメイベル・グリアーズ・トイショップが改名して「イエス」になったのであり、メイベル・グリアーズ・トイショップのドラマーであったボブ・ハガー(Bob Hagger)が当初はイエスのドラマーであったとされている。(ジョン・アンダーソン、クリス・スクワイア、ピーター・バンクス、ボブ・ハガーの4人が並んで寝そべっている写真も公開されている)参加するバンドやプロジェクトによって、使用するドラムセットのセッティングが大きく異なる。自身のバンドでもブルーフォード時代にはシェルがなく、音階が明確なレモ社製の「ロートタム」を多用していたが、初代アースワークスではエレクトリックドラム「シモンズ」に転換。再結成したアースワークスでは通常のドラムながら、ハイハットシンバルをリモートケーブルを使用しスネアドラムの前方(バスドラムの上)に設置。タムをスネアドラムと同じ高さにして左右対称に配置する独特のセッティングを行っている。なお、硬質ゴムのパッドは関節への負担が大きいことから90年代後半からシモンズはほとんど使用せず、メッシュヘッドを使用する近年のエレクトリックドラムも「アコースティックドラムのほうが細かいニュアンスを表現できる」との理由から使用していない。1989年~1990年のアンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウのツアーではシモンズを多用していたが、バス・ドラムに関しては、最終公演地の日本ではアコースティックドラム使用に替えられたドラムセットにされていた。彼のドラムで最も特徴のある音は、高いピッチにチューニングされているスネアドラムである。これは、イエスのメンバーとしてライブを行っていた時期、まだPAの存在しなかった頃で、ちゃんとリズムの刻みが観客に聴こえるように自分で考えて工夫した結果、とインタビューで述べている。また、自身がパワーのあるプレイヤーではないため、リムショットを多用したと自身のドラムクリニックビデオでも説明している。再結成キング・クリムゾンに加入した頃から、エレクトリック・ドラムの「シモンズ」を愛用している。彼の場合はシモンズのセットと従来のアコースティック・ドラムのセットとの混在した独自のセットを使用している。シモンズを導入したのは彼が最も早期で、その後も最も長い期間使用してきたことから、彼は「シモンズの最初で最後の使用者」と呼ばれている。(1981年から1998年まで使用)
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。