京成3050形電車(けいせい3050がたでんしゃ)は、1959年から1995年まで京成電鉄に在籍していた通勤形電車。本稿では、千葉急行電鉄(現・京成千原線)にリースされた3050形についても記述する。京成電鉄が創立50周年を迎えた1959年(昭和34年)9月に、3000形に続く東京都交通局の都営地下鉄線(後に1号線、さらに浅草線へと改称)への乗り入れ車両として登場した。3051 - 3076の2両編成13本、計26両が製造された。京成電鉄では、都営1号線への相互乗り入れ前に全線で線路幅の改軌工事(1,372mm → 1,435mm)が1959年10月から11月にかけて行われ、本形式は1,435mm標準軌の台車で登場した。工事の終わった区間から本形式が順次営業運転に投入されたほか、在来車の台車も順次交換された。台車軌間以外の3000形との相違点は以下の通り。1970年代初頭に屋根部の二段構造(モニタールーフ)を廃してベンチレーター(通風器)を設置し、正面運行番号表示器も移設された。「赤電」各形式の中では最も早く更新が開始された。最初に施工されたのは3051 - 3052で1976年(昭和51年)10月に出場した。1977年(昭和52年)夏 - 1978年(昭和53年)秋は、3000形の更新を施工した関係で当形式の更新は一時中断し、その後1979年(昭和54年)1月から1980年(昭和55年)6月に残りの車両が施工された。主な内容は以下の通りである。3075 - 3076は成田空港方の電動車ユニットとなり、基本4両編成に連結して6連で運用した。1980年2月以降に更新した3069 - 3070・3071 - 3074は、ファィアーオレンジ1色にモーンアイボリーの帯を巻いた塗装で出場し、他車も1980年(昭和55年)5月の3051 - 3054を皮切りに1981年7月の3067 - 3068・3075 - 3076を最後に同塗装に変更された。更新後は、3000形とスタイルも同一なことから、同形式のように扱われ、3000形との混結も珍しくなかった。3000形は3009 - 3014で完全中間電動車2両ユニット3組、3050形で3075・3076の成田空港方余剰ユニット1組があること、全電動車編成で加速性能も良いことから、6連で優等列車に使用される頻度が高かった。3100形コイルバネ台車装着車の3101 - 3116が更新されてから当形式の冷房搭載(後述)までの間、これらのユニットと6連を組むこともあった。この期間の改造点を記す。1990年(平成2年)3月より3059 - 3062を皮切りに冷房装置の搭載を開始し、同時に種別・行先表示器も設置された。以下に変更点を記す。改造とはいえ、外観は3000形と同様の前照灯上部中央2灯のスタイルから冷房搭載後の3100形近似スタイルに変化したが、車体形状や骨組みの位置の違いから前照灯位置が100mm下に設置された(運行表示窓や急行灯が有った位置と思われる)他、側面乗務員室扉のサイズが異なっていた。1990年4月出場の3063 - 3066以外は定期検査出場時に行われた。1990年8月出場の3051 - 3054から室内天井の白塗装箇所(蛍光灯両脇から荷棚に掛けて)が再塗装された。初期に施工された3059 - 3066も次期定期検査出場時に再塗装された。1991年(平成3年)3月に出場した3067 - 3070編成で3051 - 3074の4両6本、計24両の工事が完了した。この工事と同時に東洋電機製造製TDK810/4Dモーターを装着する3051 - 3066は同一新品のモーターに交換された。1983年(昭和58年)春の3150形以来、8年間にわたって継続されて来た冷房搭載工事は3050形をもって終了し、対象から外れた2両余剰ユニットの3075・3076は1991年3月末に3000形と共に廃車されたため、京成は車両冷房化率100%を達成し、同時に行先標も姿を消した。冷房搭載後の当形式は4連・6連運用が主になり、普通運用から特急運用まで幅広く使用された。6連に関しては、先頭台車が電動台車のため、北総開発鉄道北総・公団線(現・北総鉄道北総線)や京浜急行電鉄本線・空港線にも乗り入れた。1990年末 - 1991年初頭には3059 - 3062で3100形コイルバネ台車装着車2両ユニットの3111・3112を上野寄りに連結した6連運用も存在したが、その後は他形式と連結する事例はなかった。また、1990年と1992年(平成4年)の夏には8連で組成され、2回とも3059 - 3062+3063 - 3066の組成であった。当形式は現行標準色への塗装変更の対象からは外れ、「赤電」各形式の塗装変更を開始した1993年(平成5年)6月以降に定期検査出場した車両もファイアーオレンジ塗装であった(3067 - 3070が1993年12月上旬に出場したのみ)。1994年(平成6年)10月11日 - 20日に鉄道の日・改軌35周年イベント行事に関連して、3059 - 3062が登場時のツートーンカラー(前述)に変更された。その時は同編成をあしらった記念乗車券も発売された。期間中、同編成は日替わりで特設ダイヤが組まれ、イベント終了後も1995年(平成7年)2月中旬に廃車されるまで、4連運用のダイヤで運用された。1991年3月、3075・3076が冷房搭載工事の対象から外れ、非冷房車のまま廃車になった(前述)。1993年3月には3400形の登場にともない、3051 - 3054・3063 - 3066が京成の通勤冷房車として初めて廃車された。1994年1月には3071 - 3074が千葉急行電鉄にリースされ、車体塗装はブルーベースにホワイトの太帯に変更された。これは1992年4月の開業以来リースされていた京急1000形初期車1032 - 1029を返却するためで、塗装もこの1000形と同一であった。京成独自の車両を他社にリースする事、新性能車の他社への移籍も初めての事例であった。1993年9月には3055 - 3058が検査期限が近いことから予備車扱いとなり、1994年2月を最後に運用を離脱した。その後暫くは車庫に留置されていたが、1994年9月末に廃車になり解体された。この編成は、冷房搭載前の1982年(昭和57年)5月と1984年4月に、3600形新造車の宗吾車庫への搬入にも使用された実績があった。1995年2月には前述した旧塗装編成の3059 - 3062が廃車になり、その後解体された。同編成は定期検査期限延長のため、1994年4 - 9月の土・日曜日・祝日は運用に出さず、京成津田沼留置所で休車扱いとなり、走行キロ数を抑えた。1995年3月末には、3067 - 3070が前述した3071 - 3074と同様に塗装変更の上、大森台 - ちはら台間の延伸用として千葉急行へリースされた。これにともない当形式は千葉急行へのリース車として2本が残るのみになった。1995年度は京成電鉄で3700形8両編成4本(32両)と3400形8両編成1本(8両)計40両が増備され、3100・3150形にも余剰車が発生した。1996年(平成8年)1月に3100形3125 - 3128を千葉急行にリースすることになり、3071 - 3074は京成に返却され廃車・解体された。続いて1996年3月には3100・3150形3121・3122・3157・3158も千葉急行にリースすることになり、3067 - 3070は京成に返却され廃車・解体された。この時点で、3050形はリース車も含め全廃となった。冷房搭載後の運用期間は約3 - 5年と短かったため、冷房装置・扇風機・電動発電機等の廃車発生品は、在来車(3600形以前の形式)の古い部品と交換することなどで再用された。また、一時期芝山鉄道へリースする計画もあったが、開業が大幅に遅れたため、結局3600形1編成を充当して2002年(平成14年)10月の開業を迎えた。
出典:wikipedia
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