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転校生 (映画)

『転校生』(てんこうせい)は、1982年(昭和57年)に公開された日本映画。山中恒の児童文学『おれがあいつであいつがおれで』の最初の映画化作品。公開時の併映は『オン・ザ・ロード』。2007年(平成19年)に、リメイク版が公開された。ロケを行った土地にちなみ、1982年版を「尾道転校生」、2007年版を「長野転校生」と呼び分ける向きもある。この映画が製作された当時、監督をつとめた大林宣彦はCMディレクターから映画に進出して5年目、すでに5本の劇場映画を監督してヒット作も多かったものの、映像の遊びが多い作風は評論家受けが芳しくなく、名声が十分に確立されていたとはいえなかった。また、主演の尾美としのり・小林聡美もほとんど無名の俳優であり、さらに、「男と女の身体が入れ替わる」という内容が、当初は出資を決めていたサンリオの当時の社長が「破廉恥。わが社の社風に合わない」という社長判断を下し撮影開始の二週間前に出資が中止されるなど制作費の調達は極めて厳しい状況だった。前2作で大林がタッグを組んでいた角川春樹にも打診したが、原作本が角川書店ではなく旺文社から出ていたことで断念した。大林は「一時期はクランクアップが危ぶまれるところまで追い込まれた」と述べている。尾美としのりも小林聡美も、1か月以上もリハーサルを続けて、映画の仕上がりも見えていた段階だった。大林が大森一樹のレイ・ブラッドベリ作品のプロデュースをしようと、打ち合わせで新宿でATG代表の佐々木史朗に会った際、大森が「大林さんの映画が潰れかけています!」と佐々木に救済を頼み、渡された台本を読んだ佐々木から「こういう映画を観たいから、ぼくが何とかする」との回答を得て製作に漕ぎ着けた。ATGは佐々木体制になって製作する映画の傾向が変わった。「大森の"レイ・ブラッドベリ"が『転校生』に移行し、大森の"レイ・ブラッドベリ"は実現しなかったが、後述する理由で多少の借りは返したかも知れない」と大林は述べている(詳細は後述)。佐々木が当時映画製作を始めようとしていた日本テレビに話を持ち込み、1981年9月に入って映画の完成後、日本テレビ作品となった。『転校生』はゴールデンウィークに4年連続で放映され高視聴率を挙げたので「お返しは出来た」と思うと大林は話している。大林はこの他、「尾道の中田貞雄商工会議所会頭(当時)の個人的な資金援助の協力があった」と話している。公開後、地味だが極めて良質の映画という評価がなされ、参加スタッフ・出演俳優の代表作になった。また、その後の大林作品と組み合わせて「尾道三部作」と呼ばれるようになり広島県尾道市を観光都市として世に知らしめることになった。1980年代の日本映画界を代表する映画のひとつと評され、更に地元との協力関係の中で映画を作るという手法も注目を集め、それはその後全国各地のフィルム・コミッション誕生へとつながっていった。大林は「もし『転校生』が生まれてなかったら、あとの尾道映画が続かなかったかもしれない」と述べている。少年と少女が入れ替わるという設定は「とりかへばや物語」やサトウハチローの「あべこべ玉」、『へんしん!ポンポコ玉』など以前からあるが本作以降の設定を持つ作品は『転校生』を例えとして語られることが多い。これ以降、NHK、民放とも『おれがあいつであいつがおれで』を原作に『転校生』の要素をいいとこ取りしながら何度もテレビドラマ化がなされた。また劇化されて舞台にもなり、漫画化もされ、韓国でも映画化もされた。「大林は韓国でも有名」とクァク・ジェヨンが話していたという。2007年のTBSドラマ『パパとムスメの7日間』は、"平成版・転校生"ともいわれ劇中パパとムスメが『転校生』を参考に神社の階段から転げ落ちて入れ替わりを元に戻そうとして失敗、パパ役の舘ひろしが「映画では上手くいったのに」と話すシーンがある。2014年のNHKドラマ『さよなら私』は、"熟女版「転校生」"不倫ドラマ版「転校生」"などといわれ神社の階段から転げ落ちて主人公の二人が入れ替わるというシチュエーションも使われ、本作のラストのセリフがドラマタイトルになっており他に尾美としのりが出演するなど『転校生』へのオマージュを感じさせる。山中恒の原作『おれがあいつであいつがおれで』では「さよなら、あたし」という台詞は使われておらず、また入れ替わりのシチュエーションも、男の子が脅かしてやろうと女の子に体当たりして入れ替わるという割に簡単なもので、神社の階段から転げ落ちて入れ替わるというシチュエーションや先の台詞は『転校生』がオリジナルである。現在では、こうした設定を俳優が入れ替わった人格を演じることに違和感はないが、当時はまだ"男女入れ替わり"の演出法が確立されておらず、ぬいぐるみを着せるか、声だけ吹き替えるかなど色んな意見が出された。大林は前作『ねらわれた学園』に続きSFXを駆使して女装させた尾美に特殊メイクでニセの乳房をつけさせようとした。「でなきゃ、男の子と女の子は入れ替わりません。演じる俳優さんが入れ替わるったって、役柄を取り替えただけ。画面に映ってるのは同じ男の子と女の子であることに変わらない。これじゃ面白いわけがない。映画とは画面に映っちゃう分、不便なものです。受け手の想像力に頼り得ない。これは映画化不可能な原作ではないか」と大林は思っていたという。山中からも「こんなものを映画化しようなんて考える奴はバカ」と言われたという。しかし「不可能なことを実現すれば、映画の新発見になる」と挑んだ。尾美が女装を頑なに抵抗したことと、小林が女優魂を見せて脱ぐのを承諾したことで、この形が"入れ替わり"演出のスタンダードとなったという説もある。皇太子徳仁親王はこの作品を自らの好きな映画作品に挙げ「ですから《転校生》のヴィデオを見始めると、ついつい徹夜して寝不足になって了います」と大林に語ったことがある。2012年12月、アメリカ・ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された日本映画特集「アートシアターギルドと日本のアンダーグラウンド映画 1960〜1984年」に大林が招かれ、本作を含む大林作品がオープニング上映された。1980年夏、脚本家・剣持亘が山中恒の原作『おれがあいつであいつがおれで』に感銘し、プロデューサー・森岡道夫に連絡を取り、友人でもある大林に企画を持ち込んだのが始まり。剣持は神奈川県小田原市、山中が北海道小樽市出身で、いずれも海辺の町の育ちで、どこをロケ地にするか検討されたが、大林が古里である尾道ロケを決めた。脚本の剣持は1973年の『ゴキブリ刑事』以降、本作まで10年間1本も脚本を書けず、転校生が映画にならなければ辞めるつもりでいた。原作の主人公2人は小学校6年生という設定。このため最初はサンリオの講堂で小学校を集めてオーディションをした。1000人近くの小学校に会ったがしかし「性を意識した年代の役者が演技しないと映像表現は難しい」という大林の考えから、主人公2人を中学校3年生の設定に引き上げた。そこで主役に抜擢されたのが、小林聡美(一美役)と尾美としのり(一夫役)の2人。小林は面接で4本の指を立て「これだけなんですね」と半分泣き出しそうな顔で言った。小林が裸にならなくてはいけない場面が計4回あったのである。裸になる回数など大林は数えておらず、咄嗟には何を言ってるのか分からなかった。脚本では男の子としての役だが、演じる女子にとっては大きな問題だった。この内に秘めた恥じらいこそ、新人だった小林が大役を射止めた理由だった。脚本をよく読み込んでこの映画に懸ける情熱が他を引き離していた。一方、「女の子の役は耐え難い」と思っていた尾美は翌日も面接に呼ばれると髪を切って現れた。大林監督が「覚悟をしてきた」ととらえたことが抜擢の決め手だった。尾美はこの主役が嫌で、オーディションで別の役に当てられ、安心して髪を切りに行ったら、マネージャーにもう一回大林監督に会いに行ってくれと言われた。すると大林監督から「髪を切ってきてまでこの役に賭けた尾美くんに、ボクはこの映画に尾美くんを賭けてみたいと言われた」と話している。山中恒の原作『おれがあいつであいつがおれで』は旺文社の『小6時代』に1979年4月号から連載された後、1980年に書籍として出版されたが、映画化の最初の反応と同様かそれ以上に、当時の児童文学の批評家と読書運動家にケチョンケチョンにけなされた。しかし、そんな狭い児童文学業界で、小バカにされたような作品を映画化しようと大林が山中に許可を求めて尋ねて来たことでマスメディアも大々的に取り上げ、同書はベストセラーになった。『転校生』が高い評価を得たことで、それまで原作をけなした人たちは息を殺してしまったという。主人公2人を中学生に引き上げたが、ストーリーの方は原作を忠実に再現したために、言動が中学校3年生にしては幼すぎたり(転校当日の一美の思春期の少女としてはデリカシーに欠ける発言や一夫に対する態度等)、中学校3年生であれば生理があって当然なのに、病気で進級が遅れた同級生女子について「俺たちより年上だからもう「あれ」があるだろうな」という無理のある発言があったりするなど、整合性が取れなくなっている部分がある。音楽は経費節減もあって、既存レコードの家庭名曲アルバムがそのまま用いられたが、「タイスの瞑想曲」や「トロイメライ」など、誰もが馴染み深いクラシック名曲の数々が嫋嫋と流れ効果を挙げている。明るくクラスの人気者である斉藤一夫。彼のクラスに、ある日転校生がやってくる。その転校生とは、実は幼いころ近所に住んでいた、幼馴染の斉藤一美だった。一夫と一美は、学校の帰り道、ちょっとした弾みで一緒に石段を転げ落ちてしまう。それによって、二人の身体と心は入れ替わってしまっていた。つまり一夫の体に一美の心が、一美の体に一夫の心が入ってしまったのである。帰宅してからそのことに気付いた二人は、自分たちの身に起こったことに戸惑いながらも、ともかくそれぞれ相手になりきって生活を続けることにした。しかし、当然男の子が女の子の生活に、女の子が男の子の生活に、そう簡単に馴染むことができるはずもなく、二人は勝手がわからない中でそれぞれに苦労しながら、協力し合い、助け合って乗り越えていく。そうするうちにいつしか二人の心には、他のだれにも理解できない絆が生まれてきていた。そんなある日、一美のかつてのボーイフレンドであり憧れの人である山本弘が、一美を訪ねて、以前一美が住んでいた町からやってくることになった。それを聞いた一美は、一夫に自分の気持ちを話し、弘との間がうまくいくよう協力を頼んだ。最初はしおらしく女の子らしい演技をしていた一夫だったが、次第に地が出てきてしまう。心配で二人のデートについてきた一美は、そのことに我慢できなくなり、ついには泣き出してしまった。そんな二人を見た弘は、二人の間の見えない絆の存在に気付き、二人を励ましながら自分の町に帰って行った。そしてついに、二人が恐れていたことが起きてしまった。一夫の家が、仕事の都合で引越しをすることになり、尾道を離れなければならなくなったのである。一夫が父の転勤で横浜に引っ越す事になったのだ。それを知った一美は驚くどころかますます落ち込んでしまう。このまま二人は入れ替わったまま、それぞれの生涯を過ごさなければならないのか。思いつめた二人は、ついに家出をしてしまう…。が、2人はお互いの体に戸惑い、傷つき、嫌悪感を覚えながらも、やがて異性として相手への理解を深めていく。いつまでたっても元に戻らぬ二人は、絶望的になっていき、特に一美は自殺を考えるまで追い込まれる。家出先の対岸から町に戻ってきたその日、あの神社の階段の上で、二人はふとしたハズミで再び転げ落ちてしまった……。気がついてみると、二人は元の一夫と一美に戻っていた。「オレ一美が大好きだ」「この世の中で誰よりも一夫君が好き」泣きながら抱き合う二人。それから数日たった一夫の引っ越しの当日。引っ越し荷物を積んだコンテナ・トラックに一夫と両親が乗り、一美が見送りに来ている。動き出したトラックの助手席から、追って来る一美を8ミリで撮る一夫。「サヨナラ、オレ」「サヨナラ、あたし!」。全て販売はバップ。1982年公開の『転校生』のリメイク版。監督は同じく大林宣彦。舞台は長野県長野市に変更されている。蓮佛美沙子の初主演作品となる。1982年版が原作のほぼ忠実な映画化だったことに対して、本作は、特に後半部分が原作からは離れほぼオリジナルな展開となっている。その内容は一美の身体が突然、原因不明の不治の病にかかり、医者から余命2、3か月を宣告されるというものである。

出典:wikipedia

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