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彦主人王

彦主人王(ひこうしのおう/ひこうしのおおきみ、生没年不詳)は、『日本書紀』等に伝わる古代日本の皇族(王族)。第15代応神天皇の四世孫で、第26代継体天皇の父である。『上宮記』逸文では「汙斯王(うしのおおきみ)」と表記される。『釈日本紀』所引の『上宮記』逸文によれば、汙斯王(彦主人王)は応神天皇(第15代)の四世孫である。父は乎非王(おひのおおきみ)で、母は牟義都国造伊自牟良君の女の久留比売命。『上宮記』逸文と『日本書紀』によれば、妃は垂仁天皇七世孫の振媛(ふりひめ、布利比売命)で、その間の子に継体天皇(第26代)がいる。『日本書紀』継体天皇即位前条によると、彦主人王は近江国高島郡の「三尾之別業」(現在の滋賀県高島市の安曇川以南域)におり、越前三国の坂中井(さかない:現在の福井県坂井市の旧三国町域)の振媛を娶った。その後振媛は男大迹王(のちの継体天皇)を生んだが、その幼少のうちに彦主人王は死去。そのため振媛は高向(現在の福井県坂井市の旧丸岡町域)に帰郷して、男大迹王を養育したという。三尾別業(みおのなりどころ、三尾之別業)は、彦主人王が拠点とした三尾にあったとされる別業。継体天皇の出生地ともされ、近江国高島郡三尾郷(現在の滋賀県高島市の安曇川以南域)と見られるが、具体的な比定地は未詳。この「三尾」の地について『上宮記』では「弥乎国」と見えるほか、『延喜式』では兵部省条に「三尾駅」が、『和名抄』では高島郡に「三尾郷」が見える。現在も水尾神社や「三尾里」の地名が残ることから、「三尾」とは高島市の鴨川下流域一帯を指す地名とされる。現在、同地には継体天皇出生に関する数々の伝承地が残っている。そのほか、同地にある田中王塚古墳(彦主人王墓伝承地)と稲荷山古墳は5世紀中頃から6世紀前半の首長墓と見られており、豪族の三尾君(みおのきみ、三尾氏)との関係も指摘される。彦主人王に関して、宮内庁による治定墓はない。ただし、滋賀県高島市安曇川町にある宮内庁の安曇陵墓参考地(あどりょうぼさんこうち、)では、彦主人王が被葬候補者に想定されている。考古学名は田中王塚古墳で、直径約58m・高さ約10mの円墳(または帆立貝形古墳)で5世紀後半の築造とされる。俗称は「ウシ塚」。陵墓参考地のため詳細な調査は行われていないが、推定築造時期の合致から考古学的にも彦主人王の墓とする説が有力視される。また、三尾では滋賀県高島市鴨の稲荷山古墳(前方後円墳、墳丘長45m、)が彦主人王の墓であるとも伝えるが、こちらは現在では安曇川以南の豪族・三尾氏の首長墓と考えられている。そのほか、彦主人王および三尾氏のかつての本拠地は越前であったが5世紀後半頃に近江に移したとする立場(三尾氏移動説)から、二本松山古墳(福井県吉田郡永平寺町)と関連付ける説もある。この説では、二本松山古墳が時期の異なる(5世紀後半頃と6世紀初頭頃か)2つの石棺を持ち、片方(古相)には人骨がないことを基に、古墳を彦主人王の空墓と振媛の墓と推測する。注釈原典出典

出典:wikipedia

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