美泉定山(みいずみじょうざん、文化2年(1805年) - 明治10年(1877年)11月4日)は、備前国(現在の岡山県)出身の僧侶で、札幌にある定山渓の地名の由来となった。文化2年(1805年)、備前国曹洞宗の名刹妙音寺の二男として生まれる。「美泉」という苗字は、明治初期頃、定山があえて作ったものである。17歳の時に実家を出て、道場で修業を積んだ後に、北上し秋田県で布教活動を行う。1853年(嘉永6年)に48歳で北海道へ渡り、江差で観音寺を再建し、瀬棚に6年暮らす。1866年(慶応2年)、61歳の時に、小樽の張碓に住み始める。同年、現在の札幌市南区の定山渓温泉で源泉を確認し、後に湯治場を設ける。この源泉については、付近のアイヌ人が存在を知っており、松浦武四郎も知っていたが、温泉宿を営むまでに紹介したのは、定山であり、「定山渓」の名前の由来となる。また、現在は札幌市南区定山渓の場所に定山寺を開く。なお、1870年(明治2年)ごろ「平民苗字許可令」が発令されるが、定山は苗字を「美泉」と名乗る。1871年(明治3年)、開拓使判官の岩村通俊より、「湯守り」を任じられる。1876年(明治8年)、小樽と「定山渓」を結ぶ山道開発に携わる。1877年、張碓の山で病気のため死去。享年73。その死は定山渓まで知らせが届いておらず、長きに亘って「行方不明」扱いとなっていた。
出典:wikipedia
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