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stampfactory大百科事典

東京工芸大学

大学名の「工芸」は、工学と芸術を示しており、手工業品の工芸の意ではない。小西六写真工業(現コニカミノルタ)社長 6代目杉浦六右衛門の「日本の写真技術の振興に寄与する人材を世に送り出し、国家の発展に貢献するためには、写真教育を行う専門の学校が必要である。」という理念を継ぎ、7代目杉浦六右衛門により、1923年に小西写真専門学校として設立。日本では数少ない、写真学科・メディア画像学科を設置した大学である。2003年4月には、芸術学部に日本初となるアニメーション学科が開設された。1923年に日本初の写真学校として小西六写真工業(コニカ)社長が創設した小西写真専門学校に源を発し、著名な写真家を多く輩出しているのが特徴のひとつである。写真が「工学的写真技術」を用いて「美的価値」のある写真を作り出すことから、本学では工学と芸術が相互に深く関係するものとして捉えられてきた。実際、大学名に“Polytechnic”(多様な技術の総合)という単語が使われている。1966年には工学部が新設されたが、これは従来の写真の理論教育に高い水準の工学的基礎教育を学部増設を機会に拡張したもので、芸術学部の拡張と位置づけることができる。鎌田弥寿冶教授、保積英次教授、宮本五郎教授、宮川俊夫教授、菊池真一学長ら芸術・写真畑の「写真・印刷」に詳しい教授が、写真の理論と化学を基礎に芸術学部(当時短期大学部)に工学部を増設する功労者であったこともあり、当初工学部では画像メディア工学(印写工学)とナノ化学(応用化学)を学問的領域の中心としてきた。最近は工学部における建築学の充実に加え、芸術学部も写真学科のみならず映像学科、デザイン学科、インタラクティブメディア学科、アニメーション学科、ゲーム学科、マンガ学科が加わり大きく拡大している。東京写真専門学校時代の1907年生の渡辺義雄、東京写真工業専門学校時代の1924年生の仁田三夫、東京写真短期大学時代の1933年生の細江英公(敏廣)、の時代において、化学を基幹とした写真の処理と、幾何光学的応用物理と、写真の撮影技術の3本立ての工学と芸術の融合した専門教育が行われ、さらに芸術的側面からは写真美学等の芸術学の講義が行われていて、ある意味での工学と芸術の総合教育が成立していた。また、1970年代までは現東京工芸大学もその教授資格が柔軟で、短期大学を卒業して優秀な者が常勤教員となる場合があった。短期大学部もその伝統を継承し、工学部においても、基礎課程に、応用物理と応用化学と機械工学を並立させたり、東京写真短期大学から工学部長に博士号を有しない林一男教授が就任し、工学の広範囲を網羅する学的領域を基幹として芸術と工学の全分野を教授する非常に前衛的な教育を実施していた。その後、写真化学の基本と印刷工学の基本である応用化学と物理化学の分野が独立し、応用化学科となり現在のナノ化学科に分枝した。また、芸術と最も深い関係のある建築学科を増設、また電子工学科が増設された。しかし、当初の芸術と工学の融合、また物理と化学と電気と機械の融合(工学間の融合)の理想は、各専門領域の高度な技術革新にともない、現実的に教授することができなくなり、分科がすすみ柔軟性が薄くなった。芸術学部も、工学系出身の芸術学部教員が「工学」の学際領域を一部教授している教員もいるが、入学者の大半は文系学生であるため工学的な教育研究に困難が出てきている。また、インターフェース等の改良により、ゲーム、インタラクティブアート等の一部を除き、かつてと比べると工学的知識があまりなくとも撮影機器、ソフトウェア等の利用が容易になっているという現状もある。しかしながら、前記のとおり、他の大学と異なり、各学科との情報交換が非常に進んでおり、「学問のハイブリッド化」という言葉もあるように、複合科学技術の追求が、東京工芸大学の特色のひとつといえる。また、現在の東京工芸大学では、かつての東京写真大学時代と異なり、教員の学位(修士号・博士号)取得者が多数にのぼり非常に高いレベルに推移し高度化した。滝澤正男

出典:wikipedia

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