宇留野 純(うるの じゅん、1979年10月23日 - )は、埼玉県出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。三菱養和U-15在籍時には同期の井手口純、三上卓哉と共にU-15高円宮杯で全国優勝。1995年に桐光学園高等学校へ進学し、井手口や1年先輩の中村俊輔、佐原秀樹と共に1996年度の全国選手権で準優勝。1998年、プロ化移行を計る本田技研工業サッカー部に社員選手として 入団。しかし宇留野加入後間もなくして本田はJリーグ参加を断念した。長澤徹コーチとの個人練習が実を結び、2000年より主力の一角として台頭。安間貴義監督の下で自身のプレースタイルに磨きをかけた。2005年初頭、精巣腫瘍と診断され、すぐに手術を受けた。この際、医師からは転移の可能性を危惧し抗がん剤治療を勧められたが、サッカーを続けるためにこれを固辞。同時期に徳島ヴォルティス、ヴァンフォーレ甲府、愛媛FCからオファーが届いていたが、断らざるを得なかった。2005年末、リーグベストイレブンを受賞し、安間がコーチを務めるJ1ヴァンフォーレ甲府より再びオファーを受ける。宇留野の固い決意に触れた長澤からも背中を押され、2006年より甲府へ移籍。自身念願の Jリーガーとなった。2009年から2011年はJ2のロアッソ熊本でプレー。2012年、タイ・ディヴィジョン1リーグのバンコク・ユナイテッドFCに加入。自身初の国外でのプレーとなった。背番号は甲府、熊本時代でも通して付けていた11番。バンコク・ユナイテッドFCでは、タイ・ディヴィジョン1リーグで3位に入りタイ・プレミアリーグへの昇格に貢献する。2013年、タイ・ディヴィジョン1リーグのエアフォース・ユナイテッドFCに移籍しリーグ優勝に貢献。2014年、古巣のHonda FCへ移籍。しかしその年に退団。2015年、タイのリージョナルリーグ・ディヴィジョン2に所属するウボンUMTユナイテッドFCに入団。42||4||5||0||4||0||51||497||14||colspan="2"|-||4||0||101||14151||31||colspan="2"|-||16||3||165||340||0||colspan="2"|-||0||0||0||028||3||0||0||0||0||28||3318||52||5||0||24||3||347||55
出典:wikipedia
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