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宇部興産専用道路

宇部興産専用道路(うべこうさんせんようどうろ)は、山口県宇部市から同県美祢市に至る宇部興産の専用道路である。正式名称は、宇部興産 宇部・美祢高速道路(うべこうさん うべ・みねこうそくどうろ)。全長31.94kmに及ぶ、日本一長い私道である。1967年(昭和42年)着工、1972年(昭和47年)から部分供用され、1975年(昭和50年)に興産大橋を除く区間が全通。1982年(昭和57年)の興産大橋開通により、現在のルートが完成した。宇部市大字小串の宇部興産宇部セメント工場から美祢市伊佐町伊佐の宇部興産伊佐セメント工場までを結び、伊佐石灰石鉱山で採掘した石灰石と、伊佐セメント工場でつくったセメントの半製品クリンカーを専用トレーラーで運搬している。後述の通り、かつてこれらの輸送には国鉄美祢線を利用していたが、昭和中期から後期にかけての国鉄の度重なる運賃値上げや労働組合運動激化によるストライキ頻発により、拠点間輸送の効率化と安定化の必要に迫られた結果として建設された経緯がある。私道であり、道路通行を事業としていない(=工場構内などと同じ扱い)ため、道路運送法・道路交通法・道路運送車両法の適用を受けないことから、使用されるトレーラーは専用道路向けの専用仕様でありナンバープレートを取得していない。また、これらの法規に基づかないため、舗装方式や幅員等の規格が一般の道路と異なっている。ただし、専用道路内を運転するには宇部興産の社内審査と講習を受けてライセンス取得する事が義務付けられており、制限速度も設定されている。宇部市大字小串で一般道と平面交差しており、一般道の交通遮断と誤進入防止のために鉄道の踏切警報機が設けられている。この踏切は、過去に「ダウトをさがせR」(TBS系)や「ナニコレ珍百景」(テレビ朝日系)などのテレビ番組で紹介されたことがある。40トン積みトレーラーを2両連結したダブルストレーラーを牽引している。約8年サイクルで車両を更新している。興産大橋(こうさんおおはし)は、宇部市大字小串と同市大字西沖の山の間の宇部港内(厚東川河口)をまたぐ橋として1982年(昭和57年)3月に開通。設計・施工・建材製造の全てを宇部興産とその子会社・関連会社が行なっている。これは当時の宇部興産本体及び関連会社の富士車輌が鋼構造物工事の建設業許可を持ち鋼橋の製作を手がけていたこと、子会社に建設コンサルタント(宇部興産コンサルタント)が存在したために可能となったことである。運河の航路を確保するために36mの高さが必要であった上、橋の起終点が平地であったため、6%の急勾配となっている。当時、上部工工事の宇部興産宇部鉄工所・富士車輌共同企業体の代表責任者を務めた元宇部興産専務の藤野清の回顧によれば、宇部港沖の海苔漁場に影響を与えずに建設する必要があったため、基礎杭の鋼管重量6,400t、上部構造の重量10,000tという巨大な橋梁を一括架橋するという手法が採用された。橋梁は4つの部分に分けて工場で製作し、本州四国連絡橋の架橋用に建造された世界最大級(3,000トン)のフローティングクレーン船「武蔵」で吊り上げて宇部港まで運搬。橋台に設置する作業は長岡技術科学大学教授の笹戸松二の監修の下で行われた。これら一連の工事は、21ヶ月間で無事故のうちに完工したという。なお、興産大橋は1982年(昭和57年)に日本鋼構造協会の業績賞を受賞、翌1983年(昭和58年)には民間企業発注の橋としては初めて土木学会田中賞を受賞している。下記はすべて立体交差。ただし、※印の箇所にはランプとゲート(通常は閉鎖)があり、一般道と接続している。専用道路開通前までは、伊佐工場 - 美祢駅間に自ら建設した貨物専用線を介して、美祢駅(美祢線) - 宇部港駅(宇部線)間で宇部興産の石炭・石灰石輸送が実施されていた。最盛期には宇部港駅と美祢駅の貨物取扱量が年間約770万t(1978年度)に上り、当時の日本一であった。しかし、1998年に中国電力三隅発電所との間で炭酸カルシウム・フライアッシュの双方向輸送を開始した際、同区間の鉄道による石灰石輸送は終了した。なお、この輸送ルートにあたる宇部駅 - 厚狭駅(山陽本線)間には、この区間での平面交差を避ける目的で単線の別線が設けられていた。現在は別線部分は廃線となっている。

出典:wikipedia

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