飯伏 幸太(いぶし こうた、1982年5月21日 - )は、日本の男性プロレスラー。鹿児島県姶良市(旧・姶良郡姶良町)出身。現在は飯伏の個人事務所である飯伏プロレス研究所に所属して活動している。芸能活動においてはオスカープロモーション所属。小学校から中学校に進学する前の春休みに西日本プロレスを観戦、全試合終了後に強引に入団テストを受け、バク宙やムーンサルトプレスを披露して合格してしまった(結局「中学を卒業してから」と言われ、帰された)。さらに中学校卒業後に新日本プロレスの入団テストを受けようとしたが、親に止められたため断念。また、同時期の時点で既に人とは違う感性で型破りな行動をしており(後述)、その手のエピソードには枚挙に暇がない。高校(鹿児島県立加治木工業高等学校)ではラグビー部に入部した。高校卒業後は成田空港で旅客機の機内清掃を行う仕事に就くが、空港の入構パスを紛失するなどの失態を重ね、1年ほどで退職した。プロレス入り前には新空手の大誠塾に所属し、2003年7月21日の新空手道交流大会ではK-2トーナメント(中量級・15人参加)で優勝の経験もある(しかし翌日退団)。また「SSS」という千葉のアマチュアプロレス団体に所属していたが、「朝起きたら(大会に同行するのが)面倒くさくなってしまった」という理由で、約1か月で退団している。2004年7月1日、DDT後楽園ホール大会でKUDO相手にデビュー。2005年3月22日、フジテレビ「こたえてちょーだい!」に視聴者からの相談として出演。自分がプロレスラーになったことを報告していない両親を試合へ招待した。試合は負けてしまったが、リング上で父親に向かい報告。父親からは「頑張ってくれ」と激励の言葉を貰い、握手を交わした。9月23日にDDTのKO-Dタッグリーグ戦に先輩の柿本大地とのタッグで優勝、わずか1か月後の10月23日後楽園大会でKO-Dタッグチャンピオンに催冠。DDTのみならず、ハッスル、プロレスリング・エルドラド、フーテン・プロモーションへも参戦している。2006年2月4日のアンディ・オロゴン戦でK-1 MAXデビューが予定されていたが、アンディの負傷により試合自体が消滅。11月14日に第1回GPWA興行に参戦した他、11月22日にはエルドラドでミラノコレクションA.T.とコンビを組む。2007年5月のディファカップではDDT代表としてHARASHIMAと組んで出場し準優勝。なお、ディファカップ初戦のビッグマウス・ラウド(BML)代表との対戦で飯伏が上段回し蹴りで原学をKOした後も攻撃を続けたことからBMLとの間に遺恨が生じ、5月23日新木場大会でBML臼田勝美および原の襲撃を受けた。5月26日、契約更改の場で参戦を希望していた学生プロレスにも初参戦。東京大学の学園祭(五月祭)にて、東京大学プロレスリングBAKA道場所属の童 As Infini貞(現・DT-YUTA(ユニオンプロレス))と対戦。「殺すぞ」との発言を咎められて、試合中に逮捕される一幕もあったものの、最後はジャーマン・スープレックスで3カウントを奪い、「学プロデビュー戦」を白星で飾った。7月1日から15日にかけてプロレスリング・ノアで開催された、日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に、ノアの丸藤正道とのイケメンタッグを結成して参加するも、最終戦でKENTA・石森太二組に敗れ、勝ち点6の2位に終わった。しかし試合内容は観客からその興行のベストバウトとも絶賛され、彼の実力がインディーはおろかメジャーマットでも十分通用することが証明された。8月26日、ディファ有明で行われたプロレスサミット in ARIAKEでインディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座を獲得。また、12月31日には、プロレスサミット in KOURAKUENで高木三四郎からアイアンマンヘビーメタル級王座を奪取し、第735代王者となる。2008年、前年に引き続き日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に中嶋勝彦と組んで参戦。リーグ最終日まで優勝の可能性のある3チームに残る好成績。しかし最終日にブリスコ兄弟に負けたため、決勝戦には出られなかった。8月6日、ビアガーデンプロレスにて、カナダからやってきたケニー・オメガとの初シングル。路上とリング上で1本ずつ先に獲った者が勝者となる変則ルール。路上のみならずリング上でも壮絶な攻防を繰り広げ、飯伏が勝利。この試合は2008年ネットプロレス大賞のベストバウトに選ばれた。この対戦をきっかけにケニーとの間には不思議な友情が生まれ、翌年のゴールデンラヴァーズ結成へとつながる。2009年、新日本プロレス主催のベスト・オブ・ザ・スーパージュニアへ初参戦を果たした。獣神サンダー・ライガーに勝利するなど、リーグ戦を4勝2敗で終え、決勝トーナメントへ出場したがプリンス・デヴィットに敗れ、決勝進出はならなかった。この際ライガーから「グラウンドテクニックをもっと磨け」「今のままではただのサーカス」とその才能は認こそするものの、アドバイスの意味での苦言を呈されている。7月12日から25日にかけて開催された、日テレ杯争奪ジュニアヘビータッグリーグ戦に、ノアの青木篤志と組んで出場も、優勝決定戦で金丸義信・鈴木鼓太郎組に敗れ、またしても2位に終わった。8月23日、DDT両国国技館大会「両国ピーターパン 〜大人になんてなれないよ〜」のメインイベントにてHARASHIMAを破り、KO-D無差別級王座を獲得。11月29日、DDT後楽園ホール大会にて石川修司に破れKO-D無差別級王座から陥落。12月には新日本プロレスのスーパーJカップに参戦するも、初戦(対外道)で敗れる。2010年1月6日に新日本プロレス事務所を訪れスーパーJカップの雪辱を期すため社長に参戦を直訴した。(が、実は新日本プロレスはこの日から“正月休み”のため応対はたった一人だけ仕事をしていた管理部の社員が行ったが最後まで社長と思い込んでいた。)これを受け1月31日にケニー・オメガとのタッグ「ゴールデン☆ラヴァーズ」で邪道・外道組と対戦するが邪道の負傷によりレフェリーストップとなる。1月20日、契約更改にて「身体のメンテナンス」のため2月11日以降は現時点でオファーのある試合以外を欠場することを要求し、高木三四郎の「いいよ」の一言で4月4日まで欠場することが決定(オファーされていたのは2月14日新日本プロレス両国大会、2月16日の大石真翔&旭志織自主興行、3月6・7日のKOEI主催戦国武将祭り)。2月11日、ケニー・オメガとのタッグ「ゴールデン☆ラヴァーズ」でHARASHIMA・真霜拳號組と対戦。試合後のマイクパフォーマンスで復帰後にIWGPジュニアタッグ王座へ挑戦したいと表明した。5月8日には新日本プロレス主催の「スーパーJタッグ」に参戦。1回戦で敗退するもバックステージではケニー・オメガとの「ゴールデン☆ラヴァーズ」でのIWGPジュニアタッグ王座挑戦を再度アピール。5月、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに参戦。予選リーグを1位で勝ち抜き、準決勝・田口隆祐戦を勝利し、決勝・プリンス・デヴィット戦にて敗退するが、見事に準優勝を飾るがこの試合で肩を脱臼し休養。7月25日のDDT「両国ピーターパン2010 〜夏休み ああ夏休み 夏休み〜」の丸藤正道戦で復帰予定だったが、直前に肩の怪我が悪化し欠場が決定。代役としてパートナーのケニーが丸藤と対戦した(このカードは前年も丸藤の怪我で流れている)。9月3日、新日本後楽園大会でプロレスプリンス・デヴィットの持つIWGPジュニアにケニーが挑戦、セコンドとして同行し試合後改めてIWGPジュニアタッグへの挑戦を表明。これを受けて10月11日の新日本両国大会での挑戦が決定。9月12日に行われたキャンプ場プロレスで復帰するが、ヨシヒコ相手に路上プロレスで自身初のピンフォール負け。だが試合終了後のセレモニーにおいて、新団体「キャンプ場プロレスリング・オム」の旗揚げを宣言する。10月11日、新日本両国大会ケニー・オメガとのタッグ「ゴールデンラヴァーズ」でプリンス・デヴィット、田口隆祐の持つIWGPジュニアタッグに挑戦、王者となる。この試合はプロレス大賞「ベストバウト賞」に選ばれた。11月14日、DDT大阪大会で新日本両国大会のリマッチ。IWGPジュニアタッグを初防衛。12月26日、新日本プロレスの邪道・外道組を相手に二度目のIWGPジュニアタッグ防衛。2011年1月4日、新日本プロレスの「レッスルキングダムV IN 東京ドーム」にて、プリンス・デヴィットが保持するIWGPジュニアヘビー級王座に初挑戦するも敗退。1月23日、新日本プロレス後楽園大会でプリンス・デヴィット、田口隆祐組相手に敗れIWGPジュニアタッグ王座から陥落。3月27日、ディック東郷の指名を受けKO-D無差別級王座に挑戦、35分を超える激闘の末敗れる。5月26日から「BEST OF THE SUPER Jr.XVIII」に参戦、いきなり開幕2戦を落とすが、そこから巻き返しを見せ、6月7日には卓越した空中殺法を武器に活躍し、飯伏が少年時代にプロレスラーを目指すきっかけとなった憧れの選手のザ・グレート・サスケとで念願の初対決を果たし見事勝利してブロック1位通過を果たす。そして6月10日の決勝戦で田口隆祐に勝利し他団体の選手として初優勝を果たした。6月18日、プリンス・デヴィットに勝利し念願のIWGPジュニアヘビー級王者になる。7月24日のDDT「両国ピーターパン2011〜二度あることは三度ある〜」においてプリンス・デヴィットとのリマッチを制し、IWGPジュニアヘビー級王座を初防衛。8月28日、男色ディーノとのタッグでKO-Dタッグ王座を獲得。9月11日のMATRIX大阪大会にて左肩を脱臼し、所持していたIWGPジュニアヘビー級王座とKO-Dタッグ王座を返上した。(尚、ベスト・オブ・スーパージュニアのリーグ戦で負けたKUSHIDAとの防衛戦が予定されていたが、そのカードはKUSHIDAとプリンス・デヴィットの王座決定戦に変更)9月26日、山梨キャンプ場プロレスリング・OM旗揚げ戦、花火を持って選手・観客を問わず無差別に攻撃するPK(プレイヤーキラー)として登場した。2012年5月4日、後楽園ホールで復帰。6月24日、後楽園ホールで火野裕士を下し、KO-D無差別級王者に返り咲く(第42代)。7月29日、後楽園大会、去年の9月肩脱臼により返上したIWGPジュニアヘビー級王座を奪回するために、同王座を保持するロウ・キーに挑んだタイトルマッチ。最後は復帰後初のフェニックススプラッシュで3カウントを奪い第64代王者となった。8月18日、DDT初の日本武道館大会のメインカードにてケニー・オメガとのKO-D無差別級王座防衛戦。2階スタンドからのムーンサルト、場外へのフランケンシュタイナー等の荒業を含む37分もの激闘の末、フェニックス・スプラッシュで試合を決め、防衛。9月30日、後楽園ホールでエル・ジェネリコに敗れ、KO-D無差別級王座陥落。10月8日、新日本プロレス両国国技館大会にてロウ・キーに敗れIWGPジュニアヘビー級王座陥落。12月15日、DDTの西日本ツアー「DDTウエストサイドストーリーシリーズ2012 in KAGOSHIMA 〜飯伏幸太凱旋興行〜」にて初めて団体として地元鹿児島に凱旋。(個人では2009年4月11日の極悪同盟興行『極悪祭りin鹿児島』にて既に凱旋済み)当日はメインでケニー・オメガとのタッグ「ゴールデンラヴァーズ」としてHARASHIMA・ヤス・ウラノ組と対戦しシットダウン式ラストライドからのエビ固めで飯伏自身がウラノからフォールを奪い勝利。2013年1月4日、新日本プロレス「レッスルキングダム7」にてプリンス・デヴィット、ロウ・キーとIWGPジュニアヘビー級王座を賭けた3WAYマッチで対戦するも、王者デヴィットの雪崩式ブラッディ・サンデーに沈む。5月3日、後楽園ホールにて、鶴見亜門GMに指名される形で入江茂弘の持つKO-D無差別級王座に挑戦するも敗北。5月26日、広島産業会館東展示館にて、ケニー・オメガ、伊橋剛太との「ゴールデンらんでぶぅ〜」でKO-D6人タッグ王座を獲得。6月23日、後楽園ホールにて、モンスターアーミーに敗れKO-D6人タッグ王座から陥落。6月28日、新宿FACEにて開幕の「KING OF DDTトーナメント2013」に参加、初戦のヤス・ウラノ戦で敗退。7月5日、新日本後楽園ホール大会にて、8月1日から開催される「G1 CLIMAX 23」への初出場が発表。リーグ通算4勝5敗と負け越しながら、中邑真輔との試合は東スポプロレス大賞にて年間ベストバウトを獲得。8月18日、DDT両国国技館大会「両国ピーターパン2013」にてオカダ・カズチカと初シングル、レインメーカーで敗れる。10月7日、DDTならびに新日本プロレスへのダブル所属を発表。以前より新日本・菅林直樹会長から正式所属の話はきていたが、DDTの選手でありたいと本人は熱望。その中で新日本との史上初のダブル所属の話に、DDT・高木三四郎大社長は、前例がなく面白いと成立。DDTとは3年の複数年契約、新日本とは1年契約とし、DDTにはフル参戦、新日本にはビッグマッチ興行等でのスポット参戦という形となる。2014年1月4日、新日本「レッスルキングダム8」にてプリンス・デヴィットを破り、3度目のIWGPジュニアヘビー級王座を戴冠。3月6日、大田区総合体育館で開かれた新日本「旗揚げ記念日」にてオカダ・カズチカと再戦、IWGPヘビー級・ジュニアヘビー級の王者同士の対決となったカードであったが、またもレインメーカーに屈した。5月25日、新日本横浜アリーナ大会にて石井智宏の保持するNEVER無差別級王座に初挑戦するも敗北。6月10日、DDTプロレスリングがオスカープロモーションと業務提携を結んだことに伴い、芸能活動においてオスカー所属となることを発表。7月4日、KUSHIDAに敗れ、IWGPジュニアヘビー級王座から陥落した。この試合で脳震盪を起こし、DDTで予定されていた自身の10周年記念試合が延期、また出場予定だった7月21日開幕のG1 CLIMAXを欠場することになった。8月17日から復帰、以降はジュニアにひと区切りし、ヘビー級に戦いの場を移している。2015年1月4日、新日本「レッスルキングダム9」にて中邑真輔の保持するIWGPインターコンチネンタル王座に初挑戦するも敗北。2月15日、DDTさいたまスーパーアリーナ大会のメインイベントにてHARASHIMAの保持するKO-D無差別級王座に挑戦。HARASHIMAとの5年半振りのシングルマッチを、当時と同じフェニック・スプレックス・ホールドで破り、3年振りの同王座戴冠。3月5日から15日に開催されたニュージャパン・カップ2015にて初優勝。IWGPヘビー級王座への挑戦権を獲得。4月5日、新日本両国国技館大会にてAJスタイルズの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦するも敗北。7月20日から8月16日に開催された「G1 CLIMAX25」に2年振りの参戦。前回と同じく4勝5敗の負け越しに終わるも、AJスタイルズへのリベンジや真壁からの勝利等を上げている。8月23日、DDT両国国技館大会にて大日本プロレスの関本大介・岡林裕二の保持するKO-Dタッグ王座に佐々木大輔とのタッグで挑戦、関本から勝利し同王座をDDTに取り戻す。9月23日、新日本岡山・桃太郎アリーナ大会にて真壁刀義の保持するNEVER無差別級王座に挑戦するも敗北。10月25日、DDT後楽園大会にて坂口征夫の保持するKO-D無差別級王座への挑戦が決まっていたが、前日からの高熱のため欠場。翌週の沖縄巡業も欠場となる。11月2日、精密検査の結果「頸椎椎間板ヘルニア」との診断がなされドクターストップがかかり、無期限の欠場となる事が発表。また自身が保持していたKO-Dタッグ王座も返上となる。2016年2月22日、新日本プロレスとDDTプロレスを退団すると発表。3月からは、新規に立ち上げる個人事務所「飯伏プロレス研究所」の所属として活動、事実上のフリー選手となることが報じられた。芸能活動に関してはこれまで通りオスカーに所属。各団体での所属選手としては、DDTは10月11日の春日部ふれあいキューブ大会、新日本は10月18日の台湾大学総合体育館がそれぞれ最後の試合となった。3月21日、DDT両国大会での「東西正面向正面全面使用エニウェアフォール・ウェポントレジャーハント3WAYタッグマッチ」にて復帰戦および飯伏プロレス研究所所属第1戦。フェニックス・スプラッシュで中澤マイケルから勝利。4月2日、テキサス州ダラスにて開催された「KAIJU BIG BATTEL」に参戦、Tucorという怪獣から勝利し、王座を奪取。また、この試合前に同じくダラスで開催されていたWWE傘下のNXTに来場し観戦している姿が、名前のテロップ入りで生中継に映される。4月3日、テキサス州ダラスにて開催された「WWN MERCURY RISING 2016」に参戦、6人タッグ戦でウィル・オスプレイから勝利。5月22日、DDT大阪大会にXとして参戦。6月にはWWE主催のWWEクルーザー級クラシックに出場。7月13日にはNXT・Tapingsに出場しバディ・マーフィーと対戦し勝利。WWEクルーザー級クラシックでは準決勝でTJパーキンスに敗退。10月、第2回ダスティ・ローデス・タッグクラシックにヒデオ・イタミとのタッグで出場予定であったが、ヒデオの負傷欠場に伴いパートナーはTJパーキンスに変更となった。下記4つは、2012年の武道館大会でのケニー・オメガ戦に向けての公開練習で披露。雪崩式フェニックス・プレックスは実際に武道館でのケニー戦で使用。以降も実戦にて、24歳は2013年にヤス・ウラノ、リバース槍落としと雪崩式パイルドライバーはいずれも2014年に伊橋剛太に使用。
出典:wikipedia
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