ジャイアンツコーズウェイ ("Giant's Causeway") とはアイルランドの競走馬である。G1競走6勝を数え、芝・ダートを問わず活躍し、連戦にも耐え「アイアンホース」との異名を残した名馬である。引退後は種牡馬としても活躍している。父は名種牡馬として名高いストームキャット、母は芝・ダートで重賞を複数勝った馬。「クールモアグループ」に購買され、総帥ジョン・マグナーと生産者マイケル・テイバーが折半することになった。主戦騎手は日本でも重賞を勝っているマイケル・キネーン。アイルランドの名調教師エイダン・オブライエンのもとでデビューしたジャイアンツコーズウェイは、デビュー戦で7馬身差の快勝。続くフューチュリティーステークスで重賞初制覇を飾ると、フランスに遠征してG1のサラマンドル賞(現在は廃止されている)を制覇する。同期の同厩にはモルニ賞を勝ったファスリエフがいたが、故障のため引退しジャイアンツコーズウェイが厩舎1番手となる。明けて3歳、初戦で古馬を一蹴しイギリス2000ギニーに挑むが、キングズベストの後方強襲に遭い2着。さらにアイリッシュ2000ギニーでも1番人気に支持されるが、プール・デッセ・デ・プーラン(フランス2000ギニー)優勝馬バチアーの逃げ切りを許しまたも2着に敗れてしまう。このあと出走したセントジェームズパレスステークスで、ようやく1番人気に応えて勝利する。ここからジャイアンツコーズウェイの怒涛の快進撃が始まった。続いて出走したのはエクリプスステークス。ファンタスティックライト、サキー、カラニシなどの強豪馬が顔をそろえたなか、キネーンの負傷によりこのときのみジョージ・ダフィールドに乗り替わっていたこともあってか5番人気にとどまる。しかしレースではカラニシの追い込みを封じて勝利する。サセックスステークスも楽勝し、インターナショナルステークスではカラニシとの再戦にも勝利する。さらにマイケル・テイバーが所有するモンジューが当初出走を予定していたアイリッシュチャンピオンステークスにもモンジューに代わって出走し、調整不足ながらも勝利。この5連勝の間、わずかに12週間。残すはミルリーフのG1・6連勝となった。ところが、クイーンエリザベス2世ステークスでは伏兵オブザーヴァトリーの強襲に遭い2着となり、6連勝はならなかった。このあとチャンピオンステークスを回避し、血統的な背景と、種牡馬としての今後を考えてか、ダートの最高峰であるブリーダーズカップ・クラシックに出走することとなる。フサイチペガサス、ティズナウ、レモンドロップキッドらの強豪が顔をそろえたなかで3番人気に推され、レースでは最後の直線でティズナウと激しく競り合った末クビ差及ばず2着となったが、ダートの適性の高さも見せつけた。この結果、カルティエ賞の最優秀3歳牡馬は凱旋門賞優勝馬シンダーに取られるが、代わりに年度代表馬の栄誉を得た。2001年よりアイルランドのクールモアスタッドで種牡馬入り。翌年からはクールモア・アメリカで供用される。初期のころはシャトル種牡馬としてオーストラリアでも種付けを行った。初年度産駒がデビューした2004年からカルティエ賞最優秀2歳牡馬に輝いたシャマルダルを送り出し、ヨーロッパのファーストクロップリーディングサイアーとなる。翌年以降も毎年数々のG1勝ち馬を輩出し、2009年、2010年の北米リーディングサイアーとなった。産駒はおもにアメリカで活躍しているが、かつて供用されたヨーロッパ、オーストラリアでもGI勝ち馬を輩出。父ストームキャットの後継種牡馬として、世界を股にかける活躍を見せている。さらには代表産駒の1頭であるシャマルダルがフランスクラシック二冠を制したロペデヴェガを輩出するなど、孫世代にも活躍が広がっている。日本にも産駒が輸入されており、マイルチャンピオンシップ優勝馬エイシンアポロンなど3頭の重賞勝ち馬を出している。祖母イメンスは日本に輸入されており、クイーンステークスの勝ち馬エアザイオンの母となっている。全弟のFreud(フロイト)が1勝馬ながらアメリカで種牡馬になっている。代表産駒はフラニーフルード(プライオレスステークス)、ジャイアントライアン(ヴォスバーグステークス)。
出典:wikipedia
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