服部 年宏(はっとり としひろ、1973年9月23日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。東海大学2年修了時にジュビロ磐田に練習生として参加、そのままプロ契約。1年目から左のサイドバック・ウイングバックとしてレギュラーとして活躍。アトランタオリンピック時、ブラジル代表のジュニーニョ・パウリスタのマンマーク役として中盤の底でプレー。磐田でも1999年、名波浩がヴェネツィアに移籍し、中盤構成に苦しむ中、同ポジションを務める、左サイドバックの他、中盤の底やストッパーを務めることができるポリバレントな選手。10代から日本代表に選出しており、1998年ワールドカップ、2002年ワールドカップに出場。監督がトルシエからジーコに変わってからは左サイドバックとして起用されたが、世代交代やシステム変更もあり代表から外れた。ジュビロ黄金時代、攻撃面でも豊富な運動量で、ロングパスを放ったり攻撃参加をしてラストパスを出したり、守備に攻撃へとピッチ内では幅広く活躍。2002年シーズン前に腹膜炎を患って以降パスの精度は下降。2006年12月に磐田退団、東京ヴェルディ1969への移籍が決定。2007年出場停止1試合を除く47試合でスタメンフル出場。本人にとって初めての移籍であったが、早々にチームにフィット、セットプレイのキッカーも務めシーズン最多の15アシストを記録、J1昇格に大きく貢献。主将MF大野不在の場合にゲームキャプテンを務めた。2008年キャプテン就任。主力として起用されが、クラブ経営悪化の影響で退団が発表されていたが、ラモス瑠偉常務や高木琢也新監督の意向により、東京Vと再契約を結んだ。2009年変わらず主力として起用されたが、親会社の交代による経営規模縮小の影響を受け退団。2010年、ガイナーレ鳥取へ移籍。主将としてチームを率いJFL初優勝、Jリーグ加盟に貢献、リーグ年間MVPを獲得した。2011年引き続きガイナーレ鳥取の中心選手として活躍、同年12月19日にFC岐阜への完全移籍発表。2012年、移籍1年目にしてキャプテンを務める。主に中盤の底でプレー、全42試合にフル出場した。2013年限りで現役を引退。同年12月16日、古巣磐田の強化部長に就任。2014年末、Jリーグ功労選手賞を受賞。2016年6月、静岡県サッカー協会理事に就任。磐田時代ドゥンガのプレーを間近に見てきており、ゲームキャプテンを2005年まで務め、ドゥンガのように味方を叱咤する存在であった。体のケアを大事にしており、練習後のマッサージにはかなり時間をかける。2003年、以前ジュビロ磐田応援テレビ番組を担当していたSBSの元アナウンサー、朋子夫人(旧姓上田)と結婚。2008年に長女誕生。381||19||62||3||32||2||475||24185||1||colspan="2"|-||3||0||153||133||3||colspan="2"|-||1||0||34||3564||23||62||3||36||2||662||28その他の公式戦|2004||rowspan="2"|磐田||rowspan="2"|6||4||1!通算!!colspan="2"|AFCその他の国際公式戦|-!通算
出典:wikipedia
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