新右翼(しんうよく)とは、第二次世界大戦以後における右翼のひとつのありよう。既成の右翼団体の在り様を否定して、自ら新たな存在たらんとする右翼のこと。明確な定義はないが、反共主義・親米・権威主義・国家主義的な要素が強い既製右翼より、反戦後民主主義・反体制・民族主義的な要素を多く持っている。第二次世界大戦後日本の右翼が「反共」を主要な運動テーマとして掲げ、「体制変革」の視点、「民族」の視点が稀薄になっていることを批判して登場した勢力のことを言う。日本社会党や「六全協決議」以後の日本共産党などのいわゆる既成左翼の運動を否定して生まれた共産主義者同盟(ブント)などが新左翼と呼ばれたことに倣い、自らそう名乗った。ちなみに、民族主義と国家主義という分類は、「新右翼」のカテゴリーとは全く無関係であり、「新右翼」はどちらの要素も持っている。「民族派」と「新右翼」では、その意味する内容はかなり似通っているが、どちらかと言えば、「新右翼」の方が後で使われ出したようである。例えば、「民族派」という言葉は、1970年代前半の日本学生会議(JASCO)、全国学生自治体連絡協議会(全国学協)や日本学生同盟(日学同)などを指すことが多いが、「新右翼」というと、1970年代後半に結成された鈴木邦男の一水会や統一戦線義勇軍、野村秋介の「風の会」(後に自らは「新浪漫派」と名乗った)などを指して使用されることの方が多い。また、「民族派」という言葉は、反共派の右翼に対して反共よりも民族的立場を強調する右派学生運動に対して主に使用されてきた呼称であるが、現在はほとんどの右翼団体が自らを「右翼民族派」と自称している。「新右翼」の主張の特徴は、既成の右翼団体が自民党の実質的な院外団と化し、「米国による日本支配」にほとんど無批判であったことを厳しく批判する点にある。しかし、昭和50年代までは、既成右翼による「自民党支持」や「反共」路線にはそれなりの妥当性が存在した。当時、国際的にはソ連邦や中共の支援を受けた各国共産党が次々と社会主義政権を樹立しており、国内的にも社会党、共産党の勢力が尚議会で強力な勢力を保持していたのである。社会主義革命の危機は、現実に目前に存在したのであった。現実政治を動かす力学の上では、既成右翼の「自民党支持」や「反共」という運動選択は、かなりの危機感のもとになされていた。ただ、彼ら既成右翼の問題点は、その多くが、目前の「反共」という運動課題に拘泥し、より長期的な目的である「戦後体制打倒」についての関心が稀薄、もしくは欠如していたことにある。スローガンとして「自主憲法制定」を掲げながらも、その目標実現に関しては大した工夫もこだわりもなかったのである。また自称右翼が多く誕生して、街宣右翼のようにどう考えても日本人のためにならず、単なる迷惑行為しか行わなかったり、暴力団が勝手に右翼を名乗ったりという実態への反発も多かった。これに対し、新右翼は、既成右翼の「反共」路線に飽き足らず、「維新」や「民族」に大きなこだわりを持ち、より理念的であろうとした。かつての「民族派」学生運動が掲げた「反YP論」に基づき、戦後体制そのものを批判し、米国の政策に対しても公然と非難し始めたのである。新右翼による攻撃の対象は、「米国」のみに留まらなかった。それは、「自民党政権」や「財界」、「近代科学文明」等、これまで既成の右翼団体があまり批判したことがないような様々な分野にまで及んでいる。しかし、このような鈴木邦男や野村秋介らの新右翼の運動が、その理念と行動の純粋性によって評価される(幾度投獄されても闘い続ける野村秋介の打算のない姿勢などが共感を呼んだ)一方、新たな批判も生まれてきた。例えば、ある新右翼の一派は、近代科学文明批判の立場から筑波科学万国博覧会への抗議行動を行ったが、「科学文明の何をどのように否定して、どのような社会を目指したいのかがよくわからない」との批判があった。また、新右翼を監視する国家機関
出典:wikipedia
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