井場 友和(いば ともかず、1976年8月27日 - )は、熊本県宇城市出身の元プロ野球選手(投手)。小学5年から投手として野球を始め、中学はリトルリーグでプレー。九州学院高校ではエースになるも3年夏は県大会初戦で敗退した。福岡大学時代に大学選手権に出場。初戦で龍谷大学と対戦したが敗れている。社会人時代は富士重工業に所属し、2000年にはシドニーオリンピック野球の補充選手。また、都市対抗野球大会で二回戦まで進出した。その後、同年のドラフト会議前に日本ハムファイターズを逆指名した。速球と、キレのあるフォークボール、カーブを武器に、1年目のから活躍。同年は40試合に登板し、4勝3敗4セーブ、防御率2.53の成績を残した。は芝草宇宙とともに抑えも務め、前年よりは安定感を欠いたものの45試合に登板し、1勝2敗11セーブをマークした。しかし、以降は制球力が低下し、この年は3試合の登板にとどまった。はチームの本拠地が東京ドームから札幌ドームに移転した。移転1年目の同年は39試合に登板したが、防御率4点台と安定感を欠いた。また、この年からパ・リーグに先行導入されたプレーオフでは第1ステージの西武ライオンズとの対戦で第1戦にホセ・フェルナンデスに満塁本塁打を打たれるなど、ここでも安定感を欠いた。結局第3戦でチームは敗れプレーオフ敗退となった。も安定感のなさは変わらず、22試合の登板に終わった。オフに入籍した。シーズンは前年後半から台頭した武田久、読売ジャイアンツから移籍してきた岡島秀樹、抑えのマイケル中村らの活躍もあり、プロ入り初の1軍登板なしでシーズンを終えた。9月29日に戦力外通告を受けた。、芝草と同様に、台湾の興農ブルズと契約し、9勝(9敗)を挙げ、防御率はリーグ3位の2.67という活躍を見せたもののシーズン中の9月に退団。、興農と再契約。しかし、5月7日付けで退団となった。同年7月16日付で、四国・九州アイランドリーグの長崎セインツに入団。入団後は12試合に登板して4勝5敗、防御率3.42であった。シーズン終了後、球団より翌年の契約を結ばない旨を通告され、退団。11月11日、12球団合同トライアウトを受験した。しかし獲得する球団は現れなかった。
出典:wikipedia
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