ファタハ( ラテン文字転写: )は、パレスチナの政党。1957年、パレスチナ独立を目標としてヤーセル・アラファートにより設立され、パレスチナ解放機構(PLO)に加入した。党名の「ファタハ」は、アラビア語の「パレスチナ民族解放運動」(Harakat al-Tahrir al-Watani al-Filastini)の頭文字を逆に綴った言葉。アラビア語で「征服」や「勝利」との意味もある。1957年1月1日にシリアの支持の元に設立。初代議長はヤーセル・アラファートで、1967年にパレスチナ解放機構(PLO)に加入した。PLO各派は当初はヨルダンを本拠地にイスラエルへの武装闘争を繰り返したが、1970年にパレスチナ解放人民戦線が起こしたPFLP旅客機同時ハイジャック事件が契機となったフセイン1世国王によるヨルダン内戦の結果、ヨルダンから追放されレバノンに本拠を移した。PLO主流派(最大派閥)であるファタハは、ミュンヘンオリンピック事件で知られる秘密テロ組織黒い九月を結成した。しかし1980年代には欧米の支持も背景に穏健路線へ転換した。自治政府成立後は長らく与党の地位にあったが汚職が指摘され、2006年1月のパレスチナ評議会選挙ではハマースに敗れ、評議会の過半数を奪われた。しかしファタハのマフムード・アッバースは引き続き自治政府大統領の地位にあり、コアビタシオンの状態となった。また、イスラエル・アメリカ合衆国はハマースを相手にせず、引き続き穏健派のファタハを交渉相手にすると宣言。軍事面を含む援助を行った。2007年3月17日、ハマースとの挙国一致内閣が成立したが、両者の抗争は断続的に続いた。6月11日、ハマースがガザ地区の占拠に及んだことで、アッバースは一方的に内閣の解散を宣言。ハマースを排除した新内閣(首相:サラーム・ファイヤード)を組織したが、ハマース側は当然これを認めなかった。以後はパレスチナは、ガザ地区を領するハマースと、ヨルダン川西岸地区を領するファタハの分裂状態となった。2012年10月にヨルダン川西岸地区のみで実施された地方選は、ハマースがボイコットしたため事実上のファタハへの信任投票となったが、主要都市で敗北した。ファタハ創設メンバーの一人で、アッバース大統領の上級顧問でもあるハーニー・アル=ハサンは「アルジャジーラ」の取材に対し、米国とイスラエルがハマースを潰す計画に追従していると内部批判した。アッバースはハサンを解任し、またハサンがハマースのクーデターに協力したと批判する幹部もあった。なお武闘派のイメージが強いにもかかわらず欧州型中道左派・社会民主主義政党の国際組織である社会主義インターナショナルに加盟している(同インターにはイスラエル労働党も加盟している)。
出典:wikipedia
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