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浄土真宗本願寺派

浄土真宗本願寺派(じょうどしんしゅうほんがんじは)は、浄土真宗の一派。宗祖親鸞の墓所である「大谷廟堂」を発祥とする「本願寺」(「西本願寺」)を本山とする。包括関係にある末寺数は10497寺を数える。信者数約694万人は浄土真宗(真宗)の各宗派中最大であり、また、仏教系の宗教法人の中でも最大数を誇っている。宗教法人全体でも、神社本庁についで2番目に多い(2000年12月31日現在)。明治時代の初期に、西欧の三権分立をまね、立法(宗会)・行政(宗務所)による施策決定システムを持っている。これは、明治政府の構築のモデルともなった。現在でも、浄土真宗本願寺派宗法に基づいて、宗務の執行機関である合議制機関「総局」(総長及び総務で構成する。)、立法及び議決機関「宗会」、教義に関する門主の諮問機関「勧学寮」、法規上の訴え、懲戒、係争又は紛争、秩序保持並びに財産の管理及び経理の運営に関する審判と監査機関である「監正局」と国家類似の権力分立の形式を採用している。なお、2012年4月1日から、浄土真宗本願寺派宗法、宗教法人「浄土真宗本願寺派」宗規、宗教法人「本願寺」寺法、本山典令という浄土真宗本願寺派の宗務法規の変更が実施された。絶大な権力を持つ本願寺派門主の第22世鏡如(大谷光瑞)は、シルクロード探検隊を送ったり、海外布教や、学生の教育に力を尽くしたが、それらの大きな費用負担が宗門及び本願寺の財政を危機に陥れたため、鏡如は法主引退に追い込まれた。本願寺派は再び危機を招かぬように、龍谷門主大谷家の権限を制限することを決定した。大谷家は宗務の権力中枢から、象徴へとその地位を変えた。浄土真宗本願寺派宗制とともに、宗門の最高規則である浄土真宗本願寺派宗法 浄土真宗本願寺派宗法変更では、門主は本願寺住職をもって充て、「門主は、宗意安心の正否を裁断する」、「法灯を伝承して、この宗門を統一し、宗務を統裁する」)、宗教法人としての規則である宗教法人「浄土真宗本願寺派」宗規 宗教法人「浄土真宗本願寺派」宗規変更では「この宗門の規程たる宗制及び宗法に基き、法灯を伝承して、この宗門を統一し、宗務を統裁する」、本願寺住職としては「法灯を伝承して、この寺院を統一する」(宗教法人「本願寺」寺法 宗教法人「本願寺」寺法変更)と定められている。本願寺住職にして門主の伝灯相承の順序は、本山典令及び本願寺寺法で、世襲であって、宗祖の系統たる大谷宗家の家系に属する者が、次の順序で伝灯相承される。住職の相承は、その遷化又は辞任に因って行う。この場合において、新門があるときは、直ちに相承を行う。 「門主が遷化その他の事由に因って欠けた場合において、すみやかに門主となるべき本願寺住職の相承を行うことができないとき、又は未成年者であるとき、若しくは相当の期間その職務を行うことができないときは、門主代務を置くものとする。門主代務は、「本願寺の住職代務をもって充てる」とされている。本願寺住職に事故があるときなどには、本願寺新門は、本願寺住職代務となる(寺法第15条第1項)。本願寺住職たる門主の「長男子」、長男子がいないときは「長男子の長男子」で、得度式を受けた者は本願寺嗣法と呼ばれる。本願寺嗣法は、本願寺住職を補佐する。宗法では、「本願寺嗣法は、新門に就任する」と定め、「新門は、門主を補佐する」と定めている。宗門の裏方は、本願寺の坊守が当る。本願寺住職の配偶者を坊守という。本願寺には、住職の認許を得て、衆徒を置くことができる。本願寺衆徒は、住職の2親等以内の血族で、得度式を受け、僧籍にある者でなければならない。現在の門主が新門であった時、配偶者(新裏方)が僧籍にあったことから、その取扱について検討した結果、宗会の議決を経て、本願寺寺法の施行細則として「本願寺の衆徒に関する特例法」により、「寺法第16条の3の規定にかかわらず、住職の認許を得て、本願寺の衆徒に相当する待遇を受けることができる」こととされた。長男子及び長男子の長男子がいないときに、住職の嫡出の長男子、住職の嫡出の長男子の長男子以外の住職の嫡出の長男子の子孫、次子及び長男子の次子等、長男子及び長男子の子孫以外の住職の子孫、住職の兄弟及びその子孫、住職の最近親の系統に属する者のいずれに伝灯相承させるかを決定するのは、住職伝承委員会である。住職伝承委員会は、次の者で組織される。住職伝承委員会は、執行長の申達によって、住職又は住職代務が招集する。ただし、住職及び住職代務がともにないとき、又は事故があるときは、執行長が招集する。「宗意安心に関する事項及び別に定める事項を除き、宗務を執行する権限は、総局に属する」「総局は、合議制とし、総長及び3人の総務で組織する」「総長は、宗規の定めるところによって、代表役員となり、総務は、代表役員以外の責任役員となる」「総局は、宗務の執行について、宗会に対し責任を負う」と定めている。総長は、総局を代表し、その事務を総理する。総長は、宗務を必要な各部門に分け、総務に分掌させ、又自ら所管することができる。但し、必要により、部門を所管しない総務を置くことができる。宗教法人「浄土真宗本願寺派」の代表役員であるのは、総長である。もっとも、代表役員の宗教法人の事務に関する権限は、「宗教上の機能に対するいかなる支配権その他の権限をも含むものではない」とされている(宗教法人法第18条)。真宗十派の中で本願寺派のみ「宗務総長」ではなく、「総長」と称する。総長は、宗会議員総選挙の後に初めて、宗会の招集があったとき(宗会の解散による宗会議員総選挙後の最初の宗会では、必ず信任を問い、それが否決されたとき。)、又は宗会で不信任の決議案が可決し、若しくは信任の決議案を否決した場合において、2日以内に、門主の認許を得て総長が宗会を解散しないときは、退任しなければならない。総長は、浄土真宗本願寺派教師のうちから門主の指名する2人又は3人の総長候補者について、宗会が選挙を行い、その当選人を門主が任命する。学校法人龍谷大学寄附行為第6条により、学校法人龍谷大学の理事長は総長の充て職でもある。総務は、総長を補佐し、所管の事務について、総長に対し責任を負う。総務は、浄土真宗本願寺派教師のうちから、総長の申達によって、門主が任命する。総務は総長が退任し、又は欠けたときは、退任しなければならない。副総務は、総長の申達によって、門主が任命する。副総務は総長が退任し、又は欠けたときは、退任しなければならない。副総務は、総局会議の構成員ではない。宗教法人「本願寺」も、代表役員は本願寺住職ではなく、「本願寺執行長」(しゅぎょうちょう)である。本願寺執行長は、浄土真宗本願寺派教師のうちから本願寺住職の指名する2人又は3人の本願寺執行長候補者について、本願寺評議会が選挙を行い、その当選人を本願寺住職が任命する。本願寺の本願寺副執行長(ふくしゅぎょうちょう)は、浄土真宗本願寺派教師のうちから本願寺住職の認証を得て、本願寺執行長が任命する。本願寺執行長が退任し、本願寺執行長が欠けたときは、本願寺副執行長は退任しなければならない。本願寺の本願寺執行(しゅぎょう)は、寺務職員のうちから執行長が任命する。本願寺執行長が退任し、本願寺執行長が欠けたときは、本願寺執行は退任しなければならない。「浄土真宗本願寺派」という宗名が正式に定められたのは1877年(明治10年)である。真宗大谷派(「お東さん」)との区別のため、「お西さん」と呼ばれることもある。ちなみに本山の本願寺も、一般的に「西本願寺」と呼ばれたり、本願寺派という意味で「本派本願寺」と呼ばれることがある。なお、郵便局として京都市下京区七条通猪熊東入西八百屋町に、「京都本派本願寺郵便局」がある(他方、京都市下京区不明門通六条下る仏具屋町には、「京都東本願寺前郵便局」がある)。宗派の教義などを平易に表現するため、1967年、第23代門主勝如により制定され、2008年に第24代門主即如によって一部改正された。「私の歩む道」との副題が付いているご開山 親鸞 (1173 - 1262) - 宗祖第2代 如信 (1235 - 1300)第3代 覚如 (1270 - 1351)第4代 善如 (1333 - 1389)第5代 綽如 (1350 - 1393)第6代 巧如 (1376 - 1440)第7代 存如 (1396 - 1457)第8代 蓮如 (1415 - 1499) - 中興の祖とされる第9代 実如 (1458 - 1525)第10代 証如 (1516 - 1554)第11代 顕如 (1543 - 1592) - 戦国時代に織田信長などと対立第12代 准如 (1577 - 1630) - 東西本願寺に分立第13代 良如 (1612 - 1662)第14代 寂如 (1651 - 1725)第15代 住如 (1673 - 1739) - 寂如の養子で実父は九条兼晴第16代 湛如 (1716 - 1741)第17代 法如 (1707 - 1789)第18代 文如 (1744 - 1799)第19代 本如 (1778 - 1826)第20代 広如 (1798 - 1871)第21代 明如 (1850 - 1903) - 海外開教を実施第22代 鏡如 (1876 - 1948) - 大谷探検隊を派遣第23代 勝如 (1911 - 2002) - 『正信偈』を改譜第24代 即如 (1945 - ) - 現「前門」第25代 専如(1977 - ) - 現・門主本山直属寺院を別院・教堂という。直属寺院は、地方における教義弘通の中心道場であり、門主が住職である。別院には輪番、教堂には主管が置かれ、輪番又は主管が別院・教堂における寺務の平常の運営を主管する。宗教法人たる別院・教堂の場合は、通常、輪番又は主管が代表役員となる。本山の直属ではあるが別法人である場合、財政的には独立採算であるため、近年は門徒数の減少などから財政困窮により廃寺寸前の教堂も少なくない。歴史的経緯などから東北地方は仙台、関東地方は東京(築地別院、現在は直轄寺院・築地本願寺に転換)にのみ存在するのに対し、北陸地方・中部地方以西の西日本は全府県にある。別格別院は第8代蓮如の直系子孫らが開山又は復興し、蓮如の血縁を汲むものが歴代の住職を務めてきた有力寺院。大谷宗家に準じる連枝として特別の待遇が与えられ、寺院そのものも多くの末寺を抱え、多くが寺域に寺内町を形成するなど本願寺に準じる「中本山」として権力を誇った。別格別院という名称、規定は明治期のもの。第二次世界大戦後には本末制度が解体され、宗派の被包括寺院として末寺が独立したことで、急速に力を失った。本願寺派では、全国を5連区、32教区(31の教区と沖縄開教区)に分けて教務所を設置し、533の組(そ)に地域割りしている。教務所は本山宗務所の出先機関として事務全般を取り扱うほかに、各教区の開教・布教拠点としての役割を担う。別院と併設されることが多く、この場合に教務所長は原則として別院輪番が兼職する。もっとも、東京教区教務所は築地本願寺に、大阪教区教務所は本願寺津村別院にそれぞれ併設されているが、例外的にこれら教務所長は別院の副輪番である。海外開教は第21代法主明如により提唱され、アジアを中心にハワイ、北米への開教使派遣、寺院建立が行われた。1940年代にピークを迎えたが、第二次世界大戦の敗戦と共にアジア開教地は壊滅している。現在の台湾開教地は戦後復興されたものである。以下は現在の開教拠点である。

出典:wikipedia

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