神八井耳命(かんやいみみのみこと、生年不詳 - 綏靖天皇4年4月)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族。初代神武天皇の皇子、第2代綏靖天皇の同母兄で、多臣(多氏)及びその同族の祖とされる。『日本書紀』『古事記』によれば、初代神武天皇と、事代主神の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)、または大物主神の娘の伊須気余理比売命(いすけよりひめのみこと)との間に生まれた皇子である。『日本書紀』では、同母弟に神渟名川耳尊(神沼河耳命、第2代綏靖天皇)を、『古事記』では加えて同母兄に日子八井命(日本書紀なし)の名を挙げる。『日本書紀』綏靖天皇即位前紀によれば、朝政の経験に長けていた庶兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)は、皇位に就くため弟の神八井耳命・神渟名川耳尊を害そうとした。この陰謀を知った神八井耳・神渟名川耳兄弟は、己卯年11月に片丘(奈良県北葛城郡王寺町・香芝町・上牧町付近か)の大室に臥せっていた手研耳を襲い、これを討った。この際、神八井耳は手足が震えて矢を射ることができず、代わりに神渟名川耳が射て殺したという。神八井耳はこの失態を深く恥じ、弟に皇位をすすめ(第2代綏靖天皇)、自分は天皇を助けて神祇を掌ることとなった。そして神八井耳は綏靖天皇4年4月に死去したという。『古事記』においても同様の説話が記されている。墓は不詳。『日本書紀』では、神八井耳命は「畝傍山北」に葬られたと記されている。畝傍山の北に所在する八幡神社(奈良県橿原市山本町152)社伝では、同社は神八井耳命の墓の所在地であるといい、古くは「八井神社」と称されたとする。また、多氏の氏神社である多坐弥志理都比古神社(奈良県磯城郡田原本町)を始めとする諸社で、命の霊が祀られている。『日本書紀』では、神八井耳命について多臣(多氏)の祖と記している。また『古事記』では、意富臣(多氏)・小子部連・坂合部連・火君・大分君・阿蘇君・筑紫三家連・雀部臣・雀部造・小長谷造・都祁直・伊余国造・科野国造・道奥石城国造・常道仲国造・長狭国造・伊勢船木直・尾張丹羽臣・嶋田臣ら19氏の祖とする。そのほか『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。前述のように、『古事記』では伊余国造・科野国造・道奥石城国造・常道仲国造・長狭国造の祖とする。『先代旧事本紀』「国造本紀」では、次の国造が後裔として記載されている。
出典:wikipedia
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