メアリー・J. ブライジ(Mary Jane Blige、1971年1月11日 - )は、アメリカ合衆国の女性R&B歌手。クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウルと称される。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第100位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第78位。ジャズミュージシャンの父トーマスと学校教師の母コラの間に生まれる。メアリーが4歳のときに両親は離婚し、母と姉と三人で暮らす。7歳の頃から教会の聖歌隊で歌い始め、母の影響でオーティス・レディング、グラディス・ナイト、アル・グリーンなどの60年代-70年代ソウルを聞いて育つ。高校のタレント・ショウでは歌も披露していたが、気晴らしのために麻薬を使用したりして、結局落第する。地方のショッピング・モールの録音ブースでアニタ・ベイカーの1986年のヒット・ナンバー「コート・アップ・イン・ザ・ラプチャー」を歌ったデモ・テープを、継父が当時のアップタウン・レコードの社長だったアンドレ・ハレルに渡し、アップタウン・レコード社にとって最年少で初の女性アーティスト契約を結ぶことになる。1990年ファーザーMCの「I'll Do For You」にフィーチャリング参加した後、映画『Strictly Business』のサウンドトラック収録曲、「You Remind Me」でソロデビューする。ショーン・パフィ・コムズ(現ディディ)のサポートで、1992年のデビュー・アルバム『ホワッツ・ザ・411?』をリリース。同アルバムからの1作目のシングル「リアル・ラヴ」は、「トップ・ビリン」をサンプリングしたもので、全米ナンバー1を記録する大ヒットとなる。その後も「レミニス」、「ラヴ・ノー・リミット」と立て続けにヒットを飛ばし、アルバムは見事にダブル・プラチナを獲得、そのR&Bとヒップホップを融合させたスタイルから「クイーン・オブ・ヒップ・ホップ・ソウル」と称されるようになった。翌年、本作のリミックス・アルバム『ホワッツ・ザ・411? リミックス』をリリース。1994年には2作目のスタジオ・アルバム『マイ・ライフ』を発表。アレサ・フランクリンと比較されるほどの存在感を放ち、このアルバムもプラチナムを記録した。この時メアリーは初めてワールド・ツアーを敢行、訪日も果たした。「アイム・ゴーイン・ダウン」はローズ・ロイスのカバーで、この曲でメアリーは高い歌唱力を実証することになる。1stシングル「ビー・ハッピー」は、デビュー作から本作も関わっているショーン・パフィ・コムズのプロデュース。1996年には、グラミー賞(ベスト・ラップ・ソング)を受賞。1997年、プロデューサー陣にベイビーフェイス、ジャム&ルイス、R・ケリー、エムトゥーメ、ロドニー・ジャーキンスといったそうそうたる面々を迎えた、3作目のスタジオ・アルバム『シェア・マイ・ワールド』をリリース。ジョージ・ベンソンが客演した「セヴン・デイズ」、R・ケリーとのデュエット「イッツ・オン」、映画『ため息つかせて』の挿入歌になった「ノット・ゴナ・クライ」などが収録されている。日本盤のボーナス・トラック「ナチュラル・ウーマン」は、「クイーン・オブ・ソウル」と称されたアレサ・フランクリンが1967年にヒットさせた曲のカヴァー。アルバムはアメリカ国内だけで300万枚を超えるセールスを記録、最大のヒットアルバムとなった。この時の全米ツアーの模様を収録した初ライヴ・アルバム『ザ・ツアー』では、「Misty Blue」などの未発表曲も発表した。1999年夏に、4作目のスタジオ・アルバム『メアリー』をリリース。アルバムからのファースト・シングル「オール・ザット・アイ・キャン・セイ」ではローリン・ヒルがプロデュース、バッキング・ヴォーカルでも参加しているほか、「ディープ・インサイド」、「ギヴ・ミー・ユー」、「ユア・チャイルド」が立て続けにヒット。アレサ・フランクリンや元恋人K-Ci Hailey、エルトン・ジョンとのデュエット曲も収録されている。プロデューサーにベイビーフェイスが参加しているが、大半の楽曲にメアリー自身が作曲、プロデュースで関わっている。 2000年に発売された日本独自企画のコンピレーション・アルバムであるバラード・アルバム『バラッズ』には、スティーヴィー・ワンダーの「オーヴァージョイド」を収録。このカバーは友人であるマイケル・ジョーダンの企画・仲介で実現した。コンサートツアーやユニセフのチャリティー・コンサート参加など、多忙を極める中、Soul Train "Lady of Soul" AwardでR&B/Soul Album of the Year, Solo(「Mary」)とR&B/Soul or Rap Song of the Year(「オール・ザット・アイ・キャン・セイ」)の2冠に輝く。2001年6月、第1回BET AWARDでBest Female R&B Artistに選ばれるなど、確固とした地位を確立する。同時期に、映画やドラマなど女優にも挑戦。同年8月、5作目のスタジオ・アルバム『ノー・モア・ドラマ』をリリース。初登場2位を記録した。ドクター・ドレープロデュースのアルバムからの1作目のシングル「ファミリー・アフェアー」は6週連続全米ビルボードチャート1位という大ヒットを記録。アルバムは全世界で260万枚を売り上げ、グラミー賞2部門ノミネートや2年連続でNFLスーパーボウルでのパフォーマンスを行った。 1作目のスタジオ・アルバムで大成功を収めた際のプロデューサー、P・ディディ(ショーン・パフィ・コムズ)とのコンビ復活によるニュー・アルバム制作のニュースが2003年に届き、春には大ヒット中だった50セントの「イン・ダ・クラブ」をサンプリングしたプロモーショントラック「フックト」が注目される。しばらく時間をあけて発表された新曲「ラヴ@ファースト・サイト」では、過去にコラボレート作でグラミーを受賞したメソッド・マンをフィーチャー。同年6作目のスタジオ・アルバム『ラヴ & ライフ』をリリース。アルバムはプラチナを獲得するもセールスは伸びず、最も商業的には失敗した。評論家もファンも一貫性の不足を批判した。 また、メアリーは2000年から交際を始めていたマーチン・ケンドゥ・アイザックスと2003年12月7日に結婚。 その結果、現在メアリーはマーチンの連れ子である3人の幼い子供の継母になった。 『ザ・ブレイクスルー』と題せられた7作目のスタジオ・アルバムを2005年末にリリース。アルバムからのリードシングル「ビー・ウィザウト・ユー」は総合シングルチャートBillboard Hot 100で最高位3位、Hot R&B/Hip-Hop Songsチャートでは15週連続で1位を記録する大ヒットとなった。アルバムはR&BアルバムとビルボードTop200アルバムチャートともに一位でデビューし、発売1週間で驚異的な72万7000枚を販売した。アルバムでは1991年のU2のヒット曲、「ワン」のカバーをボノとともにデュエットしている。 リリース以来、アルバムは米国内で300万枚以上を販売。2006年末には、ジョン・レジェンドとのデュエットなど新曲3曲を含む初のグレイテスト・ヒッツ『リフレクションズ〜ア・レトロスペクティブ』を発売。2007年2月開催のグラミー賞で『ザ・ブレイクスルー』に対し最多8部門でノミネートされ、3部門で受賞した。同年12月には、8作目のスタジオ・アルバム『グロウイング・ペインズ』を発売。発売1週目は62万9000枚を売り上げるも2位に終わるが、翌週には第1位を獲得した。
出典:wikipedia
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