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スピリット・レーシング

スピリット・レーシング(Spirit Racing)はかつてF1に参戦していた、イギリスのコンストラクターである。25レースに参加(うち2レースは予選落ち)し、延べ25台のマシンを出走させた。1981年にゴードン・コパックとジョン・ウィッカムによって設立されたスピリットは、ホンダと密接な関係にあった。元々この二人はマーチのF2ワークス・チームに在籍していたが、1981年のシーズンオフに当時ホンダの四輪モータースポーツ全般を統括していた川本信彦が二人をスカウトし、ホンダの出資によりスピリットを設立。翌1982年よりオリジナルシャシーによるF2への参戦を開始した。日本製のホンダV6エンジンを搭載したスピリットのマシンは、1982年にヨーロッパF2選手権を主戦場とし、ティエリー・ブーツェンが2勝を挙げた。また、同年全日本F2選手権にも参戦し、鈴鹿グレート20レーサーズでステファン・ヨハンソンが2位、ブーツェンが4位、またJAF鈴鹿グランプリでヨハンソンが3位のリザルトを残している。翌1983年も引き続きF2に参戦するが(エンジンはBMWに変更された)、シャシーの改良が後手に回ったことと後述するF1参戦にリソースを割かれた影響で成績は低迷し、ヨー・ガルトナーがシリーズランキング6位(1勝)に入ったのにとどまった。1983年にはF2用の201シャシーとホンダV6ターボエンジンを用いて、ヨハンソンのドライブによりわずかながらF1に参戦した。デビューはイギリスグランプリで、同年のオランダグランプリでは7位という最高の結果を残した。1984年、スピリットは101シャシーでF1に専念することとなったが、ホンダは支援相手をウィリアムズに乗り換え、スピリットへのエンジン供給並びに資金援助を打ち切ったため、性能の劣るハートL4ターボエンジンに切り替えた。マウロ・バルディのドライブによるマシンは常に最後尾を走る存在であり、それはドライバーをヒューブ・ロテンガッターに変更してからも同じで、結局終盤の2レースはバルディが再び戻ってきた。そして、この年の最高位は8位だった(南アフリカグランプリでバルディ、イタリアグランプリでロテンガッターの計2回)。予算がひどく不足していたにも関わらず、チームは進化した101Dシャシーと相変わらずのハート・ターボエンジンにバルディを乗せて、1985年シーズンを戦い始めた。しかし開幕後の3レースがすべてリタイアに終わり、その後、チームは活動を中止した。()(太字はポールポジション、"斜体"はファステストラップ)() (太字はポールポジション、"斜体"はファステストラップ)

出典:wikipedia

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