カール・ポランニー(、、1886年10月21日 - 1964年4月23日)は、ウィーン出身の経済学者。経済史の研究を基礎として、経済人類学の理論を構築した。日本語での表記には、カール・ポラニーなどがある。オーストリア=ハンガリー帝国時代のウィーンでユダヤ人家庭の次男に生まれ、帝国内の旧ハンガリー王国の都・ブダペストに育った。ブダペスト大学の法律・政治学部に入学したが、法学者の講義を排斥から守るため、学生同盟ガリレイ・サークルの初代委員長となる。この出来事がきっかけで放校処分となり、ルーマニアのに転籍されて法学の博士号を取得した。第1次大戦でオーストリア=ハンガリー軍に従軍したのち、1919年にウィーンへ亡命。イロナと出会い、1924年から誌の副編集長となり、リベラルな著作家として知られるようになった。学生時代からハンガリーの解放運動に関わっていたが、政治状況の変化により亡命を余儀なくされ、イギリスへと渡った。この時に、イギリスの資本主義を体験し、オックスフォード大学とロンドン大学の依頼で成人教育を担当したことが、『大転換』の執筆につながる。1940年から1943年にかけてアメリカのに滞在して『大転換』を著し、1944年にニューヨークで出版された。その後、モーリス・クラークの招聘を受けて1947年からアメリカのコロンビア大学で客員教授となり、一般経済史を教えた。しかし、妻のイロナが共産主義運動に関わっていたためにアメリカ合衆国のビザが許可されず、ポランニーはカナダのピカリングの住まいから12時間をかけてコロンビア大学へ通った。晩年は産業社会と人間の自由についての研究に取り組み、『大転換』後の思想展開として『人間の経済』や『自由と技術』などの著作を構想していたが、未完のままカナダで死去した。『人間の経済』はハリー・ピアスン編集で遺著として出版されたが、『自由と技術』は、コロンビア大学の大学院生だったアブラハム・ロートシュタインがポランニーとの会話を記録した「ウィークエンド・ノート」に構想が残るのみである。カナダのコンコルディア大学には、カール・ポランニー政治経済研究所が設立され、未発表原稿を含めた文献を管理している。ポランニーの父ミハーイは、鉄道建設業を営む事業家。弟のマイケル・ポランニーは物理化学者、科学哲学者、社会学者。甥のジョン・ポランニーは化学者でノーベル化学賞の受賞者。妻のはハンガリー解放運動家。娘のは経済学者でマギル大学教授。姉のラウラはブダペスト大学で初めて博士号を得た女性であり、イギリスの冒険家ジョン・スミスのトランシルヴァニアにおける逸話が事実であると証明した歴史研究で知られ、前衛的な幼稚園経営者でもあり、アーサー・ケストラーがそこに入園した。ラウラの娘エヴァ・ザイゼルは陶器のデザインで知られるインダストリアル・デザイナーであり、ケストラーの恋人でもあった。妹のソフィアはナチス・ドイツの強制収容所で死亡した。ポランニーは経済以外の分野にも関心を持ち、初代委員長となったガリレイ・サークルには、創立時から詩人アディ・エンドレが関わっていた。サークルでは、エルンスト・マッハやウィリアム・ジェームズの研究会が開かれている。ポランニーはマッハの研究を翻訳してハンガリーに紹介し、『感覚の分析』では序文を書いた。このサークルはフリーメースンから財政的に支援されていた。父ミハーイの下で働いていた主任技師は、物理学者レオ・シラードの父だった。シラードは、ポランニーの弟マイケルの友人であった。オーストリアン・エコノミスト副編集長時代に、のちの経営学者ピーター・ドラッカーと出会い、以後長い交友関係を結ぶ。ドラッカーは、アメリカのベニントン大学の教授職をポランニーに紹介し、『大転換』執筆のきっかけともなったというが、ドラッカーによるエピソードには誇張や誤りが多いとされ、親族が訂正を求めている。人間は自分と自然との間の制度化された相互作用により生活し、自然環境と仲間たちに依存する。この過程が経済だとした。また、経済は社会の中に埋め込まれており()、経済的機能として意識されないことがあると主張した。ポランニーは、「経済的」という言葉の定義について2つをあげる。1. 実在的な定義。欲求・充足の物質的な手段の提供についての意味。人間とその環境の間の相互作用と、その過程の制度化のふたつのレベルから成る。2. 形式的な定義。稀少性、あるいは最大化による合理性についての意味。前者の経済過程の制度化は、場所の移動、専有の移動という2種類の移動から説明できる。従来の経済学では後者が重視されているが、それは狭い定義であると指摘した。自らの研究姿勢について「実在的」(substantive)と定義した。実在的という言葉の意味は、人間が自然や社会との間で行なう交換(interchange)を指す。実在とは諸関係のなかで相対的に存在するのであり、社会制度や行為がどのように経済的であるかも相対的に決まるとした。そのため、必ずしも合理的な行為のみが経済的であるとは限らず、ポランニーは機能や形式を重視する分析を批判している。このような姿勢から、ポランニー派の経済人類学はとも呼ばれている。経済過程に秩序を与え、社会を統合するパターンとして、互酬、再配分、交換の3つをあげる。互酬は義務としての贈与関係や相互扶助関係。再配分は権力の中心に対する義務的支払いと中心からの払い戻し。交換は市場における財の移動である。ポランニーは、この3つを運動の方向で表しており、互酬は対称的な2つの配置における財やサービスの運動。再配分は物理的なものや所有権が、中心へ向けて動いたあと、再び中心から社会のメンバーへ向けて運動すること。交換は、システム内の分散した任意の2点間の運動とする。『大転換』を執筆した時点のポランニーは、非市場社会の社会統合のパターンとして互酬、再配分、家政の3つをあげていたが、のちの著作『人間の経済』では、家政は再配分の中に包含された。研究対象としては、古代メソポタミア、古代ギリシア、プトレマイオス朝のエジプト、ダホメ王国、産業革命以降のイギリス、19世紀〜20世紀初頭の国際経済などが選ばれている。市場経済において不可分と考えられる交易、貨幣、市場の3つは、それぞれ別個の起源と発展過程があると指摘した。また、その3つは共同体の内部と外部では異なる発展をとげていたと論じた。沈黙交易や交易港の分析を通して、共同体同士のコミュニケーションについて考察した。交易は、共同体の外部との関係で発生したとし、従事する者も対外交易者(いわゆるストレンジャーが含まれる)と対内交易者とにわかれる。そして貨幣には対内貨幣と対外貨幣があり、市場にも対内市場と対外市場があるとしている。非市場社会には、価格を形成する自己調節的市場は存在しなかったとする。ポランニーは価格が変動する初の国際市場は、アレクサンドロス3世の家臣であるナウクラティスのクレオメネスが運営した穀物市場だったと述べている。非市場経済においては、等価は市場メカニズムでなく慣習、または法によって決められると論じた。そこで多様な財は、代替的等価物の比率に基づいて置き換えられる。利得、利潤、賃金、レント、その他収入と呼ばれるものは、非市場経済において等価に含まれていたとし、この等価性が公正価格制度の基礎であるとした。近代的な等価の概念との相違点として、私益のための利用を含まないこと、及び等価を維持する公正さを挙げる。貨幣は、言語、筆記、度量衡と同じく意味論的なシステムである。貨幣の機能には支払、価値尺度、計算、富の蓄蔵、交換などがあるが、それらは別々の起源と目的をもち、いずれかの機能が貨幣の本質だとするのは目的論的であるとする。全てを含む全目的な貨幣が現れたのは、文字をもつ社会が誕生したのちであると論じた。人間の経済原理の一部が肥大化したものが市場経済だとする。市場経済の世界規模での拡大は、人類史において普遍的な状況ではなく、複合的な経済へ戻ると考えた。19世紀は、世界規模の市場経済化が進み、それまで人類史上に存在しなかった市場社会を生んだとする。市場社会は、市場価格以外には統制されない経済を目的としたが、それ自体のメカニズムが原因で20世紀に崩壊し、市場経済から社会を防衛するための活動(ファシズム、社会主義、ニュー・ディール)も隆盛したとする。この分析は『大転換』に詳しく、ポランニーはウィリアム・ブレイクの言葉を借りて市場経済化を「悪魔のひき臼」に例え、癌という表現も用いている。また、市場経済は人間(労働)、自然(土地)、貨幣を商品を見なすことにより多くの人間を破局へ追い込んだと指摘した。イギリスの事例として、囲い込みや救貧法#スピーナムランド制度を取り上げた。さらに、市場経済化による欧米の破局は、欧米以外の地域における文化接触による破局と同質であると指摘し、インドの歴史# イギリスによる蚕食とインドの貧困化、アメリカでのインディアン居留地などを例にあげる。自らの行為が他人に与える影響やその社会的結果に責任を負う「責任を担うことを通しての自由」や、社会生活の透明性を高めることで他者や自然に対する社会的責任を負担する「見通し問題」を論じ、客観的に見える社会関連や制度は、意図された行為による非意図的な副産物として発生するとした。こうした問題を「ビヒモス」や「複雑な社会における自由」などの草稿や、未完に終わった『自由と技術』などで繰り返しテーマにしている。ルソーの『社会契約論』からは社会の存続と個人の自由のジレンマや、「普通の人々」の文化の概念を引き出した。自由と平等の関係をルソー・パラドックスと呼び、2つを両立させる自由の制度化を考察した。ジョセフ・E・スティグリッツは2001年の新装版『大転換』に序文を書き、ポランニーが本書を著した時代と現在の共通点を指摘し、古典的名著として評価している。ダグラス・ノースは、ポランニーの社会統合の概念を経済学者や経済史家が吸収すべきであると論じた。その他、エリック・ホブズボーム、ピーター・ドラッカー、ロバート・ハイルブローナーなどに評価され、イマニュエル・ウォーラーステインの世界システム論にも影響を与えた。経済人類学者としては、マーシャル・サーリンズ、、ジョージ・ドルトン、玉野井芳郎、栗本慎一郎などに影響を与えている。『大転換』の歴史認識や擬制商品論を重要視するか、『人間の経済』における「経済的」の概念や貨幣論などを重視するかは、研究者の間で評価が分かれている。ポランニーの市場社会論は、市場原理主義やグローバル資本主義との関連で言及されることがあり、非市場経済論はエドワード・P・トムスンらのモラル・エコノミーとの関連を指摘されている。社会に埋め込まれた経済といういわゆる埋め込み概念については、実物経済に埋め込まれた金融システムという視点でイスラーム金融論にも援用されている。また、ソフトウェア開発論からはオープンソースやフリーソフトとの関連も指摘されている。
出典:wikipedia
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