野口 幸司(のぐち こうじ、1970年6月5日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカー解説者。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。船橋市立船橋高等学校ではインターハイ2連覇、高校選手権でも準優勝を経験するなど、初期の黄金時代を築く主役として活躍した。高校1年生からレギュラーで出場しており、当時は小川誠一(元名古屋グランパスエイト)、曽我豊明(元水戸ホーリーホック)と野口の3人が市船の将来を託された選手であった。高校2年生のとき高校総体インターハイ(北海道開催)では、初出場初優勝を飾っている。その後、野口が3年生のときも高校総体インターハイでも優勝しており市船は高校総体2連覇を達成した。特にこの大会では野口は毎試合得点をしており市船優勝の原動力であった。この時はMFでありゲームも作るが得点もする怖い市船の頭脳であった。ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)の黄金期を支えたエースストライカー。1994年にJリーグに昇格したベルマーレ平塚の、リーグ戦での初得点者でもある(ヴェルディ川崎戦 1994年3月)。プレースタイルは昨今では珍しいワンタッチゴーラータイプで、シュート力、ヘディング、ドリブルなど、特段秀でたものはなかったが、決定力が非常に高く、シュート1本あたりのゴール確率はJリーグトップクラスであった。また、ベルマーレ在籍当時は、ベッチーニョ、アウミールと典型的なドリブル突破からラストパスを送るタイプの選手が在籍したためにあまり目立たなかったが、ジャパンフットボールリーグ当時はウインガーとしてプレーするなど、サイドからのパスにも非凡な面を持っていた。1995年5月3日、サントリーシリーズ第13節鹿島アントラーズ戦でJリーグ1試合個人最多得点記録となる5得点を記録。この試合は新人であった中田英寿がJリーグ初得点を記録した試合であり、ベルマーレが7-0で勝利した。中田は後半に野口の得点もアシストしている。この記録は湘南ベルマーレとなって以降を含め、最多得点差試合である。星稜高校、実践学園高校でコーチを務め、テレビ東京やWOWOWのサッカー解説としても活動。2015年からはアローレ八王子の監督兼アドバイザーに就任。!colspan="4"|日本!!colspan="2"|リーグ戦!!colspan="2"|!!colspan="2"|天皇杯!!colspan="2"|期間通算149||59||20||6||10||7||179||7231||5||1||0||3||1||35||61||0||0||0||||||||40||21||3||0||||||||48||30||4||2||||||||269||115||28||8||||||||その他の公式戦|-!通算
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。