石川 俊介(いしかわ しゅんすけ、1962年6月22日 - )は、日本、横浜市出身のベーシスト。1999年に解散した聖飢魔IIのメンバーで、在籍時はゼノン石川(ゼノン いしかわ、Xenon Ishikawa)と名乗っていた。聖飢魔II時代の公式なプロフィールによると、「B.D.100036年(紀元前98038年)6月22日生まれ、地獄の貿易港サイド・ビーチ発生の聖飢魔IIの弐代目ベーシスト。敬称は博士・画伯・和尚・書家・豪傑と各構成員の中でも最多だが一般的に和尚と呼ばれている(ミサ中、「いぇ〜い」を連発するため、別名「いぇ〜いのおじさん」とも)。元地獄文化局長」とのことである。正式な称号でも敬称でもないが、デーモン小暮閣下からは「ツノ」、黒柳徹子からは「鬼の方」と呼ばれたこともある(ゼノン石川が頭に角の生えた姿をしていたため)。アマチュア時代にはかまし連発、チェリーブロッサムなどのバンドを組んでいた。1986年より聖飢魔IIの第2代目ベーシストとしてプロデビュー。聖飢魔IIと同時並行でライデン湯沢とRXを結成。一時精力的に活動していた。聖飢魔IIとは前身バンド時代からメンバーの交換、両バンド同時所属などの交流がある爆風スランプの江川ほーじんが脱退した際、後任が見つかるまでサポートメンバーとして参加したこともある。聖飢魔II解散後の2000年以降は石川俊介の名で活動を開始し、結成当時はサポートだった松崎雄一を正式メンバーに加えたRXを再始動するも後に再度活動停止。ただしデーモン閣下のソロ活動におけるバックバンド「黒船バンド」には松崎・雷電と共に参加している。RXと並行してスタジオ・ミュージシャンとしての活動を始めており、是方博邦やデーモン小暮閣下、T-SQUARE、大橋隆志のサポートなどに参加。2001年、ジミ橋詰(ドラムス)、米川英之(ギター、元C-C-B)、中道勝彦(キーボード)らと『N/Y Funk shot!!』(エヌ・ワイ ファンク ショット)を結成、首都圏を中心に年に数十本に及ぶライブ活動を行っていた(2009年以降、ユニットとしての活動はない)。2011年、2015年の聖飢魔IIの期間限定再集結に参加している。横浜市立金沢高等学校、多摩美術大学出身(本人によると、卒業はしていないので「出身」ではないとのこと)であり、音楽だけでなく、絵画などもこなす多芸な人物として知られる。習字は苦手だったと語っているが、聖飢魔IIの「日本全国ふるさと総世紀末計画」での47都道府県ミサでは毎回全て異なる書を披露した。写真にも通暁しており、CANTAのアルバム『fraction』ではジャケット撮影を担当している。職歴も異色であり、ミュージックステーションにおいて井戸の調査のアルバイトをしたことがあると紹介された。聖飢魔II先代ベーシストのゾッド星島とはかなり対照的に、演奏している時は動かざる事山の如しと形容され、ミサでのソロタイムなど一部を除きほとんど動かない。性格も非常に穏やかである。1990年8月31日ミュージックステーションでデーモン小暮閣下が消火器を噴射する演出を行った際は間近にいたが、軽くのけぞっただけでほとんど動かず演奏を継続した。スペインへ聖飢魔II海外ミサ(コンサート)を催しに行った際も、現地の子供に「笑顔がステキで親しみやすい」と評判だった。しかし時としてその穏やかな性格を「全然悪魔じゃない」とネタにされることも少なくなかった。2005年の期間限定再集結時では背中から巨大な翼が生えた姿となって登場。この姿はミサでルーク篁が「結局あいつは、羽で飛ぶ事は無かったな……。」「あの羽が取れたほうが体が軽いそうだ。」とネタにしていた。2000年以降は聖飢魔II再集結時を除き、ウルトラマンと同化していた頃の記憶がない「ハヤタ隊員のように」「悪魔であった時の記憶が無い」「ゼノンは地獄へ帰ったので、今は人間」などと述べている。2013年現在、元聖飢魔II最終構成員のうちでは唯一本名で活動している。詳細は聖飢魔IIのディスコグラフィ(1986年11月以降)を参照詳細はRXのディスコグラフィを参照
出典:wikipedia
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