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ベガルタ仙台

ベガルタ仙台(ベガルタせんだい)は、日本の宮城県仙台市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブである。1988年創部の東北電力サッカー部が前身であり、1999年にJリーグへ加盟した。ホームタウンは宮城県仙台市()。ホームスタジアムはユアテックスタジアム仙台()である(詳細は#ホームスタジアムを参照)。練習場は泉サッカー場()および泉パークタウンスポーツガーデン・サッカー場()である。チーム名の「ベガルタ」は、仙台七夕にちなんで七夕の「織り姫」と「彦星」とされる星の名前、「ベガ (Vega)」と「アルタイル (Altair)」を合わせた造語。マスコットは「ベガッ太」。1988年創部の東北電力サッカー部が前身。1994年に東北社会人サッカーリーグ及び全国地域サッカーリーグ決勝大会で優勝。1995年よりジャパンフットボールリーグ(JFL)へ昇格。また、1994年10月に運営法人として「株式会社東北ハンドレッド」(現在の「株式会社ベガルタ仙台」)を設立し、クラブ名を「ブランメル仙台」(後述)に改称した。1995年にJリーグ準会員となり、1999年からのJリーグの2部制開始とともにJ2に参加した。なお、商標権の関係から、翌1999年1月よりクラブ名称を「ブランメル仙台」から「ベガルタ仙台」に改称した。また、チームカラーもゴールド(「ベガルタゴールド」)へ変更した。J2リーグ戦は、前期(第2クール)終了時点で最下位となり、前期終了を以って壱岐洋治が総監督を、鈴木武一が監督を共に辞任。後任として清水秀彦が監督に就任。なお、最終順位は9位。ナビスコ杯は、1回戦で広島に敗退。1チーム増の11チームで争われたリーグ戦は、開幕から5連敗を喫したがその後巻き返し、最終順位は5位。ナビスコ杯は1回戦でC大阪に敗退。FWマルコス、元日本代表MF岩本輝雄等が新加入。J2開始3年目は1チーム増の12チームで争われ、第1クールを8勝1分2敗で終えると、以降の3クールで6勝ずつ勝利を挙げ、勝点80の3位で最終節(第44節)を迎える。最終節(11月18日)で、京都を破り、前節まで2位の山形が川崎にVゴール負けしたため、リーグ2位が決まり、東北地方のクラブとして初のJ1昇格が決定した。ナビスコ杯は1回戦で福岡に敗退。この年のチームスローガンはなし。FW山下芳輝、MFシルビーニョ、MF森保一、DF小村徳男らが加入。第1ステージは2年連続J1年間王者の鹿島にアウェーで勝利するなど、開幕から5連勝。特に、山下は7試合で5得点を挙げ、J1得点ランキング2位タイの活躍で日本代表候補に選出された。しかし、2002 FIFAワールドカップ開催によるリーグ戦中断から再開後、第1ステージ残り8試合を1勝7敗。それでも序盤の貯金でこのステージは9位で終わるも、続く第2ステージではわずか4勝(1分10敗)で15位に終わった(年間総合順位は全16チーム中13位)。ナビスコ杯は、グループリーグ3位で敗退。GK高桑大二朗、FW佐藤寿人、DF根本裕一らが新加入。開幕から4戦無敗(3勝1分)と好調なスタートを切ったが、その後は負けが込んで、第1ステージは3勝3分9敗の15位。第2ステージも低迷し、9月に清水秀彦を監督から解任。市原、名古屋で監督を歴任したスロベニア出身のズデンコ・ベルデニックが監督に就任したが、9月27日(第2ステージ・第8節)の浦和戦(宮城)で19試合連続未勝利を喫した(当時のJリーグ記録)。最終節(11月29日)の大分戦に引分け、年間総合15位(全16チーム中)となり、J2降格が決定した。ナビスコ杯はグループリーグ3位で敗退。シーズン終了をもってジャパンヘルスサミットがスポンサーから撤退。ユニフォームから「カニトップ」の名が消える。ベルデニック体制2年目。1年でのJ1復帰を目標に掲げたが、開幕から3連敗。4戦目でようやく初勝利を挙げるも、その後また3連敗とつまづく。しかし、その後はチームを修正しつつ、若手選手の台頭で盛り返し、J1昇格争いに絡んだ。しかし、第4クールで再び失速し、早い段階で昇格争いから脱落。結局、全12チーム中6位に終わった。シーズン終了後、ベルデニックが監督を解任、FW佐藤寿人が広島へ移籍した。「アイリスオーヤマ」とユニフォーム(胸部分)スポンサー契約を締結(2000年に背中部分のスポンサーとして契約し、前年まで背番号上部にロゴを入れていたが、「ジャパンヘルスサミット」のスポンサー撤退に伴い、胸部分のスポンサーに"昇格"する形となった)。また、「アイリスオーヤマ」に替わる背中部分の新スポンサーとして大手出版社「廣済堂」と契約(同社で発行する求人情報誌「Workin」のロゴが入った)。元日本代表の都並敏史が監督に就任。一時は全12チーム中11位にまで後退したが、第2クール以降は持ち直し、第4クールでは8戦負けなし(6勝2分)と調子を挙げ、一時は入れ替え戦出場となる3位にまで浮上したが、最終節(12月3日)で福岡に引き分けたことで、甲府に勝ち点で追い抜かれ、4位。入れ替え戦出場を逃した。シーズン終了後、GMの田中孝司、監督の都並がそれぞれ退任。また、財前宣之ら7選手が退団し、ゲームメーカーのシルビーニョも新潟へ移籍した。ブラジル人のジョエル・サンタナが監督に就任。この年、仙台スタジアムが命名権導入に伴い、「ユアテックスタジアム仙台(略称:ユアスタ仙台)」に改称。序盤は4バック3ボランチの日本人8人で守って、新加入のブラジル人トリオ(ロペス、チアゴ・ネーヴィス、ボルジェス)の3人でカウンター、という戦術が当たり、第1クール終了時は自動昇格圏の2位につけ、第2クールも好調を維持。入れ替え戦出場となる3位でリーグ戦前半を折り返す。ところが、DF白井博幸がケガで長期離脱したころからそれまでの戦術が機能しなくなる。リーグ戦後半となる第3クールでは下位チームには勝てても上位チームには勝てなくなった。同クール終了時には3位との勝ち点差7の4位に後退。その後、MFチアゴ・ネーヴィスの負傷による戦線離脱も重なり、最終・第4クールでも浮上のきっかけを掴めず、昇格争いから脱落。5位に終わった。シーズン終了後、サンタナが退任。また、GK高桑、ベテランFW大柴克友など4選手が契約期間満了により退団。また、J2得点王となったFWボルジェスがサンパウロFCへ期限付き移籍(その後、2008年に完全移籍)。期限付き移籍でプレーしていたチアゴ・ネーヴィスは移籍期間を延長せず。その一方で、MFロペスは期限付き移籍期間を延長した。この他、ユニフォーム(背中部分)のスポンサーだった廣済堂が同年シーズン終了を以って撤退。前年ヘッドコーチを務めた望月達也が監督に昇格。望月はヘッドコーチの傍ら、サテライトチームの監督を務めた。また、サンタナが体調不良で欠場した際、1試合のみだがトップチームの監督代行を務め、勝利を収めていた。山形からMF永井篤志、鳥栖からGKシュナイダー潤之介等を獲得。第1クールは開幕から11戦無敗(6勝5分)、第2クールは一時負けが込んだが、3位でリーグ戦前半を折り返す。第3クールに入って失点が増えたことなどから、6月に札幌から林卓人を、7月に元新潟のMFファビーニョを、8月には柏からDF岡山一成を、いずれも期限付き移籍で獲得。第3クール終盤で戦術を若干修正。攻撃の手駒を減らし、SBの攻撃参加を限定的にすることでカウンターへの対処と守備の安定化を図った。これが功を奏し、第3クール終盤以降は失点が減少。第4クール序盤から中盤では昇格を争うライバルチームとの直接対決に勝利したが、第50節の湘南戦と第51節の京都戦に連敗し、入れ替え戦出場を逃した。最終順位は4位。GK小針清允、DF白井博幸等7選手がシーズン終了をもって退団。また、ジョニウソン、ロペス、ファビーニョのブラジル人3選手全員もチームを退団。さらに、チーム最多得点を挙げたFW萬代宏樹も磐田へ完全移籍。望月も監督を退任した(「クラブスタッフ」としてフロント入り)。なお、廣済堂に替わるユニフォーム(背中部分)の新スポンサーが決まらず、開幕からしばらくの間は“空白”のままであったが、8月に「NECトーキン」とスポンサー契約を締結。9月から同社のロゴが背番号上部に入れられた。前年、ヘッドコーチを務めた手倉森誠が監督に就任。また、手倉森誠の双子の弟・浩がヘッドコーチに就任。明治大学からGK関憲太郎、筑波大学からMF三澤純一が新加入。神戸から元日本代表FW平瀬智行、柏からMF佐藤由紀彦、鹿島からFW田中康平、川崎からMF飛弾暁をそれぞれ完全移籍、東京VからDF一柳夢吾、大分から宮沢正史、川崎から西山貴永をそれぞれ期限付き移籍で獲得。期限付き移籍していたFW中島裕希とDF岡山一成がいずれも完全移籍に移行。GK林卓人も移籍期間を延長し、チームに留まった。宮崎県延岡市でのキャンプ中の2月6日に、一柳夢吾、金子慎二、細川淳矢、富田晋伍の4選手が、酒に酔って一般人の車を傷つけるという不祥事を起こした。騒ぎを聞きつけた手倉森監督が駆け付け、その場で示談が成立したため被害届は出されなかったが、4選手には3か月の減俸が課せられた。第1クール終了時で7勝5分け2敗の3位。第2クール以降は決定力不足が目立つようになり、韓国Kリーグで外国人初の年間MVPを獲得した経験を持つブラジル人FWナジソンを獲得。また、京都からMF斉藤大介を期限付き移籍で獲得。第3クールは、山形に敗れ、9年ぶりとなるみちのくダービーシーズン負け越し。また、これまで無敗であった水戸に初黒星。その後は第2クールまでいずれも1分1敗と苦しめられた愛媛、C大阪に連勝。30日に鳥栖に敗れ、自動昇格(=2位以内)が消滅したが、最終節で草津に勝利し、シーズン3位を確保して、入れ替え戦へ出場。入れ替え戦でJ1第16位の磐田と対戦したが、1分1敗に終わり、J1復帰はならなかった。シーズン終了後、岡山、GKシュナイダー潤之介らが退団。ナジソンはECヴィトーリア、大分から期限付き移籍中だった宮沢も元のチームへ戻った。「クラブスタッフ」としてフロント入りしていた前監督の望月も退団。その一方で、手倉森は翌年も引き続き指揮を執ることになった。仙台にとっては5年ぶりに監督交代のないシーズンオフとなった。運営会社の「株式会社東北ハンドレッド」が6月1日付で「株式会社ベガルタ仙台」へ商号を変更。シーズン終了後、NECトーキンがスポンサーから撤退した。手倉森体制2年目。スローガンとは別に「完全昇格」を目標に掲げた。MF梁勇基、関口訓充、DF菅井直樹が残留。札幌から期限付き移籍中のGK林卓人も移籍期間を再延長して残留。前年まで期限付き移籍であったDF一柳夢吾、MF斉藤大介、西山貴永は完全移籍した。また、山形からGK桜井繁、横浜FCからDFエリゼウ、神戸からMF曽我部慶太、韓国の水原三星から元同国代表DF朴柱成をそれぞれ完全移籍で、ブラジルのポンチ・プレッタからマルセロ・ソアレスを期限付き移籍で獲得。リーグ戦は第2クール終了時点で20勝6分8敗(勝ち点66)の2位。最終・第3クールは第39節(9月13日)で福岡に敗れた以外は無敗をキープ。11月8日(第48節)に水戸に勝利してJ1昇格条件の3位以内が確定。続く第49節(11月22日)では首位C大阪との直接対決に勝利し、入れ替わりで首位に浮上。第51節(12月5日)は愛媛と引き分けたものの、2位のC大阪が鳥栖に敗れたため、J2初優勝を果たした(最終戦績は32勝10分9敗の勝ち点106。2004年に川崎が記録した「105」を上回り、J2歴代最多勝ち点を記録。守備が非常に安定し、総失点はリーグ最少の39、1試合あたりの平均失点は0.76点。3失点以上を喫した試合は1度もなかった。また前年に引き続きファウルの少なさも目立った。反則ポイントはフェアプレー賞の選考基準51ポイント以下に対して僅か17ポイントで、2位の湘南(86ポイント)を大きく引き離し、2年連続のJ2フェアプレー賞を獲得すると共に、チェアマン特別賞も受賞した。天皇杯ではチーム初のベスト4へ進出(準決勝でG大阪に敗戦)。このシーズンはホームゲームで19勝5分2敗。春先に宮城スタジアムで2敗を喫したものの、その後は安定した戦いを見せ、ホーム23戦無敗というJ2新記録を打ち立てた。同じく記録したホーム12連勝もJ2新記録。天皇杯も含め、ユアスタ仙台で無敗のままシーズンを終えた。背中部分のスポンサーとして地元・仙台に本社を構える酒類量販店「やまや」、パンツ部分のスポンサーとして 阿部蒲鉾店 とそれぞれ契約した。シーズン終了後、DF木谷公亮、6月に完全移籍で加入したFWサーレス、FWマルセロ・ソアレスらが退団した。手倉森体制3年目。札幌から期限付き移籍中だったGK林卓人が完全移籍に移行。柏からDF鎌田次郎、鳥栖からMF高橋義希、前年7月まで磐田に在籍していた太田吉彰、大分からフェルナンジーニョがそれぞれ完全移籍、ブラジル・クルゼイロからはFWレイナルドが期限付き移籍で新加入した。リーグ戦は開幕2連勝を皮切りに、第5節ではJ1リーグ3連覇中の鹿島を降すなど好調なスタートを切った。しかし、続く第6節で清水に1-5の大敗を喫すると、第7節ではホーム・ユアスタ仙台で神戸に0-1で敗戦(この敗戦でJ2時代から続いていたリーグ戦におけるホーム不敗記録が25でストップ)。その後攻撃陣に怪我人が続出した影響もあり、鹿島戦以降未勝利のまま2010 FIFAワールドカップ開催に伴うリーグ戦中断期間を迎える。W杯中断期間中、FWレイナルドが退団した一方で、Kリーグ・大田シチズンよりFW朴成鎬を期限付き移籍で獲得。また、リーグ戦再開後の8月にFC東京からFW赤嶺真吾を期限付き移籍で獲得。その後、第20節(8月22日・対大宮)でリーグ戦15試合ぶりの勝利を挙げると、第30節までの11試合を7勝1分3敗で乗り切り、最後は最終節でJ1残留を決めた。シーズン通算成績は10勝9分15敗(勝点39)の14位。ナビスコ杯は、グループリーグA組を3勝3分けの2位で通過。初の決勝トーナメント(準々決勝)進出を果たした。準々決勝では磐田と対戦したが、1分1敗で敗退。天皇杯は初戦(2回戦)でソニー仙台FCに敗退。代表関連では5月10日、MF梁勇基の南アフリカW杯・北朝鮮代表候補へ選出された。しかし、最終登録メンバーには選出されず、仙台所属選手として初のW杯出場は果たせなかった。9月30日にはMF関口訓充の日本代表メンバー選出が発表される。仙台所属選手の日本代表入りは2003年の山下芳輝以来3人目であるが、仙台でプロキャリアをスタートさせた生え抜き選手としては初の代表入りとなった。関口は10月8日のアルゼンチン戦で代表デビューを果たした。5月15日の浦和戦後、仙台の外国籍選手(選手名は非公表)が浦和サポーターから人種差別的な発言を浴びせられたとして、Jリーグが調査を開始。差別発言をしたとされる人物は確認できなかったが、仙台に200万円、浦和に500万円の制裁金が課せられた。シーズン終了後、MF千葉直樹とFW平瀬智行が引退。また、GK萩原達郎、DF一柳夢吾、MF三澤純一、永井篤志、FWフェルナンジーニョが契約期間満了、FW朴成鎬は期限付き移籍期間満了、DFエリゼウは徳島へ完全移籍のためそれぞれ退団した。手倉森体制4年目。前年引退した平瀬智行がチームの第2代アンバサダーに就任。初代アンバサダーの岩本輝雄は退任。選手補強は京都から元日本代表FW柳沢敦とDF角田誠、鹿島からFWマルキーニョスをそれぞれ完全移籍、FC東京からMF松下年宏、鹿島からGK川俣慎一郎をともに期限付き移籍、新外国人選手として韓国Kリーグの城南一和からDF曺秉局を完全移籍、ブラジル・イパチンガFCからMFマックスを期限付き移籍でそれぞれ獲得。ソニー仙台へ期限付き移籍していたFW大久保剛志が4シーズンぶりにチームへ復帰し、FC東京から期限付き移籍中だったFW赤嶺真吾を完全移籍で獲得。ホーム開幕を翌日に控えた3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)および福島第一原子力発電所事故が発生。これによりリーグ戦、ナビスコ杯が中断。チームも活動を停止。外国籍選手が一時帰国したほか、下部組織選手やMF関口訓充などが避難所生活を強いられることとなった。その間に行われた震災チャリティマッチ「日本代表vs.Jリーグ選抜(TEAM AS ONE)」に関口とMF梁勇基が出場。チームでは、練習時間外に監督・選手・スタッフでボランティア活動を行うなど、被災地のために動いた。なお、中断期間中の4月9日にマルキーニョスが退団した。4月23日のリーグ再開初戦の川崎戦で2-1と逆転で今シーズン初勝利を挙げる。続くホーム開幕戦で浦和を1-0で下し、公式戦での浦和戦初勝利を記録。以後、6月26日のアウェイ清水戦に0-1で敗れるまで、開幕から12試合を6勝6分の無敗(1シーズン制となった2005年以降のJ1記録)でキープした。その後、京都からディエゴをレンタル移籍で獲得。また、8月20日に名古屋戦に勝利し、公式戦での名古屋戦初勝利を記録。10月2日のC大阪戦での勝利でリーグ戦6試合を残しJ1残留が確定。最終成績は14勝14分6敗(勝点56)で、順位も過去最高の4位となった。なお、失点数は2位の名古屋を11下回る25失点でリーグトップ、先制した試合では無敗であった。ナビスコ杯は2回戦で前回大会優勝の磐田に1分1敗で敗退。天皇杯は4回戦でC大阪にPK戦の末敗れた。シーズン終了後、DF細川淳矢が契約満了、GK川俣慎一郎、MFマックス、FWディエゴがレンタル移籍期間満了につき退団、DF曺秉局が磐田へ、FW大久保剛志がJFLのソニー仙台へ完全移籍、MF高橋義希が鳥栖へ、DF島川俊郎が東京Vへ、FW中島裕希が山形へ期限付き移籍した。また、横浜FCへ期限付き移籍している関憲太郎の移籍期間も延長された。10月14日、株式会社ベガルタ仙台が、休部していた東京電力女子サッカー部マリーゼの受け皿として、新たにベガルタ仙台レディースを発足させた。仙台Lは翌年からの日本女子サッカーリーグ2部(チャレンジリーグ)への参加が決まった。手倉森体制5年目。甲府から内山俊彦、C大阪から上本大海、中国スーパーリーグ・陝西宝栄からFWウイルソン、ブラジル・パルメイラスからMFサッコーニを獲得。FC東京から期限付き移籍中だったMF松下年宏が完全移籍へ移行した。新人選手では盛岡商業高校からMF藤村慶太、仙台大学からMF奥埜博亮が加入。仙台ユースからMF越後雄太が昇格した。開幕直後には前年途中に横浜FMを退団していたGK阿部陽輔が加入した。開幕から9試合負けなし(7勝2分)で早い段階から首位をキープし、第2節から第17節終了時まで首位をキープした。中盤まではウイルソンの加入で向上した攻撃力と昨年から引き継ぐ堅守のバランスも良く、広島と優勝争いを繰り広げたが、第18節で名古屋に引き分けたことで、同節勝利した広島に首位を明け渡し、後半戦は第20節、第24節各終了時にこそ首位に立ったもののいずれも直後の試合で敗れ再び首位に立った広島を追う展開となる。自慢の堅守が崩壊し、リードを奪いながらも終盤に失点し、勝ちきれない試合も増えるようになった。第29節終了時には、一旦首位の広島に勝ち点で並び得失点差で2位という状況まで追いすがったものの、その後最終5試合で3分2敗と1勝も出来ず優勝争いから脱落、第33節終了時に広島の優勝決定を許す形となった。それでも11月17日の第32節で3位以上が確定し、AFCチャンピオンズリーグ2013の出場権を獲得(初のACL出場権獲得)。最終成績は15勝12分7敗(勝点57)の2位となり、1度も3位以下に落ちることなくシーズンを終えた。総得点は59とリーグ3位であったが、反面総失点は43と昨年と比較して大幅に悪化した。Jリーグアウォーズでは、優勝の広島と並ぶ8名が優秀選手賞に選ばれ、その中からウイルソンがクラブ初のベストイレブンを獲得した。ナビスコ杯はグループリーグA組を4勝2敗の2位で通過したが、準々決勝でFC東京に1分1敗で敗退。天皇杯は3回戦で熊本に延長戦の末敗れた。シーズン終了後、DF朴柱成、DF内山俊彦、MFサッコーニが契約満了に伴い退団。この他、MF関口訓充が浦和、GK阿部陽輔が金沢へ完全移籍。DF原田圭輔が栃木SCへ期限付き移籍した。また、山形に期限付き移籍中だったFW中島裕希、鳥栖に期限付き移籍中だったMF高橋義希もそれぞれ完全移籍に移行となった。手倉森体制6年目。草津(途中C大阪にレンタル移籍)からMFヘベルチ、東京VからDF和田拓也、新潟からDF石川直樹、G大阪からMF佐々木勇人を完全移籍で、スポルチ・レシフェからMFジオゴをレンタル移籍で獲得。昨年途中に特別指定選手として登録された仙台大学のDF蜂須賀孝治が加入。また、東京V(のちに秋田)に期限付き移籍していたDF島川俊郎、横浜FCに期限付き移籍していたGK関憲太郎がそれぞれ復帰。シーズン開幕後、GK石川慧がS仙台、DF島川俊郎が秋田、MF奥埜博亮が長崎へそれぞれ期限付き移籍。DF和田拓也が大宮へ完全移籍。広島からDF石川大徳が期限付き移籍で加入した。リーグ戦は、ACL出場に伴う過密日程や怪我人の続出、得点力不足などもあり2011年・2012年ほどの目覚ましい成績は残せず、J1残留決定後の終盤は1分け4敗(ラスト3戦で、シーズン唯一の連敗となる3連敗)と息切れし、通算成績は11勝12分け11敗の13位に終わった。なおJ1在籍シーズンでは初となるフェアプレー賞を受賞した。初出場したACLは勝ちを計算出来たはずのブリーラム・ユナイテッドに2分けする失態を演じてしまったのが祟り、グループリーグを1勝3分2敗で敗退。ナビスコ杯はACL出場により予選リーグ免除となり準々決勝からの出場となったが、その準々決勝で川崎に2敗し敗退となった。天皇杯は2009年(ベスト4)以来となるベスト8入り(準々決勝でFC東京に延長戦の末、敗戦)。10月10日、手倉森監督が2014年より2016年 リオデジャネイロ五輪出場を目指すU-21(21歳以下)男子日本代表監督に就任することが決定したため、2013年シーズン終了を以って退任することを発表。シーズン終了後、MFヘベルチが契約満了、MFジオゴがレンタル移籍期間満了に伴いそれぞれ退団。GK林卓人が広島、MF松下年宏が横浜FC、MF田村直也が東京V、MF越後雄太が盛岡へそれぞれ完全移籍。秋田へ期限付き移籍のDF島川俊郎が完全移籍へ移行。DF原田圭輔が町田へ、GK石川慧が秋田へ期限付き移籍、長崎へ期限付き移籍したMF奥埜博亮は移籍期間を延長した。新監督にオーストラリア出身のグラハム・アーノルドが就任。昨年途中に特別指定選手として登録された阪南大学のDF二見宏志、中央大学(東北学院中・高卒)からGKシュミット・ダニエル、駒澤大学からFW山本大貴が加入。G大阪からMF武井択也、大宮からMF鈴木規郎をそれぞれ完全移籍、セントラルコーストからMFマグリンチィ、清水からMF八反田康平をそれぞれ期限付き移籍で獲得。広島から期限付き移籍中のDF石川大徳は移籍期間を延長して残留した。シーズン開幕後、パースからGKヴコヴィッチを期限付き移籍で獲得。しかし、約3ヵ月で契約を解除しパースに復帰。MFマグリンチィもシーズン途中で契約を解除した。また、GKシュミット・ダニエルが4月20日から1ヶ月間、熊本へ育成型期限付き移籍。FW山本大貴も松本へ育成型期限付き移籍した。W杯開催に伴う中断期間中に、ルーツィクからMFハモン・ロペスを完全移籍で獲得。さらに前半戦折り返し後、大宮からDF村上和弘(8年ぶりに仙台に復帰)を期限付き移籍で、鹿島からMF野沢拓也を完全移籍で獲得した。チームは開幕からナビスコ杯を含めた公式戦8戦未勝利と不振に陥り、4月9日、アーノルド監督が退任(「解任」ではなくクラブ、アーノルド両側協議の上での合意)。リーグ戦の成績は、0勝2分4敗(勝点2)得失点差-11の17位だった。後任監督にヘッドコーチの渡邉晋が就任。暫定11位まで順位を押し上げ、リーグ戦4連勝でリーグ戦中断期間を迎えた。夏場に5連敗を喫するなどの苦戦を強いられるも、辛くもJ1残留圏に踏みとどまり、第33節・徳島戦勝利でJ1残留を決めた。最終成績は9勝11分14敗の勝ち点38で14位。なお、渡邉監督就任後のリーグ戦成績は、9勝9分10敗(勝点36)得失点差-4。ナビスコ杯は予選リーグ・1勝1分4敗で敗退。天皇杯は初戦(2回戦)で関西リーグ所属・奈良クラブ(奈良県代表)に敗れ、敗退した。シーズン終了後、FW柳沢敦、町田に期限付き移籍していたDF原田圭輔がそれぞれ引退。DF鈴木規郎が契約満了により、MF八反田康平とDF石川大徳がレンタル移籍期間満了によりそれぞれ退団。FW武藤雄樹が浦和、DF角田誠が川崎、DF渡辺広大が山形、FW赤嶺真吾がG大阪、MF太田吉彰が磐田、FW中原貴之が福岡、GK桜井繁が栃木SC、MF佐々木勇人が京都へそれぞれ完全移籍。また、佐藤洋平GKコーチがU-15日本代表GKコーチ就任のため退任した。渡邉体制2年目。昨年途中より特別指定選手として登録されていたユースのMF茂木駿佑が昇格。富山第一高からFW西村拓真、韓国・光云大からMFキム・ミンテがそれぞれ加入。長崎からMF奥埜博亮、秋田からGK石川慧、松本からFW山本大貴がそれぞれ期限付き移籍から復帰。昨年途中より加入したDF村上和弘が完全移籍へ移行。松本からDF多々良敦斗、横浜FMからGK六反勇治、磐田からFW金園英学、神戸からMF杉浦恭平、柏からDF渡部博文、大宮からMF金久保順、ブラジル・カンブリウFCからDFフェリペをそれぞれ完全移籍で獲得。フェリペは獲得と同時に栃木SCへ期限付き移籍となった。シーズン途中の6月にGKシュミット・ダニエルが熊本へ、7月にMF茂木駿佑が金沢へ、それぞれ期限付き移籍。このシーズンよりJ1リーグ戦は2ステージ制での開催。第1ステージは開幕5試合を2勝3分と好調なスタートを切ったものの、その後5連敗。さらにFWウイルソンらが怪我で離脱する状況にも直面したが、6勝5分6敗(勝点23)・得失点差+7の7位。続く第2ステージは3連敗を3度喫するなど苦戦を強いられ、3勝3分11敗(勝点12)・得失点差-11の16位に終わるも第1ステージの貯金が効く形となり、年間総合14位。J1残留を果たした(第15節のホーム・G大阪戦前に確定)。ナビスコ杯はグループリーグ1勝2分3敗(勝点5)の最下位で敗退。天皇杯は2年ぶりのベスト8進出を果たした(準々決勝で柏にPK戦の末、敗退)。シーズン終了後、村上が現役を引退。上本大海が長崎、山本と武井択也が松本、鎌田次郎が柏、多々良が千葉へそれぞれ完全移籍、熊本へ期限付き移籍していたシュミットは松本へ期限付き移籍した。渡邉体制3年目。ユースから小島雅也と佐々木匠が昇格。青森山田高から常田克人、市立船橋高から椎橋慧也、明治大から差波優人が新加入。他クラブからは千葉から大岩一貴と水野晃樹を完全移籍、清水から平岡康裕、FC東京から三田啓貴を期限付き移籍で獲得。金沢へ期限付き移籍していた茂木駿佑が復帰。J1リーグ戦・第1ステージは序盤に4連敗を喫するなど苦戦を強いられ、第10節終了時点で降格圏となる17位にまで沈んだものの、その後は4連勝するなどの巻き返しを見せ、通算7勝2分8敗(勝ち点23)・得失点差-5の10位。第2ステージも第1ステージ同様に調子の波が大きい戦いぶりが続くが、第14節の鳥栖戦に勝利して(ハモン・ロペスがクラブのJ1在籍シーズンでは初のハットトリックを記録)J1残留が確定。ナビスコ杯は最初の4試合を無敗(2勝2分)、首位を走ったものの、残りの2試合を連敗。この連敗が響き、結局、7チーム中5位(勝ち点は3位タイだが、得失点差で2チームを下回った)でグループステージ敗退となった。天皇杯はJ3の盛岡に敗れ、初戦(2回戦)敗退。2ndステージ開幕後の7月、DF二見宏志が清水へ完全移籍。また、同月にブラジルのアトレチコ・ミネイロから、パブロ・ジオゴを期限付き移籍で獲得した。ブランメル仙台時代の1998年、同じ宮城県・多賀城市を本拠とする社会人チーム・ソニー仙台FCがジャパンフットボールリーグに昇格し、事実上仙台を拠点とするチームが2チーム参加する形となった。そのため新聞や雑誌などの記事で掲載するチーム略号を区別するため「B仙台」(Bはブランメルの略)としたものもあったが、ソニー仙台FCが実業団チームであることで「ソニー」と表記した新聞社もあり、その場合は従前の「仙台」の地名だけの表示もあった。Jリーグ加盟以降はユアテックスタジアム仙台 (仙台市泉区。以下「ユアスタ」)をホームスタジアムとしているが、ひとめぼれスタジアム宮城(宮城スタジアム/宮城郡利府町。。以下「宮スタ」)でも不定期にホームゲームを開催する。2009年は1月 - 6月に掛けてユアスタで芝の全面張り替え工事が行われたため、その間のホームゲームを宮スタで11試合、福島県営あづま陸上競技場で1試合を開催した(宮城県外でホームゲーム開催はJリーグ加盟後初。なお、ブランメル仙台(JFL)時代に岩手県で開催経験がある)。また、2011年3月の東日本大震災に伴ってユアスタ仙台が大きな被害を受け、宮スタは救援拠点として使用されることになった。ユアスタの損傷は使用可能の範囲とされたため、当初宮スタで開催が予定されていた4月29日の浦和戦はユアスタに会場が変更された。U-15ユアテックスタジアム仙台で行われるリーグ戦では、(メインスタンドから見て)左側のゴール裏スタンドからバックスタンドの一部に渡る部分が「サポーター自由席」と称されており、ここをメインに応援が行われている。特に、ゲート入り口から最前列までのスタンド部分に、熱心なサポーターが集まっている。なお、この席ではチームカラーである黄色(「ベガルタゴールド」と呼ばれる)の服(ユニフォームのレプリカ、パーカー、Tシャツ等)を着用するのが「暗黙のルール」とされている。コールリーダーは、サポーター自由席のバックスタンド側に位置し、戦況によって応援指示を行う。コールリーダーのいる位置には、サポーター有志によって設置されたマイクがあり、ゴール裏スタンド中央部に設置されているスピーカーに音声が出るようになっている。これによって音声のずれが生じることなくサポーター自由席での一体感のある応援を行うことが可能となる。ユアテックスタジアム仙台は観客席全てに屋根がかかっている構造になっており、声が屋根に反響する効果がある。メガホンなどの鳴り物グッズを使ってしまうと屋根によって声援がかき消されてしまうため、応援時のメガホン使用が禁止されている。また、ベガルタ仙台のグッズのラインナップにもメガホンが用意されていない。J2初期の頃は、メガホンも販売されていたが上記の理由からサポーターが運営会社に販売中止を申し入れている。チームに対してのものと現役選手に対してのものに関しては、河北新報社が運営する「ベガルタ☆モバイル」にて着信メロディとして用意されている。ダウンロードは月に3曲のみ可能。ただし、一部の曲は含まれない。この他にも、太鼓のリズムのみのものもある。宮城の地上波5局の中継スタイル

出典:wikipedia

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