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開口神社

開口神社(あぐちじんじゃ)は、堺市堺区にある神社である。通称「大寺」(おおてら)。地元では「大寺さん」とよばれ親しまれている。堺南組(大小路以南)の氏神社。式内社で、旧社格は府社。塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)、素盞嗚神(すさのおのかみ)、生国魂神(いくくにたまのかみ)を祀る。塩土老翁神は住吉大社の住吉三神を一つにして神徳を現した神とされ、「住吉の奥の院」と呼ばれる。社伝には、神功皇后の三韓征伐の帰途、この地に塩土老翁神を祀るべしとの勅願により創建されたと伝える。また延喜式神名帳に和泉国大鳥郡24座のうちの一社として記載されていて、この延喜式神名帳では「開口」を「アキクチ」と読ませている。この「アキクチ」が訛って「アグチ」となって現在に至る。摂津の住吉神社と古くから関係が深く、731年(天平3年)の記録では「開口水門姫(あきぐちみなとひめ)神社」と書かれている。932年(承平2年)には神階が正五位上まで昇った。古代から中世にかけて、当社付近は開口村と呼ばれていた。1113年(天永4年)、原村の素盞嗚命、木戸村の生国魂命を合祀し、「開口三村大明神」と呼ばれ、崇敬されるようになった。12世紀に境内に念仏寺が創建され、両者とも津守氏の支配下にあったが、堺が商業港として発展し、商人勢力が台頭してくると、商人たちの自治に支えられるようになった。南北朝内乱時代の1389年(康応元年)に豪商野遠屋周阿弥が田地を寄付して以来、田地の寄進が相次いだ。1535年(天文4年)には念仏寺の築地修理料として堺南荘の豪商110余名が一人当て一貫文ずつの銭を寄進しているが、このなかには茶人の武野紹鴎、千利休(「せん与四郎」名義)、奈良春日神社の石灯籠にも名を残す魚屋弥次郎といった有名人の名も記されている。これら豪商から選ばれた10数人が納屋衆、会合衆となって堺の自治組織の運営に当たり、開口神社の祭礼で重職を勤めたのである。1873年(明治6年)に郷社に列し、1902年(明治35年)に府社に昇格した。1945年(昭和20年)7月10日未明の堺大空襲により本殿と1663年に建築された三重塔を含め悉く焼失したが、貴重な記録類は被害を免れた。現在の社殿は1961年(昭和36年)の再建である。南側には宿院があり、住吉大祭の神輿の旅所となっている。通称の「大寺」はかつて存在した神宮寺の念仏寺(真言宗)に由来し、古く「日本の神々は仏の姿を変えたものである」との思想に依っている。念仏寺の開山は744年(天平16年)で行基による。山号は密乗山。平安期には空海や空也とゆかりがあり、密教や浄土教の道場にもなって活況を呈したことから、大寺の通称が定着するに至った。

出典:wikipedia

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