『未来世紀ブラジル』(原題: "Brazil" )は、1985年公開のSF映画。監督はモンティ・パイソンメンバーのテリー・ギリアムで、情報統制がなされた「20世紀のどこかの国」の暗黒社会を舞台としている。カルト映画としての強い支持を受けている。20世紀のどこかの国。情報省はテロの容疑者「タトル」を「バトル」と打ち間違えてしまい、無関係なバトル氏を無理やり連行していく。それを一部始終見ていた上の階に住むトラック運転手のジルが抗議をするも、全く相手にされない。一方、情報局に勤めるサムは、このミスをなんとかするために試行錯誤していた。近頃サムは、夢の中でナイトの格好をして、美女を助け出すというおかしな夢を見ていたが、情報省に抗議に来ていたジルがその美女にそっくりだということに気づく。ある日、サムが家に帰るとダクトが故障しており、非合法のダクト修理屋と名乗るタトルが勝手に直してしまう。サムはまた夢の中でサムライの怪物と戦い、美女を救う夢を見る。サムはジルの正体を知るために断っていた昇格を望み、友人であったジャックの元を訪ねる。そして、様々な事柄が複雑に絡まりあっていく。※テレビ朝日版日本語吹替は20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン発売のBDに収録。『マキシム』誌によると、ギリアムはこの映画の撮影中あまりにストレスを感じたため、両脚の感覚が1週間、完全に麻痺したという。ギリアムはこの映画を、『バンデットQ』(1981年)に始まり『バロン』(1989年)で終わる「3部作」の2作目と称している。これらの映画の共通テーマは、「ぶざまなほど統制された(awkwardly ordered)人間社会の狂気と、手段を選ばずそこから逃げ出したいという欲求」である。映画に描かれた政府の全体主義的な官僚政治は、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に似ている。ギリアムはこの映画について「『1984年』にインスパイアされているが、オーウェルの小説を再現するのではなく今日的な視点から未来を描いたものである」と語っており、また「ウォルター・ミティ(ジェームズ・サーバー著の短篇小説の登場人物)とフランツ・カフカの出会い」とも述べている。ギリアムの言葉によれば、『未来世紀ブラジル』は「1984年版『1984年』」である。実際に、この映画の制作中のタイトルは『1984 1/2』だった。『ブラザーズ・グリム』プロモーションで来日し『爆笑問題のススメ』に出演した際、イラク戦争が泥沼化していたアメリカを『フィッシャー・キング』と重ね合わせて語る太田光に対して、ギリアムは「企業と政府の体制を維持するため如何にテロリストが必要とされるか、という『ブラジル』のテーマの方が現代アメリカの問題に重なる。戦争を正当化するためテロが用いられているところなどそっくりだ」と発言している。『未来世紀ブラジル』で特筆に値するのは、ストーリーを凌駕するほど強烈な視覚イメージである。実際、この映画は筋を追わずに楽しむことも可能である。重要な役割を占める視覚的要素のひとつとしてダクトがある。特に、近代的な建物に使われているヘビのように曲がりくねった「フレックス・ダクト」。映画の冒頭では、さまざまな形態の家庭用ダクトのCMがテレビで流れる。ラウリーのアパートには修理不能な空調設備を隠す金属パネルの壁がそびえ立っており、彼のヒーローは、この怪物のごとき空調を手なずけることのできる唯一の人物・修理工タトルである。ラウリーが母親、母親の友人、その友人の社交下手な娘とランチを食べるシーンでは、レストランの中央にフレックス・ダクト製の巨大なオブジェが飾られている。ラウリーが珍しく(治安妨害のおそれもありながら)夜間にオフィスを訪れたときには、床磨きマシンがだだっ広い無人のロビーで爆発し、フレックス・ダクトをずるずると引きずることになる。さらに、ダクトは社会階級の構造のモチーフにもなっている。労働者階級のバトルの家庭では、家族は日々の活動を邪魔するダクトをよけながら暮らさなければならない。サムの家ではダクトは見えないが、その存在は常に(故障時などは特に)意識せざるを得ない。記録省ではダクトは環境の一部として目に見えるが、従業員の頭上にある。情報省ではダクトはまったく存在しない(このことが最も顕著な特徴である。貧困と無力さはダクトの侵襲性と反比例する)。そして、すべてのダクトの末端は、独裁的な情報省に繋がっている。ロバート・デニーロは当初ジャック役を希望していたが、ギリアムはすでにその役をマイケル・ペイリンに約束していた。デニーロがそれでも出演を希望したため、タトル役に決まった。ギリアム監督の長女が、マイケル・ペイリン演じるジャックの娘役でワンシーンに登場している。この映画では全編にわたって「Aquarela do Brasil」(「ブラジルの水彩画」)が使われている。それ以外のBGMは、『バロン』でも音楽を担当したマイケル・ケイメンが作曲した。この映画の「ブラジル」のベースラインが「ジェームズ・ボンドのテーマ」とよく似ていることを発見し、家路につくサムの場面に『007』調の音楽を付けた(4年後には『007 消されたライセンス』で本当に同作の音楽を担当することになる)。サムの職場の従業員が見る映画には、『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』の音楽が使われている(王子救出のためにランスロットが城を襲撃するシーンより)。この音楽は、ユニバーサル社シドニー・シャインバーグ編集の版では削除されている。階段を床磨きマシンが落ちていくシーンは映画『戦艦ポチョムキン』で有名な「オデッサの階段」の乳母車が階段を落ちていくシーンのオマージュである。ストーリー中盤、主人公サムの前に、甲冑を着けた巨大な「サムライ」が立ちはだかる。サムがサムライを倒して、甲冑を外すとその顔はサム自身の顔であった。実はこれはジョークであり、その心は「Sam,You Are I(サム、お前は俺だ)」を短く発音すると「サムライ」になることからきている。また、『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』における同様のシーンのオマージュにもなっている。サムが劇中移動手段として使う車はメッサーシュミットKR175をベースにしている。主人公は情報省に対し奇跡的な勝利を収め、恋人と田舎へ逃亡する。しかし現実は、主人公サム・ラウリーは大臣の拷問により発狂しており、彼の逃亡の夢は、傷つけられた心が見た幻想でしかなかったことが突如明らかにされる。テリー・ギリアム監督のオリジナル版は、絶望的な最後を迎える。この映画の3年前に公開された『ブレードランナー』と同様に、映画スタジオにより作成されたバージョンは消費者ウケのするハッピーエンドバージョンであった。ユニバーサル・ピクチャーズの上層部はエンディングが不適切だと考え、ギリアムに最後の部分をカットするよう要求した。修正されたエンディングは、サムとジルが逃亡先で田園生活をはじめるという、いわば「愛は全てに打ち勝つ」といったものであった。このバージョンは、アメリカでテレビ放送され、ギリアム監督を悩ませることになる。一時94分まで短縮された「ハッピーエンド版」に対し監督自身が再編集を施し、131分の版がアメリカ国内で公開された。興業的には惨敗とみなす意見が多いが、宣伝や公開の方法に問題がなかったわけではない。今日DVD等で観られるヴァージョンは、ヨーロッパで20世紀フォックスの配給で公開された143分のオリジナル版であるが、ギリアム監督自身「ハッピーエンド版」の雲の上を飛行するオープニングは改善されたと認めている。NHK-BS2の『衛星映画劇場』では、基本的にオリジナル版だが雲の映像など「ハッピーエンド版」を一部取り入れた折衷版が放映され、現在発売されているブルーレイにも「スペシャル・カット版」と題してこのバージョンが収録されている。
出典:wikipedia
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