三重県立志摩高等学校(みえけんりつしまこうとうがっこう)は、三重県志摩市に所在する公立の高等学校。通称「志摩高(しまこう)」。全国的ではないが、かつて全国高等学校ラグビーフットボール大会へ出場したことのあるラグビー部などの強豪部活で知られている。近鉄志摩線志摩磯部駅より徒歩15分。三重県では1948年(昭和23年)5月に新制高等学校が発足し、当時の志摩郡では鳥羽高等女学校(現在の三重県立鳥羽高等学校)と志摩水産学校(現在の三重県立水産高等学校)が新制高校へ移行した。しかし、この2校は郡の北端と南端に位置するため、郡の中央部にも高校を設置してほしいという要望が挙がった。そこで、「志摩新学制実施協議会」が郡内27町村の首長、町村議会代表者、公立学校の校長代表者らを委員として結成され、中央部に志摩郡27町村組合立、定時制課程の普通科高校が三重県の許可の下で設置されることとなった。学校設置ではまとまったものの、その位置では磯部村と鵜方村の間で誘致合戦となり、最終的には、通学距離を勘案して鵜方村に建てられることが決定、三重県鵜方高等学校として1948年(昭和23年)8月に開校した。この決定に不満を持った磯部村では村立による高校を設置することにし、1949年(昭和24年)4月に全日制課程の普通科と農業科を有する三重県志摩高等学校磯部校舎を設立した。さらに翌1950年(昭和25年)4月には三重県磯部高等学校として独立、順次校地や設備を整えていった。その後、磯部高校と鵜方高校の間で合意が結ばれ、1954年(昭和29年)4月1日に両校は三重県志摩高等学校として統合された。ただし、校地をどちらにするかはまだ決着せず、暫定的に旧磯部高校を北校舎、旧鵜方高校を南校舎として、北校舎に全日制課程2・3年生と定時制課程の生徒を、南校舎に全日制課程1年生を収容することにした。当時、三重県立高校設置には高校所在地の市町村が校舎を建設して三重県に寄付しなければならないという規定があり、校舎建設に意欲的であった磯部村に集約されることが決定、現在の校地に落ち着くこととなった。これに伴い、南校舎は1955年(昭和30年)9月1日をもって閉校となった。ラグビー部は過去8回全国大会に出場している。男子バレーボール 、女子バレーボール、 男子バスケット、 女子バスケット、陸上、ソフトテニス、硬式野球、バドミントン、ラグビー、サッカー、ソフトボール、剣道 美術部は地域貢献として空き店舗での臨時ギャラリーの開催、商店街のシャッターへのペインティング、第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)のカウントダウンボード制作などを手掛けている。吹奏楽、華道、茶道、書道、美術、写真、調理、漫画、演劇、ボランティア、将棋
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