隅の老人(すみのろうじん、"The Old Man in the Corner")は、バロネス・オルツィの推理小説に登場する架空の人物。『ストランド・マガジン』誌に連載されたシャーロック・ホームズシリーズが商業的成功を収めたことにより、他紙がこぞって登場させた「ホームズのライヴァルたち」と呼ばれる名探偵の一人である。彼の事件譚は1901年より『ロイヤル・マガジン』誌に連載された。初登場作は『フェンチャーチ街駅の謎』。訳題はすべて作品社刊行の平山雄一氏の訳題による。名前を始めとして職業、経歴などは一切不明。エイアレイテッド・ブレッド・カンパニーのノーフォーク街支店、略称「ABCショップ」の隅の席に座り、チーズケーキと牛乳をたいらげ、そしてそこで出会った女性新聞記者のポリー・バートンに、迷宮入りとなった事件の概要と(恐らくは真相を言い当てているのであろう)自身の推理を聞かせる。頭は相当禿げ上がっており髪の色は薄い。眼は淡い水色で大きな角縁の眼鏡をかけ、服はだぶだぶのツイードのアルスター外套を着る。常に紐の切れ端を持っており、話しながらそれを結んだり解いたりする癖を持つ。余程のことが無い限り真相を警察に伝えようとは思わず、巧妙なトリックを考え出した犯人を称賛することもある。現場に出向かず新聞の情報などから真実を導き出す推理法は安楽椅子探偵の先駆とも言われているが、時折自ら証拠を集めることもあり、また検死審問にも積極的に参加するなどそうとは言い難い面も持ち合わせている。短編集『隅の老人"The Old Man in the Corner"』の最後の短編で謎の失踪を遂げる。それから刊行された第3短編集『解かれた結び目"Unravelled Knots"』で20年の時を経て再び姿を現すものの、最後の短編で再び失踪する。隅の老人について、エラリー・クイーンやハワード・ヘイクラフトは、安楽椅子探偵の先駆者の一人と評した。安楽椅子探偵の始まりはマシュー・フィップス・シールの生み出したプリンス・ザレスキーとされる。仁賀克雄は、オルツィがシールの生み出した安楽椅子探偵を発展させ、「『隅の老人』という代表的な安楽椅子探偵を作り上げた」と評している。権田萬治監修の『海外ミステリー事典』でも、隅の老人の項目には安楽椅子探偵と記述されている(項目執筆者は仁賀克雄)。安楽椅子探偵の定義には解釈の相違があり、隅の老人が事件関係者の写真を取ったり、法廷へ傍聴に出かけたりと積極的に行動していることから、該当しないと解釈することもできる。郷原宏は、隅の老人には安楽椅子探偵に該当する点があるとしつつ、その物語について「普通の探偵小説の展開部分を省略しただけの物語形式」ともいえる、と評した。戸川安宣は隅の老人を「報告者を兼ねる、いわばホームズ=ワトスン兼任の名探偵」と評したが、隅の老人の代表作「ダブリン事件」(Dublin Mystery)では、何も行動を起こさずに新聞の内容だけで推理をしているため、安楽椅子探偵といえるとした。作者のオルツィにとって隅の老人を含む推理小説は大きな存在ではなく、自伝『"Links in the Chain of Life"』では、歴史ロマン小説『紅はこべ』に関する記述が大部分を占めている。この自伝で、隅の老人についての言及は2回だけだった。オルツィが創造したもう一人の名探偵、レディ・モリイについてはまったく言及がない。作品は、大正時代・昭和戦前から色々の雑誌や全集本などに多数訳出されている。戦前の探偵雑誌や探偵小説本などの訳は今日の訳と訳の姿勢が異なり省略や書き入れ等が普通であるので利用上の注意が必要である。近年雑誌「新青年」の覆刻が刊行され公共図書館の一部の蔵書にあるようであるので判明した限りを記載した。訳文が短編集の場合は収録本を明記した。なお、博文館、春陽堂、東京創元社、早川書房から刊行された短編集は特定の短編集の訳ではなく日本で独自に編纂された短編集である。最後の括弧は下に掲げる個々の短編の収録を示す際の略号である。
出典:wikipedia
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