対日理事会(たいにちりじかい、、略称:ACJ)は、太平洋戦争に敗北した日本を、連合国が占領するに当たり、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の諮問機関として設置された日本占領管理機関である。1948年設立のアメリカ対日協議会(American Coucil on Japan, ACJ)とは別物。対日理事会は、ワシントンD.C.にあった極東委員会の出先機関として設置された。1946年(昭和21年)4月から、1952年(昭和27年)4月までの期間に164回の会合が公開で行われた。人員はアメリカ合衆国、イギリス連邦、ソビエト連邦、中華民国の4者の代表で形成され、議長は連合国最高司令官の代理であるアメリカ代表が務めた。理事会の任務は、占領下の日本に対する降伏条項や占領管理などのGHQの指令の実施について、連合国最高司令官と協議し補佐することであった。極東国際軍事裁判(東京裁判)にも影響力を持っていたほか、ソ連の斡旋により、日本の総選挙で当時の反動分子(軍国主義者・国粋主義者)が数多く選出された場合には、新議員の資格審査を厳しく行い、場合によっては選挙のやり直しをさせるという決議を採択した。1945年(昭和20年)12月27日のモスクワ三国外相会議で設置が決定された。1946年(昭和21年)4月5日、第一回会合が行なわれ、アメリカ合衆国、イギリス連邦(イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、インド)、ソビエト連邦、中華民国の4カ国で構成された。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。