中止したダム事業(ちゅうししたダムじぎょう)とは、様々な理由から建設・計画が中止されたダム事業のことである。この項では主に日本国内のものについて記述する。ダム事業は通常一度計画されたものについては時間がかかっても最終的には完成するのが常で、一部の例外を除きダム事業が中止となることはありえなかった。だが、時代の変化と共に河川行政に対する国民の視点が大きく変化し、ダム事業もその中で大きな転換点に差し掛かった。これを現実のものとしたのは1990年代以降特に行われた公共事業見直しの風潮である。実施計画調査開始から10年以上経過したり予備調査のみしか行われていないダム事業について河川行政を管轄する国土交通省が事業の総点検を行った。その中で反対運動等でこれ以上の事業進展が不可能であったり、代わりとなる治水・利水案がダム事業よりコストパフォーマンスが優れている、事業に対する流域のメリットがなくなったなど、様々な理由により事業が中止となっている。主な理由としては以下のものあるが、近年では単独の理由で中止となるよりは複合的な事情が重なって中止となるケースが多い。ダム事業の中止とは以前は極めて稀なケースだったが、現在では公共事業見直し論の浸透で多くのダム事業が建設中止となっており、今後もこの傾向は継続するものと見られている。ダム事業の中には、様々な理由で建設事業に対する反対運動が起きる。反対運動が強烈だと市町村議会挙げての「ダム建設反対決議」を行う自治体も多く、本体工事以前に事前調査を拒否する為実施計画調査段階で膠着化する。そしてこの状態が20年 - 30年以上継続するケースが現れ事業が事実上凍結になる事も多い。反対運動によるダム事業中止は北海道勇払郡占冠村に建設予定であった赤岩ダム(鵡川)が大規模多目的ダム事業としては初である。占冠村の主要部を含め大多数が水没予定となることに村民が一丸となって反対運動を起こし、1961年(昭和36年)に事業中止となった。徳島県に建設省(現・国土交通省四国地方整備局)が計画していた細川内ダム(那賀川)は30年以上地元の木頭村(現・那賀郡那賀町)が強硬に反対し、1996年(平成8年)に建設事業は事実上休止、2000年(平成12年)には計画中止となっている。この他「利根川改定改修計画」の根幹施設として、群馬県沼田市に同じく建設省によって建設が計画されていた沼田ダム(利根川)は、総貯水容量8億トンという日本最大の人造湖を誕生させようとしたが、沼田市中心部が完全水没するのを始め2,200世帯という前代未聞の住民移転が見込まれ、群馬県全体が反対姿勢を見せ膠着。計画自体が立ち消えとなった。ダム事業は通常、どの地点にダムを建設するかを調査するところから始まる。これを「予備調査」と呼ぶが、この時点において計画されたダム事業は、そのまま継続して完成する場合もあれば、その後の諸事情によって計画地点を変更したり、あるいは立ち消えで終わる例もある。ダムを建設しても治水や利水に有効なだけの貯水量(有効貯水容量)を得ることができない場合はダムを建設するメリットが全くないため、大抵予備調査の段階で中止となる。この他、ダム建設に必要な河川勾配や流域の地質が十分な条件に満たない場合や流域に余りにも人家が密集し過ぎてダム建設計画が成り立たない場合も中止となる。前者では釧路川・米代川・雄物川・富士川・加古川・円山川・四万十川・遠賀川といった一級水系の本川がこれに当たり、長良川もこの範疇に入る。こうした水系では、ダムが建設されない代わりに多目的ダムの機能を兼ね備えた可動堰・河口堰や放水路を本川に建設するか、あるいは主な支川に多くのダムを建設して対処する。後者では代表的なものとして四十四田ダム(北上川)があり、当初は現地点より上流部に建設予定だったのが変更となっている。これらの理由でも計画変更による中止や、立ち消えとなる場合もある。こうしたダムにおいては、計画段階で中止となる例がほとんどであるために型式を始めとする諸元が全く分からなかったり、不確かである場合が極めて多い。ダム事業は1950年(昭和25年)の国土総合開発法に基づく「河川総合開発事業」や1962年(昭和37年)の水資源開発促進法に基づく「河川水資源開発基本計画」に沿っている場合も多く、そのためこれらの法律が施行された1950年代~1960年代のいわゆる高度経済成長期に計画されたダムも多い。こうしたダムでは当時の水需要に沿った計画がなされたまま事業を進めているダムも多く、水需要の変化した現在ではかえって不要・過剰な供給であることも指摘されている。かんがい用ダムについても、減反政策や第一次産業人口の減少、農業施設合理化等に伴う耕地面積の縮小により当初予測より農業用水の需要が減少する傾向が見られた。こうしたことから現在の需要と照らし合わせて実情にそぐわない事業に関しては、計画見直しに伴う事業中止もある。これと関連して地方自治体の税収減少による財政難で、当初は事業主体としてダムを計画していたり、特定多目的ダム事業に利水で参加していながらも、巨額の負担に耐えられず事業を再検討する自治体も現れ、補助多目的ダム事業中止・凍結の他利水目的で参加していたダム事業からの撤退が利根川水系や淀川水系で相次いだ。また、発電事業にかかわるダム事業についても、当初予測した電力需要に比べて実際の電力消費量が伸び悩むケースが多々あり、こうしたことから大規模な揚水発電用ダムを建設してもコストパフォーマンスに欠け、企業経営を圧迫する可能性がある等の理由からこうした発電用ダムの建設事業が計画段階で中止となっている事も近年散見される。これらは、経済成長の鈍化とそれに伴う税収の減少、産業構造が重厚長大型から軽薄短小型に構造転換して行ったこと。さらには大都市人口のドーナツ化現象等による減少傾向が水需要の減少・電力需要の減少に繋がっており、ダム事業のみが当時の計画のまま時代の趨勢に追い付けなかったことが背景にある。近年のダム事業中止の大半はこうした事情によるケースが多い。ダム事業の予備調査・実施計画調査において最も重要な調査の一つが地質調査である。ダムサイトの地盤が脆弱であると巨大な水圧に耐えられず堤体が崩壊し、決壊事故となる。また地形的に脆弱な地点にダムを建設し、湛水すると土壌に貯水した水が浸透してさらに地盤が緩み、地すべりを惹き起こす。前者による事故としてフランスで発生したマルパッセダム決壊事故があり地盤ごと決壊して500人以上の死者を出し、後者の例では1962年に北イタリアで発生したバイオントダム貯水池地すべり事故があり、地質調査を怠って建設を強行したことにより結果2,200人が死亡するダム事故史上最悪の惨事を招いた。故に地質が悪い所にダムは建設できず、このために事業が中止になるのは安全上やむをえない。2005年(平成17年)に大阪高等裁判所における「永源寺第二ダム(愛知川)訴訟控訴審判決」では、地質調査を行わず建設を進めようとした農林水産省のダム建設は違法であるとの判決を下している。こうしたことから地形的に建設が不適当な場合、安全性の面で建設が中止となるダムもある。また、建設前の地質調査で地すべりなど地質的な不都合が発生し、これらに対する補強工事で事業額が嵩み、かえってダム以外の治水・利水案がコスト抑制に繋がるとして中止となったダム事業もある。和歌山県に国土交通省近畿地方整備局が建設を予定していた紀伊丹生川ダム(紀伊丹生川)は、水需要の減少で規模を縮小すべく当初地点から上流にダムサイトを移したが、移転地点の地質が悪くこの地点にダムを建設するよりは築堤等の河川改修・既存利水施設の再開発がコストを抑制する事が判明し、建設事業を2002年(平成14年)に中止したケースがこれに当たる。この他「利根川・荒川水資源開発基本計画」の一環として埼玉県に建設が予定されていた小森川ダム(小森川)も同様の理由で中止されている。クマタカ・イヌワシ営巣や森林保護等、環境問題を巡ってダム反対運動が起きることも必然的で、環境影響評価法の制定で環境影響調査が厳格化されたことも、ダム事業の中止・凍結に影響を与えた。だが、この場合は流域とは全く無関係な市民団体・カヌー愛好家・釣り愛好家などが参加することも多く、この場合は環境問題での反対運動に終始し、流域の真の治水・利水を論じるには程遠い状況が生まれる。川辺川ダム事業では地元・流域が建設を容認しているにも拘らず、環境保護団体等が反対運動を煽動し結果事業が大幅に遅延しているという指摘もある。一方反対運動により景観が守られた例としては小歩危ダム(吉野川)や尾瀬原ダム(只見川)があり、尾瀬原ダム建設反対運動は日本の自然保護運動の嚆矢でもある。さらに、前述の尾瀬原ダムや小河内ダム(多摩川)の様に、下流の水利権を巡る自治体・慣行水利権者からの反対運動もある。漁業権を巡り流域または下流・海域の漁業協同組合からの反対運動も必発であり、筑後大堰建設を巡る有明海漁業協同組合の反対運動は、工事予定地に漁民が大挙押し掛け実力行使に出たケースもある。宮城県の新月ダム(大川)は、下流の気仙沼市等の漁業関係者からカキ養殖に重大な影響を及ぼすとして反対運動が起こり、その後水需要の減少なども重なり計画が中止された。既得権益、特に漁業権絡みの反対運動は環境保護の立場からの反対運動と軌を一にすることが多い。「脱ダム宣言」とは、小説家で当時長野県知事であった田中康夫が、知事在任時の2001年(平成13年)12月20日に長野県議会において宣言した政策である。知事就任後、田中康夫は旧態依然たる地方自治体の公共事業依存体質から脱却することを理念とし、その中でゼネコン等との癒着の温床としてダム事業を槍玉に挙げた。当時長野県は補助多目的ダムを信濃川水系・天竜川水系に多数計画していたが、「長野県にはコンクリートダムを造らない」と議会で宣言後、直ちに全てのダム事業の中止を発表した。(その後、学識経験者などからなる「治水・利水ダム等検討委員会」が発足し、個々のダム計画ごとに調査・検討を開始した)これに対し県議会議員や県内の土木建設業者は激しく反発したものの、これを意に介さず浅川ダム(浅川)や下諏訪ダム(東俣川)を始め軒並みダム事業を強制的に中止に追い込んだ。さらに、中部電力が建設を計画していた、木曽郡大桑村と王滝村にまたがる木曽中央水力発電所のダム建設も、「脱ダム宣言」に合致しないとして否定的な姿勢を見せた。この宣言は、折からの公共事業見直しの機運とも重なり、日本国内に計り知れない影響を及ぼした。特にダム建設に反対する“市民運動家”ら市民団体の活動が活発化、八ッ場ダム(吾妻川)・徳山ダム(揖斐川)・川辺川ダム(川辺川)建設反対運動をさらに盛り上がらせた。知事自身も脱ダム宣言以降積極的にダム不要論を訴求し、2005年(平成17年)に「淀川水系流域委員会」が大戸川ダム(大戸川)を始め淀川水系で計画されているダム事業中止を諮問した際も、大津市で「淀川水系でも脱ダムすべきだ」と発言し、一貫してダムに対し否定的な行動を行った。公共事業への疑問を呈する意味で、彼の取った行動はマスコミなどを通じ報道された。さらに、公共事業に依存する県内の中小建設業者に対し、治山事業としての森林保護事業を代替事業として提供する等、新たな公共事業創出を図ろうとしたことも評価されている。その一方で、余りにも唐突な行動に当の流域住民が大きく困惑したことも事実である。特に浅川流域住民は浅川ダム建設を切望していたという経緯もあって、知事による脱ダム宣言に反発する向きが多かった。知事は流域住民に対してダム代替案を説明したが住民の理解を得られず、結果理解されぬままダム事業を中止し蜂の巣城紛争以降起こった「住民参加型のダム事業」を否定してしまった形となった。また、代替案の一つでもある「河道内遊水池」案(河道内に高さ30m~40mの堤防で河川を横断し建設、治水を行うというもの)については河川法に基づくダムそのものであり、何ら代替案になっていないという批判が多く出た他、肝心の代替案に基づく河川整備がほとんど手付かずになっている。さらに国土交通省中部地方整備局が三峰川に計画している戸草ダムに関しては何も言及していない。彼の「脱ダム宣言」は反対派には賞賛を浴びたが、2003年(平成15年)に開催された「第1回世界水フォーラム」で日本の有名なダム反対論者と「脱ダム」を訴えた所、会場で聴聞していた多くの開発途上国参加者から「地域事情を無視した独善的な論拠で、評価に値しない」と激しい批判を浴びている。ただし、県議会議員から挙っているダム推進の声は、本来の治水・利水を考慮しているというより「反田中」の手段としているきらいもあるとの論評も一部にはある。河川行政は危機管理でもあり、古来より幾度も氾濫を重ねる信濃川・天竜川において今後どのような治水策を知事は採って行くのか、さらにダム事業中止となった河川で水害が起こった時に住民がどう動き、知事がどう対応するのか、各方面から熱い注目を浴びていたが、2006年(平成18年)7月、長野県中部地域を中心に梅雨前線による記録的な集中豪雨(平成18年7月豪雨)が襲い、諏訪湖・天竜川流域で死者が出る大災害が発生した。この時は直ちに現地入りを行い陣頭指揮に当たったものの、『治水整備の遅れが招いたのではないか』という批判が出された。これが脱ダムを始めとする一連の田中施策が独善的に過ぎるという批判が反対派のみならずかつて支持していた層にも拡大。施策を打ち出しても結果が伴わないという批判が重なった所にタイミング悪く豪雨災害(平成18年7月豪雨)が起こり、こうした中で知事改選を迎えた田中は選挙に落選、村井仁が知事に就任した。しかし、実際のところ被害が甚大であった岡谷市付近は脱ダム宣言によって中止したダム事業は無く、さらに被災地を視察した村井候補(現知事)が「(豪雨災害は)天の戒めである」と発言したことから、災害が反田中の材料として使われることで住民の反感を買い、知事選における諏訪地域での得票は、田中が村井を上回る結果となった。田中は落選後の記者会見において脱ダム宣言の今後について、『新しい知事がお考えになるのが宜しい』として言及を避けた。田中を破って知事となった村井仁は当初脱ダム宣言の見直しを言明していたが、その後『個々の河川の整備状況を見ながら考える』として性急なダム建設回帰には慎重な姿勢を見せた。河川行政を担う国土交通省も『長野県から(ダム事業再開の)話があればその時には話を伺う』として、様子を見ている。村井は2007年2月8日に『脱・脱ダム宣言』を行い、ダム建設再開を表明した。こうして田中の『脱ダム宣言』は村井の『脱・脱ダム宣言』によって180度方針転換されたが、従来の河川行政に対するアンチ・テーゼとしてのインパクトは極めて高いものであり滋賀県の嘉田由紀子知事のダム凍結宣言にも影響を与え、全国のダム事業に対し問題提起を与えた意味では1つのエポック・メイキングであった。一方で治水対策が後手に回った事による災害惹起に対しては、今後検証をする必要性が指摘されている。
出典:wikipedia
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