国立小児病院(こくりつ しょうに びょういん)は、2002年まで存在した日本の国立病院である。15の診療科があり、小児を対象とする小児総合医療を行った。後身は国立成育医療センター(現・国立成育医療研究センター)。〒154-8509 東京都世田谷区太子堂3-35-31小児は「大人を小型にしたもの」ではなく、常に旺盛な成長・発達を遂げつつあり、形態的にも機能的にも、また精神的にも発育に応じた特性があり検査、診断、治療、看護の面において、成人とは全く異なり、小児に特有な専門的、総合的な知識と技術が必要とされる。日本における小児医療の総体的な水準は欧米先進国に比して遜色ない水準にあったが、小児難治性疾患等についての治療、研究に関する面で、更に発展させる必要があった。国立小児病院は上記のような背景のもとに、厚生省が小児医療の中心的専門施設とすべく計画し、設置した。日本で最初の小児専門病院として設立されて以来、小児医療の中枢的、指導的役割を果すべき病院として位置づけられた。総合的な小児専門病院は全国で25施設(1998年当時)あり、これらの小児専門医療施設群の中核として診断、治療及び研究の面で指導的役割を担い、(1)小児難治性疾患患者の集中化、(2)高度かつ、先駆的医療の実施、(3)専門技術者の養成研修等他の病院にみられない特色を有した。以上15の診療科があり、小児を対象として小児総合医療を行った。 診療科のうち小児科については、循環器(心臓)、呼吸器、血液、内分泌代謝、アレルギー、感染症、腎・肝疾患、未熟児(新生児)等について専門医により専門外来を行った。また、神経科では発達心理法、整形外科ではリハビリテーション、耳鼻いんこう科では難聴・言語障害の診療、眼科で弱視・斜視の診療を取り扱った。これらの機能を総合して、小児の診断治療、療養指導、医療リハビリテーションの成果を挙げて日本の小児医療福祉に貢献することを使命とした。 病棟は内科系、外科系と疾患別によって患者を治療する。疾患別の内容は次のとおり。(2000年当時)入院は重症等特別の場合を除いては親の付添はなく、看護婦によって小児専門看護が行われた。国立小児病院では開設当初、面会日は週3日(時間は午後2時から午後4時)であった。その理由は医療の高度化、感染予防、遠隔地からの入院等の状況を考慮したものであった。しかし時代の要請のもとに、1994年より毎日午後2時から午後5時までと緩和された。東京都立光明養護学校国立小児病院内訪問学級(小学部、中学部)は、1992年4月1日に設置され、1995年4月1日に高等部の新設も含め東京都立光明養護学校「そよ風分教室」として新たに発足、入院治療の学齢児童・生徒の教育を行った。小児医療研究センターは、小児の難病(先天異常、奇形、がん、自己免疫疾患、アレルギー性疾患、内分泌機能異常、難治性感染症等)と、発育途上にある小児期の形態的、機能的、精神的変動に関する研究、感染症の基礎的研究、適正栄養法の研究など幅広い調査研究を行った。視能訓練士(ORTとも略称される)は、1971年医療専門技術者として制度化されたが、この視能訓練士を養成する学校として、1970年4月に付設された。短期大学卒業以上の女子を入学資格とする、修業年限1年の学校(定員40名)であった。卒業後は、視能訓練士国家試験の受験資格が得られた。免許取得後の就職は、大学病院などの教育機関や、各地の病院の眼科であった。国立小児病院との連携のもと、本院の長期要加療患児の収容、治療を行い、その分院として機能をもった。主要診療対象は小児の気管支喘息を主としたアレルギー性疾患患児で、3歳以上の幼児・学童患児に対して長期施設入院療法を実施、長年の実績があった。並行して幼児保育及び小学校教育を実施した。当院の最寄りバス停留所は「国立小児病院前」と呼ばれ、経由する東急バスの渋51系統などの車内アナウンスでは「こくりつこどもびょういんまえ」と読まれていた。国立成育医療センターへの統合後は「太子堂中学校」と名称を変更している。
出典:wikipedia
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