『ペトロによる福音書』 (─ふくいんしょ) 、または『ペテロ福音書』は、キリスト教の正典に取り入れられなかった外典福音書の一つ。3世紀の教父文書に言及されているが、その全容は知られていない。19世紀末に、そのうちのイエスの受難劇の部分が発見された。『ペトロによる福音書』は3世紀の教父文書に言及されており、キリスト教の正典に取り入れられなかった外典に属する福音書として、その存在が知られていた。19世紀末、エジプトで発見されたパピルス冊子の中に、その一部とみられる写本が発見された。写本は8-12世紀のものと推定される。内容はイエスの受難劇のうち裁判の最後の部分に始まり、磔刑と埋葬、復活の場面が語られ、ガリラヤ湖でペトロたちの前に復活したイエスが姿を見せる直前で途切れている。これがキリスト教初期に著された『ペトロによる福音書』の一部ではないかとされる。もともとの『ペトロによる福音書』は、『マタイによる福音書』などと同様に、イエスの生誕から受難、復活までを記した福音書の形態を備えていたと見られるが、現在知られるのは、上記写本にある受難劇の部分のみである。発見された部分は1892年に刊行され、田川建三による日本語訳は1997年に出版されている。『ペトロによる福音書』独自の記載と、これと比較した正典福音書の記載を以下に示す。外典の福音書としてはナグ・ハマディ写本から発見された『トマスによる福音書』がグノーシス主義の影響を受けたキリスト教初期の文献として注目されている。これに対し、『ペトロによる福音書』は少なくとも発見された部分を見るかぎり、正典の4つの福音書と重複する記述がほとんどで、これら4つの福音書を参照して書かれたものではないかとされ、重要視されなかった。しかし、1982年、ロン・カメロン (Ron Cameron)らは、4つの福音書とは独立した資料である「受難物語」を想定し、それをもとに『ペトロによる福音書』が書かれたという説を唱えた。ジョン・ドミニク・クロッサン (John Dominic Crossan)は、カメロンの「受難物語」を「十字架福音書」と呼び、『マルコによる福音書』やQ資料とともに、他の3つの福音書が書かれるさいの資料になったとしている。福音書の資料仮説の新たな展開を提供するとともに、イエスの死に対してのローマ帝国と(当時の)ユダヤ教(指導者)の責任論の原点を知る材料にもなり得るとクロッサンは指摘する。
出典:wikipedia
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