ライド (Ride) は、1988年にイギリスのオックスフォードで結成されたロックバンド。1988年結成。1996年に解散したが、2014年におよそ18年振りとなる再結成が発表された。1996年の解散後も、バンドメンバーは様々なプロジェクトに参加している。最も有名なところでは、アンディ・ベルがオアシスにベーシストとして加入し、オアシス解散後はビーディ・アイのメンバーとして活動していた。バンドとしては2001年からコンピレーション・アルバムやライブ・アルバム、また限定EPなどを通して未発表曲を発売している。マーク・ガードナー (Guitars, Vocals 1969/12/6生まれ) とアンディ・ベル (Guitars, Vocals 1970/8/11生まれ) はオックスフォードの Cheney School で出会い、その後アート・デザインの勉強のためにバンベリーに1988年10月に移った。ローレンス・コルバート (Drums 1970/6/27生まれ) とはそこで出会い、スティーヴ・ケラルト (Bass 1968/2/4生まれ) はその当時地元のレコードショップで働いており4人が出会いバンドを結成。最初のコンサートは1988年の大学のクリスマスパーティーであった。バンベリーにて「Chelsea Girl」と「Drive Blind」が入ったデモデープを作成。1989年2月に Oxford Poly でキャンセルしたバンドの穴埋めとして出演したコンサートにてアラン・マッギーの目にとまり、1989年のスープ・ドラゴンズのサポートバンドとして活動した後、クリエイション・レコーズとレコード契約を結んだ。1990年1月、「Chelsea Girl」を含むEP『RIDE EP』でデビューしたライドは、轟音ツインギターとスピード感溢れるドラムス、更にその轟音と対峙するかのようなツインボーカルによる清涼感溢れるハーモニー、美しいメロディが混然一体となったサウンドでシーンに登場。EPはインディーチャート No.1となり、ライブではその強烈な轟音で聴衆を圧倒。1990年代に向け新世代のニューカマーとして一躍注目のバンドとなる。続く 2nd EP『PLAY EP』では冒頭を飾る「Like a Daydream」の衝撃的なサウンドが、本国イギリスは勿論、日本でも話題となる。彼らのフェイバリットであるビートルズを思わせるポップなメロディーにパンク的な衝動と開放感、更にザ・スミスのようなメランコリーが違和感無く共存するこの強烈なナンバーはライドの代名詞とも言える曲となった。『PLAY EP』は日本各地の輸入版店で品切れ、追加輸入という現象まで起こす。また、この年のレディング・フェスティバルに登場した彼らは、当時隆盛を誇ったマンチェスター軍団(インスパイラル・カーペッツ等)を相手に堂々のパフォーマンスを見せる。実質 2枚のEPのみという実績ながら、否が応にも1stアルバムへの期待を膨らませた。なお、この1st、2nd EPはその後カップリングされ『Smile』として同年末にリリースされる。9月にはアルバム収録曲「Dreams Burn Down」を含む先行EP『FALL EP』を発表。これまでの直球的な音作りからサイケデリックな方向に早くも転換をはじめた事を示唆。 待望の 1stフルアルバム『Nowhere』は同年10月に発売された。『FALL EP』のイメージを更に広げ、全編ノイズと美しいメロディに埋め尽くされたアルバムとなった。"We know there's no limit !" というフレーズと共に強烈な音像とスピード感で圧しまくるアルバムの冒頭の「Seagull」、曲の進行とともに上昇感とメランコリーが増していく「Vapour Trail」、印象的なメロディとそれを衝き破るかのようなノイズが共存する「Dreams Burn Down」といったナンバーがライドの代表曲となりライブでも定番となる。プロデュース、アートワークなども彼ら自身が手掛け、曲のクレジットもバンド名義という、バンドの初期衝動に非常に忠実な作品となる。なお、"Nowhere"のアナログ盤(コンパクトカセットを含む)はイギリス本国では "Seagull"から"Vapour Trail"までの8曲の形でオリジナルリリースされ、CD盤では『FALL EP』の残る3曲を加えた11曲という形でリリースされている。同年暮れには早くも初来日を果たし轟音を聴かせてくれた彼ら (アンコールではビートルズの「Tomorrow Never Knows」を披露。また、渋谷ON AIRではアンプがふっ飛んだという話も) は、1991年3月にリリースされたEP『Today Forever』 (「Unfamiliar」「Sennen」等を収録) のツアーに合わせ、半年という短期間のうちに再来日を果たしている。2ndアルバムへの期待が高まる中、1992年3月に2枚目のアルバム『Going Blank Again』をリリースした。アルバムでは、オープニングの「Leave Them All Behind」でイントロを飾るシーケンサーフレーズを筆頭に、生ギター+ストリングスによる「Chrome Waves」 (なお、先行シングル「Leave Them All Behind」のカップリング曲として収録されたバージョンはバンドサウンドアレンジになっている) やネオアコ風のポップチューン「Twisterella」など、新しい試みが行われる。1993年世間では『Going Blank Again』の成功と共に彼らの3枚目のアルバムのリリースが待たれていた。1stと2ndでの変化として曲のクレジットがバンド名義から個人名に変わった事が挙げられるが、この頃からメンバーそれぞれのアーティストとしての自我の発芽、さらに結婚して家庭を持つ等プライベートの転機もあり、初期衝動のままバンドの1/4の存在として活動していくには難しい局面を迎えていく。人気とは反比例してバンド内の結束が弱くなり、特にガードナーとベルの音楽的価値観の違いが大きくなってきた。1994年に彼らの3枚目のアルバムである『Carnival of Light』がリリース。その頃から音楽シーンの中心はブリットポップへと移り変わっていった。『Carnival of Light』で彼らはルーツミュージックへの接近等『Going Blank Again』以上に新たな音楽への可能性を試みた (ザ・クリエイションのカバー曲「How Does It Feel to Feel」もアルバムに収録された) が、一方で、スタジオワークによる構築感、安定感の強いそのサウンドからは初期ライドのサウンドに特徴的だった衝動性、疾走感、メランコリーといったエモーショナルな要素 (若さ特有の、というべきか) が後退してしまった。1995年、彼らは4枚目となるアルバム『Tarantula』のレコーディングを行っていた。3rd『Carnival of Light』ではガードナーが半分の楽曲を、ベルがもう半分の楽曲を書いているが、アルバムがこの形に落ち着くまでには相当ないざこざがあったようだ。だが『Tarantula』のレコーディング開始当初、ガードナーとベルの間には軋轢などもなく、バンドの雰囲気も良い方向に向かっていくように思われた。しかし、『Carnival of Light』制作時に表面化した不協和音は、アルバム制作が進むにつれてより深刻なものとなってゆく。ところで、『Tarantula』のほとんどの楽曲はベルによるもので、ガードナーはわずか1曲を提供したにすぎなかったが、これはガードナーが楽曲制作の意欲を失ってしまっており、満足いくものを書けなかったことによる。ベルは当時のバンドの状態を嘆いており、『Tarantula』収録の「Castle on the Hill」という楽曲の中では彼の当時のバンドに対する思いが描かれている。またレコーディング末期にはガードナーがバンドから無理矢理脱退しようとし、レコード会社の反対によってなんとか事なきを得たこともあったようだ。この時期には彼らのサウンドにも更なる変化が現れていた。1995年〜1996年は、オアシスの『モーニング・グローリー』が空前のヒットを飛ばしていたことからも分かるとおり、ブリットポップが音楽シーンを席捲していた。その影響からか、ライドの方向性も『Carnival of Light』以上にシューゲイザーから離れ、よりブリットポップよりのものになっていった。ライド初期の轟音サウンドは復活したものの、ノイズ色の強いサウンドは鳴りを潜め、よりポップで耳あたりのよい楽曲が主流となっていった。数々のトラブルを経て、4thアルバム『Tarantula』は1996年3月にリリースされた。だが、チャートアクションは最高位21位と商業的にも失敗に終わってしまった。(しかしアルバムからの1stシングル『Black Nite Crash』はメロディー・メイカー誌のシングル・オブ・ザ・ウィークを獲得している)またアルバムリリースよりも先にライドは分裂してしまい、1996年1月には正式に解散を発表した。バンドメンバーが若すぎたことで、壊れてゆくバンド内の人間関係が手に負えなくなり、更にバンドの音楽的なスタイルが変わってゆくのを主導するリーダー的な役割を誰も担うことが出来なかった末の結末だった。ライド解散後、ベルは新しいバンドハリケーン#1を結成する。しかしハリケーン#1は2枚のアルバムを残して解散。その後ベルはゲイ・ダッドのツアーに帯同し、加入寸前というところで、突如オアシスにベースで加入することが決まった。ガードナーとコルバートは、スーパーグラスとの仕事で知られていて、自身も The Mystics というバンドを組んでいた Sam Williams と共にアニマルハウスというバンドを結成。BMGと契約して1枚アルバムをリリースする。しかし2001年にはBMGと契約を切られてしまい、それと前後する形でバンドは解散。ガードナーはソロアーティストとなった。一方コルバートはスタジオミュージシャンとなり、The Zimmermenというボブ・ディランのトリビュートバンドなどで活躍していた(バンド名はディランの本名の姓を複数形にしたもの)。ケラルトはライド解散後すぐに音楽活動から身を引き、オックスフォードにある小売店チェーンの店長を務めている。2001年10月16日、ライドの4人全員にてチャンネル4での撮影を合意した。その映像は30分間の演奏の中でのベルとガードナーの2人の独特なフィードバック奏法とディストーションも含め、ソニック・ユースのドキュメンタリーに使用された。レコーディングされた曲と2本の短いサウンドチェックの様子は2002年に『Coming up for Air』としてリリースされた。この限定 CD のリリースで興味深いのはバンドとして今後のリリースを検討するきっかけになったことである。2002年後半、ライドは 3CD Box セットである『OX_4 The Best of Ride』、『Firing Blanks (Unreleased tracks)』、『Live_Reading Festival 1992』をリリース。2003年、BBC でのレコーディングをシリーズ化した『Waves』をリリース。現在 DVD が作成中であり、バンドのマネージャーである Dave Newton は今後ライブ版のインターネットでのリリースを検討中とのことである。ガードナーも現在ソロでのキャリアを歩んでいる。2003年から2005年までの間、カードナーは自分自身のフルレングスのスタジオアルバムを制作するため広範囲にわたってツアーを行った (時々オックスフォードの友達である Goldrush とともに)。ツアーの合間に3曲入りの EP である『Falling Out Into the Night』とライブアルバムである『the acoustic solo Live @ the Knitting Factory, New York City』をリリースした。彼は2005年に French duo の rinôçérôse と仕事をしている。2005年の終わり頃、ガードナーは自身のアルバムである『These Beautiful Ghosts』を北米で United For Opportunity レーベルからリリース。2006年初めに他の国々でもリリースの予定である。日本でも2006年4月に philter レーベルからリリースされている。バンドが新しい音源を提供し、一緒にインタビューに答えている事実から、バンドの終焉の主な原因の一つであったガードナーとベルとの間の対立は修復されていると言える。今後の恒久的なバンドの再結成の可能性だが、ベルからおそらく期待に応えられないとしてはっきりと否定されている。しかしながら、ベルを含めたメンバーはもう一度一緒にプレイすることに関しては今は気にならないだろうと言っている。ベルとコルバートがガードナーの初期のツアーに出演したことをきっかけに、ベルは2003年11月にガードナーがベルの現在住んでいるストックホルムにツアーで訪れた時に2日間のアコースティック・セットに現れている。コルバートもバンドでプレイを再開した --- ドラマーではなく、ギター&ヴォーカルとして。2005年にガードナーはフランスで立ち往生し、トラック・フェスティバルでプレイできなくなった際にコルバートのバンドがその穴を埋めている。その後、コルバートは活動を再開したジーザス&メリーチェインのツアーでドラムスを担当し、その後メンバーにも名を連ねているようである。2014年11月19日に、公式サイトにてバンドの再結成および2015年のライブツアー日程が発表された。新曲の制作については未定としながらも、ガードナーは「僕らは観客が求めてる曲を演奏したい。そこでニューアルバムの曲を演奏しようなんてバカげてるよね。でも新曲を作らないとは言わないけど」と語っている。
出典:wikipedia
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