増川 隆洋(ますかわ たかひろ、1979年11月8日 - )は、兵庫県姫路市出身のサッカー選手。コンサドーレ札幌所属、ポジションはディフェンダー。小学校3年生時に津田SCでサッカーを始める。姫路市立飾磨西中学校、姫路市立琴丘高等学校、大阪商業大学と進学し、卒業時に複数のクラブの入団テストを受けたが、右膝半月板損傷などの故障の影響から不合格。8月に大学OBである中村重和がアビスパ福岡の監督に就任した際に、練習生として所属することとなった。なお、播戸竜二は高校時代の同級生、嶋田正吾は大学の同期である。2003年にアビスパ福岡に正式に加入。3月15日、第1節水戸戦(博多の森球技場)で初出場した。本職のミッドフィールダーだけでなく、長身を活かしてフォワードとしても出場したが、目立った活躍は残せなかった。2004年にはセンターバックにコンバートされ、45試合に出場した。5月19日、第13節大宮戦(さいたま市大宮公園サッカー場)で初得点を挙げた。2005年に名古屋グランパスエイトへ完全移籍。移籍後は怪我も多く本調子ではないシーズンも続いたが、不動のセンターバックとして守備陣に欠かせない存在となった。2009年からは移籍した米山篤志から背番号5を受け継いだ。2010年は浦和から移籍の田中マルクス闘莉王とセンターバックを形成し、チームのリーグ初優勝に貢献。さらにこの年のJリーグアウォーズではDF部門で闘莉王、槙野智章に次ぐ第3位の得票を集めて自身初のJリーグベストイレブンに選出された。2013年限りで名古屋から戦力外通告を受けて、地元のヴィッセル神戸へ移籍。2014年シーズンは31試合に出場したものの、2015年は17試合の出場にとどまり、シーズンオフに神戸からの契約満了による退団が発表された。2016年、コンサドーレ札幌に完全移籍。191cmの恵まれた体躯と、俊敏で持久力もある豊富な運動量が持ち味。自分の体を投げ出してでも相手のシュートをブロックする。大学時代は主にミッドフィルダーとしてプレイし、2000年には関西学生選抜、関西学生サッカーリーグ2部のベストイレブンに選ばれた。プロ入り当初のポジションも守備的ミッドフィールダーであったが、大学時代から当たり強さを買われてフォワードとしても出場していた。元々ミッドフィールダーの選手であったゆえに足元のボール捌きも上手く、プロ入り後複数のポジションを経験していることから、松田浩からは「GK以外ならどのポジションでもこなす」などとと高い評価を得ており、増川自身もプレイスタイルを「オールマイティ、ユーティリティ」としている。空中での競り合いには自信を見せており、垂直飛びは60cmは超えるとしているが、本人曰く、ヘディングより足の方が得意というほど、以前は、ヘディングをさほど得意とはしていなかったようである。福岡時代にはフリーキックも蹴っており、その威力は柳楽智和が「まともに当たったら、マジ死にます」と脱帽したほど。288||11||47||2||19||2||354||1554||4||colspan="2"|-||5||2||59||6342||15||47||2||24||4||413||21その他の公式戦|2009||rowspan=3|名古屋||rowspan=3|5||8||0!通算!!colspan="2"|AFC
出典:wikipedia
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