常紋トンネル(じょうもんトンネル)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)石北本線にある単線非電化の鉄道トンネルである。生田原駅と西留辺蘂駅の間にあり、常呂郡(旧・留辺蘂町、現・北見市)と紋別郡(旧・生田原町、現・遠軽町)を結ぶ常紋峠下を通る。本トンネルの西留辺蘂駅側には常紋信号場、金華信号場(旧・金華駅)がある。同じ石北本線の石北トンネル(北見峠)同様、人気の全くないこの区間は同線の難所の一つであり、標高約347 m、全長507 mのトンネルを掘るのに36ヶ月を要し1914年(大正3年)に開通した。同年には標準軌複線の大阪電気軌道(現・近畿日本鉄道)奈良線の生駒トンネル(3,388 m)が33か月の工期で完成しており、10年以上前の1902年(明治35年)には既に中央本線の笹子トンネル(4,656 m)が71か月の工期を要しながらも完成している。これらに比べ本トンネルは工期は平均的である。本トンネルは凄惨過酷なタコ部屋労働で建設されたことでも有名である。施工当時、重労働と栄養不足による脚気から労働者は次々と倒れ、倒れた労働者は治療されることもなく体罰を受け、死ねば現場近くに埋められたという。山菜取りに来た近隣の住民が、人間の手や足の骨を拾ったという話もある。1968年(昭和43年)の十勝沖地震で壁面が損傷し、1970年(昭和45年)にその改修工事が行われた。常紋駅口から3つ目の待避所の拡張工事の際、レンガ壁から60センチメートルほど奥の玉砂利の中から、頭部に損傷のある人骨が発見された。ある保線区員は「みんなが『人柱』だといってました」「ほかにも埋まってる可能性があると思います」と語っている。1980年(昭和55年)、当時の留辺蘂町(現在は広域合併により北見市に編入)によって金華信号場西方の高台(金華小学校跡地)に「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」が建てられた。急勾配の地に作られた常紋信号場および隣接する本トンネルは、かつてはD51重連撮影・生録音の名所として鉄道ファンの間で知られていた(当時、撮影に訪れる鉄道ファンの便宜を図って、付近に定住者のいない常紋信号場で客扱いが行われた(仮乗降場も参照))。
出典:wikipedia
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