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内匠寮

内匠寮(ないしょうりょう)は、律令制において中務省に属する令外官の一つである。訓読みは「たくみりょう」・「うちたくみのつかさ」など。また、近代の宮内省に設置された内部部局の一つ。内匠寮の起源は、神亀5年(728年)聖武天皇の時に新設されたのが始まりである。令外官であったものの、当初から四等官が設置されていた。そのルーツは天武天皇の時代にあった飛鳥池工房のような天皇家の家政機関としての官営工房が律令国家の整備とともに内匠寮や鋳銭司などの技術系官司に発展したと考えられている。内匠寮は唐代の官営工房である少府監(しょうふげん)の模倣と考えられ、別称も「少府」という。本寮の特色として日本古来の伴部・品部・雑戸を使わず様々な職人(雑色作手)によって運営されている点である。これは日本の工業の起点といえる。職掌は天皇家の調度品や儀式用具などの製作である。当初は内匠頭に四位の皇親が任じられるなど調度製作などの中心的な役目を担っていたが、奈良時代後期には勅旨省や造東大寺司に機能の一部を奪われて内匠頭も五位相当に低下する(ただし、相次ぐ皇親の粛清による適任者不足も背景にあったと考えられている)。だが、延暦元年(782年)に勅旨省が、同8年(789年)に造東大寺司が解体されて大幅に機能を縮小されると、内匠寮の整備が進められるようになり、また宝亀5年(774年)に大蔵省典鋳司を、大同3年(808年)には中務省画工司と大蔵省漆部司を合併して規模を拡大した。また、大同3年の再編で鍛冶司が木工寮に合併されたのに合わせて鍛冶司の業務の一部が移管され、『延喜式』には公印鋳造の業務が職掌に規定されている。 平安時代前期から中期には官営工房の元締めとして機能して、太政官や蔵人所の命令下で調度製作の業務にあたった。平安時代中期を過ぎると次第に職掌を作物所(つくもどころ)・画所(えどころ)や木工寮・修理職に奪われていくが、これは大規模儀式の減少や朝廷財政の衰退によって、公事や儀式における行事所制や別当制が導入された結果、内匠寮の機能が縮小されつつ他の官司との機能分担が行われるようになったことによるものであり、それは必ずしも内匠寮の形骸化を意味するものではなく、12世紀には右大臣が内匠寮別当を兼務し、その下に年預が任命されるなど、以後も朝廷運営に不可欠な官司として存続しつづけていた。1885年(明治18年)12月23日、内閣制度創設に伴い、宮内省に内匠寮が設置された。長官は内匠頭である。1903年(明治36年)10月31日の官制改正(皇室令第3号)により、内匠寮は「宮殿その他の建築物の保管、建築・土木・電気・庭苑および園芸に関する事務」を管掌することと規定された。第二次世界大戦後の1945年(昭和20年)10月5日、宮内省の機構整理により内匠寮は主馬寮と統合され、主殿寮が設置された。

出典:wikipedia

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