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ジョン・フルシアンテ

ジョン・アンソニー・フルシアンテ(John Anthony Frusciante、1970年3月5日 - )は、アメリカのミュージシャン。レッド・ホット・チリ・ペッパーズの元ギタリスト、ボーカリスト。2012年現在はソロとして活動している。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第18位、2011年の改訂版では第72位。ニューヨークのクイーンズ生まれ。12歳の頃にカリフォルニア州に引っ越している。両親は共にミュージシャンであった。母のゲイルはレッド・ホット・チリ・ペッパーズの曲「アンダー・ザ・ブリッジ」で歌声を披露している。15歳の時に観たチリ・ペッパーズのライブに魅了され、ギターとベース・歌詞をすべて暗記するほどのめり込む。1988年12月、オリジナル・メンバーのギタリスト、ヒレル・スロヴァクが死去し、代役ギタリストも早々にバンドを去っていたチリ・ペッパーズに加入する。当時18歳のジョンにとって、これが実質的に初のバンド活動であった。加入後は『母乳』、『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』、『ホワッツ・ヒッツ!?』(キャピトル時代のベストアルバム)の各作品に参加している。1992年の来日公演中に脱退。一時期は半ば隠遁生活を送り、ヘロイン中毒とうつ病に苦しんだ。1999年、病と薬物中毒を克服してチリ・ペッパーズに復帰。以後は、バンドサウンドの核として活躍。『カリフォルニケイション』、『バイ・ザ・ウェイ』、『グレイティスト・ヒッツ』(ワーナー音源のベストアルバム)、『ライブ・イン・ハイド・パーク』(2004年6月19・20・25日にロンドンにあるハイド・パークで行われたライブの音源化)、『ステイディアム・アーケイディアム』で演奏している。この間にギタリストとしての評価が高まり、2004年6月から2005年2月までのソロ・アルバム6作品の連続リリースという実績、薬物中毒から復帰後のアルバムで見せた「枯れたギター」と呼ばれる独特で才能溢れるサウンドにより、「白いジミヘン」と称されるまでになった。そして、ローリング・ストーン誌の2007年2月号(7日発売)では、ジョン・メイヤー、デレク・トラックスと共に「現代の三大ギタリスト」(The New Guitar Gods)に選出され、名実共に世界最高のギタリストとなった。2009年12月16日、自身のオフィシャルサイトで「自身の音楽を探求したい」との理由で、チリ・ペッパーズからの脱退を表明。最初の脱退時とは異なり、他のメンバーもジョンの意思を尊重しており、円満な脱退となった。非常に芸術家肌な人物で、興味の無い話題にはそっけない応答だが、ギターや音楽、芸術関係の話題になると、饒舌になることで有名。インタビューは基本的に「事前に概要を知らされて」「それでいて納得のいくもの」しか受けたがらないが、一度喋り始めると、インタビュアーの出す話題を遮ってまで話を続けることも多々ある(SPIN誌付)。アルバムのエディターレビューにあるように、長髪を次の日には丸坊主にするなど、突発的な行動が目立つ。絵を描くなど、芸術全般にも関心があり、これはチリ・ペッパーズ初代ギタリストのヒレル・スロヴァクとの共通点である。フリーは「ジョンの音楽への意欲は尽きることが無い」とベスト盤のメンバーズレビューで賞賛しており、同アルバムのレビューで、CDを買う金の無い小さい頃は、ラジオで流れる曲をテープで録音して聴いていたことも書かれている。薬物中毒から復帰した現在では「若い頃、髪型や服装、女の尻に気を使う暇があったらもっと違う創造的なことを注視するべきだった。悉く時間を無駄にしていた。」(クロスビート誌)などの発言も残している。数え切れないほどのCD、無数のLP盤を所持しており、来日した際には、レコード店のCDをダンボール箱一杯に買っていったほど。自宅にはレコーディング機器もあり、ソロ作品はその機器で録音された。「1年間にソロアルバム6作品リリース」など、異常ともとれるその創造性は、他のミュージシャンと一線を画す。バイセクシャルと解釈できる発言もいくつか残しているが、真意は定かではない。フリーやマーズ・ヴォルタ、フガジのメンバーなど、様々な友人ミュージシャンと音源を残さない急造バンドを作って活動することも多い。チリ・ペッパーズのメンバー、フリーとは、特に仲が良い。チリ・ペッパーズの活動以外にも、即席バンドでの活動やソロアルバムでの客演など、双方の音楽活動において切っても切れない関係を構築している。薬物中毒期に何度もジョンの自宅を訪問し、バンドへの復帰をアンソニー・キーディスに打診したのも、フリーである。ちなみに、バンドへの加入当初は、アンソニーとほぼ毎日行動を共にし、毎日電話を掛け合うなど、とても仲が良かった。それが原因で、当時の彼女と別れている。2002年以降は、バイシクル・シーフのジョシュ・クリングホッファーと共に音楽制作を行うことが多い。ジョシュも、2006年以降のチリ・ペッパーズのツアーにおいてサポート・メンバーとして同行しており、ジョン脱退後の現在は、チリペッパーズの正規ギタリストとして活動している。また、マーズ・ヴォルタやフガジとも交友は深く、その人脈から、USインディーレーベル・アンダーグラウンドのアーティストと共に活動をすることもある。その他、ビョークやウータン・クラン、レディオヘッドのトム・ヨーク、元ナイン・インチ・ネイルズのチャーリー・クロウザーなど、交友のあるアーティストは数多い。少年期から、練習の虫となって高度な技巧を身につけていたこともあり、チリ・ペッパーズ加入初期はテクニカルなプレイを得意としていた。当初は、前任ギタリストのヒレル・スロヴァクの代役的な立ち位置であったため、この頃はさほどオリジナリティあるプレイはみせていない。チリ・ペッパーズのメンバーとしては、『母乳』のレコーディングが初参加であるが、プロデューサーであったマイケル・ベインホーンが、これまでレコーディングの経験がないジョン当人の嗜好や方向性にそぐわない形で作業を押し進めてきたことから、レコーディング中常に2人は険悪な関係にあった。当時のメインギターは常時アームを取り付けたサンバーストのストラトキャスターだが、これは後年薬物中毒に陥った際に生活費と麻薬のために売り払ってしまっている。ヒレルの代役から脱却し、ハードコア・パンクから泥臭いファンク、カントリーなど、豊富な音楽的バックグラウンドを元に幅広いプレイを指向。特に、ジミ・ヘンドリックスからの影響が色濃く、サイケデリックなコードを多用した楽曲やソロが多く見られる。エフェクター類は、基本的に歪み系とワウをメインにした、シンプルなセッティングだった。これは、近年のテクノロジー指向のジョンのスタイルとは正反対であり、「限られたテクニックの中でも、シンセサイザーを応用したり誰も考えつかないようなサウンドを出すギタリストのほうが好きになった」など、近年は様々な媒体でその心境の変化を語っている。ドラッグ中毒に陥り、2年以上ギターを弾いていなかったブランクからか、以前のようなテクニカルなプレイは鳴りを潜める。代わりに、クリーム時代のエリック・クラプトンに代表されるような、いわゆる泣き系のクラシックなロックギタリストの影響が色濃いながらも、独特の演奏を聴かせるようになった。ローリング・ストーン誌などでも、その独特のサウンドは「枯れたギター」と表現された。2011年現在では、エフェクティブなサウンドも駆使し、さらにプレイに幅が出た。復帰以降のチリ・ペッパーズの作品でも、その影響は顕著だが、それら実験的ギターサウンドの多くは、ソロ・アルバムの楽曲で用いられる事が多い。テクニック的にも、以前のような技巧プレイの復活が見られる。ジョンのギター・ソロが『ステイディアム・アーケイディアム』のほぼ全ての楽曲に織り込まれているが、「現代の三大ギタリスト」(The New Guitar Gods)としてローリング・ストーン誌に選出された際、「ダニー・カリフォルニア - Dani California」と「メイク・ユー・フィール・ベター - Make You Feel Better」のソロは譜面に起こしてレコーディングに臨んだが、他の曲のソロはアドリブであることを明かした。メイン・ギターのほとんどがフェンダー製である。メインピックアップは、フロント。ステッカーなどの装飾はほとんどしない。

出典:wikipedia

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